インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

カイと呼ばれちゃう

年初にCamblyで始めたオンライン英会話、まだなんとか続いています。いくつかの初心者向け教材を終えたところで、何人かの講師から「ちょっとあなたには簡単すぎるから、他の教材を選んだら?」と言われたので、今週からengooのいちばんやさしいニュースを使い始めました。まだまだ試行錯誤中です。

https://engoo.com/app/daily-news

オンライン英会話で初対面の講師の場合、最初に短い自己紹介をすることが多いですが、ちょっとおもしろいことに気づきました。10人中8人ぐらいの方が、私の名前(Kei)を「カイ」と呼ぶのです。あるいは申し訳なさそうに「カイ、それともケイと呼べばいい?」と聞いてこられます。


https://www.irasutoya.com/2016/01/blog-post_13.html

綴りが“k-e-i”なんだから「ケイ」じゃん、数字の“eight”だって[éɪt]だし〜と思いますけど、それはたぶん私のような日本語母語話者のローマ字発音的発想なんでしょうね。英語が堪能な同僚に聞いたら、名前で“k-e-i”という綴りは珍しいので、多分とっさに発音が思い浮かばないんじゃないかとのことでした。

たしかに英語の名前で「ケイ」っぽい発音をするのは“Kate(ケイト)”とか“Casey(ケイシー)”とか“Cage(ケイジ)”とか、つまり“k-e”ではなく“k-a”や“c-a”が多いような気もします。でも“Ken(ケン)”とか“Kent(ケント)”もあるし……これはまあ、やはり“k-e-i”という綴り自体が名前としては見慣れない・聞き慣れないものということなのでしょう。

試みに「特定の文字から始まる外国人の名前や苗字」というサイトで(いろいろなサービスがあるんですねえ)“kei”を入力してみたら、ヒットした名前はとても少なくて、しかもどちらかというと英語圏ではあまり見かけないと思しきものばかり、あるいは「ケイ」とは読まれないものばかりでした。

kanji.reader.bz

オンライン英会話の英語母語話者講師が私の名前を読みにくそうにしているのもむべなるかな、なのでした。

足上げベンチプレス

ここのところ、早朝に利用しているジムでは定期的に「足上げベンチプレス」に取り組んでいます。ベンチプレスとは、こちらの「いらすとや」さんのイラストのように、ベンチに仰向けに寝てバーベルを持ち上げる運動で、主に大胸筋を鍛えるためのメニューです。


https://www.irasutoya.com/2018/10/blog-post_87.html

私はこの種目で、還暦までに100kg挙げるというのを目標にしています。でも私にとって筋トレは一にも二にも腰痛予防と不定愁訴の解消が目的なので、数字にこだわる必要はまったくないのです。……が、なにか目標があったほうがトレーニングにも積極的になれるので、パーソナルトレーニングのトレーナーさんと相談してこの目標を設定しました。

いまのところ自分の力だけで(サポートを受けずに)挙げられたのは85kgが最高で、まだまだ道のりは遠いです。それでも数年前に比べれば連続して挙げることができるウェイトは少しずつ増えてきました。最近とても効果があると感じているのは、これもトレーナーさんの指導を受けて始めた「足上げ」でのベンチプレスです。

通常ベンチプレスは足を床におろして踏ん張る、さらにはその踏ん張りを利用して腰を反らせるような形にすることが多いですが、この「足上げベンチプレス」は膝を曲げるようにして足全体を浮かせ(こんな感じ。ヿ_|○ )、その状態でバーベルを挙げます。

www.t-nation.com

トレーナーさんによれば、こうすることでほぼ大胸筋だけで挙げざるを得なくなり、より効果的に「効かせる」ことができるのだそうです。たしかにこの「足上げ」でベンチプレスをすると、胸のパンプアップ(筋トレ後、一時的に筋肉が膨らむ現象)っぷりが半端ではありません。私はこれを定期的に継続することで、以前よりもあきらかに胸の筋肉がついてきました。

ただしこの「足上げベンチプレス」は、細長いベンチの上でバランスを取る必要があるので、きちんとフォームを身につけてからにしたほうがよさそうです。フォームは胸や腕のみならず、肩甲骨や背中や腹筋などの位置と意識のさせ方も関係してくるので、最初はパーソナルトレーニングなどでトレーナーさんに指導してもらったほうがよいと思います。

筋肉がついてベンチプレスの数字も上がってきたのはよかったのですが、スーツやジャケットのボタンが留めにくくなったのは痛い誤算でした。フォーマルなスーツやジャケットはふつう身体のラインに合わせて作られているものですから……仮にベンチプレス100kgの目標を達成できたとしたら、そのときには確実に着られなくなっているでしょうね。

みんな煮え切らない

職場の総務部門から、新年度からの、つまり4月1日以降からの新型コロナウイルス感染症対策に関する「お知らせ」がメールで届きました。いろいろな項目があるのですが、基本的にはこれまで継続してきた対策の「現状維持」だそうです。マスクについても当面は着用を推奨するとのこと。すでに満員電車以外では完全にマスクを外して生活している私としては、ちょっとがっかりしたというのが本音です。

普段の生活ではほぼマスクを外しているとはいえ、授業ではかなり近距離で会話をすることもあり、そのときは私も着用しています。この授業での着用についても「お知らせ」では「アクリル板の設置などにより、状況に応じて脱着について判断することを可能とする」となっていました。状況に応じて着脱について判断することを可能とする……なんとも歯切れの悪いというか、煮え切らない表現です。結局は現場に任せるよということですか。


https://www.irasutoya.com/2015/08/blog-post_367.html

でも職場の総務部門としてもはっきりこうしてくださいとは言いにくい側面があるのだろうとお察しします。このおこの「お知らせ」は「政府の『新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針』の変更等に関連して」出されたものなのですが、その政府自身がなんとも煮え切らない態度なんですもん。この「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」というのはここにあります。

https://corona.go.jp/expert-meeting/pdf/kihon_r_20230127.pdf

この68ページにも及ぶ方針のうち「学校等の取扱い」について熟読玩味してみましたが、私たちの職場にもっとも近い状況についての政府の方針(のようなもの)はおそらくここです。

大学等については、感染防止と面接授業・遠隔授業の効果的実施等による学修機会の確保の両立に向けて適切に対応することを要請する。

む〜、それはまあそうでしょうけど、これまたなんとも煮え切らないです。ここには「『学校における新型コロナウイルス感染症に関する衛生管理マニュアル』等を踏まえた 対応を要請する」とも書かれていて、検索してみるとこれは文部科学省が出している、こちらは85ページにも及ぶマニュアル文書のようです。

https://www.mext.go.jp/content/20220404-mxt_kouhou01-000004520_01.pdf

ここには学校における対策についてこう書かれています。

地域の感染状況を踏まえ、学習内容や活動内容を工夫しながら可能な限り、授業や部活動、各種行事等の教育活動を継続し、子供の健やかな学びを保障していくことが必要です。

むむ〜、ここ3年くらいはずっとそうやってきたんですけど……と思って表紙を見ると、このマニュアルの最終リバイスは2022年4月です。それからもう1年近くも対策なり方針なりマニュアルなりは変わっていないんですね。それは学校の総務部門もなすすべがないでしょうし、結局は現場に任せるよとなるのもむべなるかなです。

わかりました。じゃあ私は現場で、自分で責任を取って対策を立てたいと思います。といっても大したことじゃないです。換気に注意しつつ、マスクは基本的に外す。ペアワークなど近距離で会話する場合、気になるようなら着用するよう学生さんに求める。シンプルすぎるけど、現実的にはこんなところでしょうか。

こんなシンプルな方針や対策さえ、どこからも出てこない。結局この国では、だれも責任を取ろうとしない、リーダーシップを発揮しようとしないのですね。日本を外から見つめる留学生の皆さんと毎日接している私としては、「日本ってこんな国なんですね」と毎日問われているようで、内心かなり恥ずかしいです。

はじめてのTOEIC

きょうは朝からTOEICのListening & Reading Testを受けてきました。語学の検定試験を受けるのはおそらく十数年ぶりだと思います。それも以前は中検とかHSKとか、中国語の検定試験ばかりを受けていましたから、英語で受けるのはたぶん中学生の頃に受けた英検三級以来じゃないかしら。検定試験会場の雰囲気がとても懐かしかったです。

語学の検定試験はその時点での実力を測るものですから、検定対策と称して直前にあれこれ詰め込んだり、少しでも点数を上げるための攻略法などを弄するのはあまりよろしくないのではないかと個人的には思っています。とはいっても、どんなふうに試験が行われるのさえ知らないのはいくらなんでも無謀なので、TOEIC全パートの入門編を謳っている薄い問題集を一冊やりました。


TOEIC L&Rテスト 書き込みドリル

二時間の試験時間はあっという間でした。リスニングもリーディングも、自信を持って「これが正解かな」とマークシートを塗りつぶしたのは三分の一もなかったかしら。とくに大量の文章を読む部分が難しくて、やはり英語の語彙量が圧倒的に足りないなと思いました。

最後の方は時間切れで回答できませんでしたが、受験のしおりに、誤った問題が減点されるわけではないので、最後の問題までどれかひとつにマークするようお勧めしますというようなことが書かれていたので、いちおう全部マークしておきました。でもこれも「実力を測る」という観点からすれば本末転倒ですかね。

私はふだん腕時計というものを使っておらず、スマートフォンが時計がわりなのですが、TOEICでは腕時計しか持ち込みが許されないので、かつて使っていたものを引っ張り出して持参しました。が、自動巻きのこの腕時計、十分にゼンマイが巻かれていなかったためか、試験途中で止まってしまいました。

シャープペンや消しゴムも普段使っていないので、試験前日に買いました。英語の学習は完全に趣味、というかほとんど「ボケ防止」の私ですが、それでもこんな舐めきった態度はいけませんね。すみません。TOEICは今後も定期的に受けようと思っているので、安い腕時計をひとつ買おうと思います。

うにのようなビヨンドとうふ

留学生の通訳クラスで使用する日本語ニュースの素材を探していて、こちらの動画を偶然見つけました。これまでの豆腐の概念を覆すような新しい豆腐系食品とも言うべき「ビヨンドとうふ」のシリーズを次々に世に問うている相模屋食料株式会社さんを取材した、テレ東の『カンブリア宮殿』です。


www.youtube.com

いつも買い物に行っているスーパーにも相模屋さんの「ビヨンドとうふ」シリーズがいろいろと置いてあって、私もときどき利用しています。ピザ用シュレッドチーズの代わりになる「とうふシュレッド」や、とうふシュレッドを利用した「とうふピザ」(油揚げがピザクラストになっている)などは、正直に申し上げてう〜ん、ちょっと……という感じでしたが、この動画で紹介されている「うにとうふ」にはちょっと驚きました。

動画の最初で男性が「うになんだもん、だって」とおっしゃっていますが、たしかに食感といい味といい香りといい、うにそっくり。私も軍艦巻きににして何度か試しましたが、目をつぶって食べると本来のうにの軍艦巻きとの違いがわからないほどです。もっともこれは私がうにの軍艦巻きなど数年に一度食べるか食べないかくらいの人間だからかもしれませんけど。


https://sagamiya-kk.co.jp/beyond_uni/images/recipe_gunkan.jpg

とうふだからカロリーはとても低めですし、うにはプリン体を多く含む食材だそうですから、健康診断の結果などを気にして食べるのを我慢されているような方には、この「うにのようなビヨンドとうふ」は福音かもしれません。

sagamiya-kk.co.jp

江戸時代に著された『豆腐百珍』を引くまでもなく、私たちは中国から伝わったとうふをさまざまな方法で味わい尽くしてきたわけですが、ついにここまで来たのか〜と、先人たちもびっくりの「奇品」です。

絵が描けなくなった

オンライン英会話で、講師の先生を相手にちょっとした自己紹介などしていると、「学生の頃の専攻は何でしたか?」と聞かれることがあります。私が「美術です。彫刻を作っていました」と答えると、たいがい「いまでも彫刻を作ったり絵を描いたりする?」と返されます。「いいえ、いまではもう、まったく」。まあ日本の住宅環境で彫刻なんか作っていたら床板が抜けそうですが、そういえば絵すらも描かなくなっていたんですよね。

先日、むかし作った語学教材のファイルを整理していたら、自分が描いたイラストがたくさん出てきました。そうそう、かつてはこうやって自分でイラストを書いて、教材にあしらったりしていたのです。でも最近は「いらすとや」さんをはじめとするネットのフリー素材がとても充実しているので、自分で描くことはまったくなくなりました。

思えば子供の頃からお絵かきが好きで、それがこうじて美術系の学校を目指すようになったのでした。とはいえ、さて実際に学校に入ってみれば、まわりとの才能や情熱の差はいかんともしがたく、卒業後はいきなり路頭に迷うことに。それでも絵への未練は絶ちがたく、しばらくは自分の仕事の領域で、こうやって手慰みをしていたのでした。

でもそれすらもやらなくなって久しく、先日ちょっと描いてみようかなと思いペンを手にとって少々驚きました。もはやまったくと言っていいほど絵が描けなくなっていたのです。語学の授業では、特に初学者に対して言葉で説明が難しい事物などが出てきた際に、黒板やホワイトボードに絵を描いてみせることがあります。それも最近はなんだか「へたくそ」になってきていたのを感じていたところでした。

そりゃそうですよね。絵を描くというのは、もちろん知識も必要ですけど、それ以上に身体技能としての修練が必要です。スポーツでも語学でも楽器の演奏でも、日々繰り返し練習していなければそれに使える筋肉や神経や感覚はどんどん衰えていく。それを十年、二十年という単位でやってきていないのであれば、そりゃ描けなくもなろうというものです。

もちろん年月を経て、こうしてできなくなったことがある一方で、逆にできるようになったこともあるのですから、特段落ち込んだりする必要もないのです。それでもなんだかとても寂しいような悲しいような気分に襲われました。おそらく心のどこかでは、いまでもまたその気になればいくらでも描けるという気持ちがあったのだと思います。なんともはや。

キャリアコンサルティングを受けてきた

私はいま都内某所にある学校で働いていますが、この職場は60歳で雇い止めになります。あと数年しかありません。その後は65歳まで嘱託や非常勤の形で勤務を継続することもできますが、さしたる資産も持っていない私は65歳以降もおそらく何らかの形で働き続けなければなりません。

というわけで、キャリアコンサルティングを受けてみることにしました。厚生労働省のウェブサイトにある「キャリアコンサルティングの活用・効果」というページによれば……

キャリアコンサルティングを通じて、自分の適性や能力、関心などに気づき、自己理解を深めるとともに、社会や企業内にある仕事について理解することにより、その中から自身に合った仕事を主体的に選択できるようになることが期待できます。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000188827.html

……とのこと。「キャリア形成や職業能力開発などに関する相談・助言」を行う専門家として「キャリアコンサルタント」という国家資格があり、そういった方と面談などを通してこれまでの仕事の「棚卸し」をし、自分にはこれからの人生に活かすことができるどんな能力があり、そもそもこれからどんな人生(職業人生)を歩んでいきたいのかをもう一度見つめ直すということですね。

実は私の妻もこの資格を持っているので、コンサルティングをしてもらおうかなと思っていたら、「身内がやると私情がからんで適切なコンサルティングにならないからだめ」と断られました。妻の同僚にもコンサルタントがいるのですが、そういう人も多かれ少なかれ私のことを知っているので適任ではなく、まったく私のことを知らないコンサルタントにきちんと対価をお支払いしてやってもらうべきだと。なるほど、そのとおりですね。

というわけで、ネットでいろいろと探して、50代からのキャリアコンサルティングを専門にやっておられる方にお願いして、先日行ってきました。初回はまず1時間の相談で、報酬は1万円です。事前に履歴書や職務経歴書も送って、当日はきちんとスーツ姿ででかけてきました。靴も磨きましたよ。かつて転職を繰り返していた頃を思い出して、少し懐かしかったです。

キャリアコンサルティングにはさまざまな手法があるようですが、一般的には、特に初回は、履歴書や職務経歴書をもとに様々な角度から質問を行い、私のようなコンサルティングを受けようとする人の考えや思いをとことん「傾聴」して、自分自身で今後の人生に対する気づきを促すというのが多いそうです。

それで聞かれたことは何でも話そう、自分を盛ったり、逆に卑下したりすることなく……とけっこう楽しみにして出かけてきたのです。いくつになっても、自分を見つめ直すというのは、なにか新しい扉が開くような感じがしてなかなか良いものです。

ところが。

結果は「傾聴マイナス100%」でした。1時間ものあいだ、私のほうがそのコンサルタント氏のお話、それもご自身の自慢話と商売話と人生論みたいなものを延々と傾聴させられたのでした。


https://www.irasutoya.com/2014/11/blog-post_57.html

まるでタチの悪い詐欺師と話しているみたいで、開始5分で席を立とうと思いましたが、いやいやこれはどこかで使える「ネタ」になるかもしれないと思い直し、こっそりスマホのボイスメモをオンにして1時間話を聞いてきました(イヤな奴ですね)。事前に送った履歴書や職務経歴書にも目を通していないことは明らかでしたし、最後まで私に関する問いかけなり質問なりはほぼありませんでした。

またそれにとどまらず、言葉の端々に昭和の古い社会通念や家父長制的なスタンスが透けて見えましたし、私が中国語関係の仕事をしてきたという点を呼び水に、あろうことか民族差別的な物言いまで散見されました。やんわり訂正して差し上げましたけど、たぶん気づいてないでしょうね。

妻は私の録音したボイスメモを聞きながら「こんなやつ、キャリコンの風上にも置けぬ。資格剥奪だあっっ!」などと憤慨しまくっていました。でもまあ、せっかくのネタを仕入れたのですから、職場の同僚(実はビジネス科目や就職指導の担当で、キャリアコンサルタントの資格を持っている講師が何人かいるのです)と「ありえないよね〜」と盛り上がろうと思います。

そして、もう一度ネットで検索して、もっとまともなキャリアコンサルタントを探すのです。

ラップフィルムの端がわからなくなったら

職場の教員室には小さな流し台が設置されていて、戸棚には排水口用のネットやらラップフィルムやらがおいてあります。いただきもののクッキーの袋を開けたので、湿気ってしまわないようラップフィルムで封をしようとしていたら、やってしまいました。うっかりラップフィルムの端をロールにくっつけてしまったのです。

自宅のキッチンでもたまにやってしまうのですが、こうなると老眼の私はフィルムの端を見つけるのがきわめて難しくなります。光に照らすなどして何とか端らしきラインを見つけても、それをまた幅の広いフィルム全体にわたってめくりあげるのが一苦労。セロハンテープで端を持ち上げるという方法もありますが、薄いフィルムはセロハンテープのそばからすぐに破けてしまうのでこれまた難儀します。

そんなわけで今回も悪戦苦闘していたら、同僚のひとりが「ラップフィルムの幅全体にセロハンテープを貼るのよ」と教えてくれました。つまり、セロハンテープを「びーっ」と長く引っ張って手に取り、そのままラップの端と思しき部分全体に貼りつけるのだと。そしてそのセロハンテープごと持ち上げればすぐに剥がれるよと。

おおお、なんて頭のいい。その方法は思いつきませんでした。やってみたら、この通りすぐに剥がすことができました。

ラップフィルムのメーカーさんでも、スポンジを使う、軍手を使うなどいろいろな方法が紹介されていますが、同僚から教わったこの方法がいちばん簡便だと思います。

kurelife.jp

もっと厳しくしてほしい?

勤務先の専門学校は年度末の先週から期末試験週間を迎えておりまして、留学生のみなさんが今年度最後の試験に挑んでいます。試験をクリアしないと卒業や進級ができないのでみんなかなり真剣、というか神経質になっています。

こんなことを言うと学校側からお叱りを受けそうですが、私自身は本当はこうやって試験をしたり、試験のでき具合によって成績をつけたり順位をつけたり、卒業の判定をしたり……というのにあまり意義を見出せません。そうはいってももちろん規定に従って試験問題を作り、解答や判定の基準を作り、採点して、フィードバックまできちんとやりますけど、心のなかでは「本来はこんなことをせず、学びたい人が学びたいだけ学べばいいじゃないか」と思っています。

私たちの学校は義務教育課程でもありませんし、留学生の皆さんはもうみんな大人と呼ばれる年齢です。誰に強制されたわけでもなく、自分が学びたくて日本語や通訳や翻訳やビジネスを学んでいるのです(実際には親に言われてという方もいるかもしれませんが)。それにもとより、語学は人と競ったり比べたりしてもしかたがありません。自分が以前に比べてどれだけできるようになったのか、ただそれだけです。

だけど、試験が終わって成績を渡し、フィードバックを兼ねてひとりひとり個別に面談をしていると、少なからぬ学生さんから「先生は優しすぎます。もっと厳しくしてほしいです」などという声が聞かれます。う〜ん、優しいかなあ。たしかに私、以前はかなり厳しい態度で授業に臨んでいて、そのために学生さんに泣かれたこともたびたびありました。でも最近は歳をとって多少は人間も丸くなったのか(?)、そんなにギュウギュウと授業や訓練をやらなくなっているかもしれません。


https://www.irasutoya.com/2018/08/blog-post_793.html

でも……それじゃあせっかくですから厳しいことを言わせてもらえば、厳しくしてくれなきゃ学べないというのがそもそも“想得美(考えが甘い)”のではないかと思うのです。

もちろん学びのモチベーションを高めるために、教える側が工夫できることはたくさんありますし、その点についての努力は惜しんでいないつもりですが、その上でご本人が学ぶか学ばないか、どのような成果を残すのか、それはもう、当たり前ですけどすべてご本人次第なんです。

せっかく少なからぬ費用と手間ひまをかけて日本に留学しているんですから、それなりの成果を残してほしいと心から願っていますが、「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」のです*1。ご本人がその気にならなければ。

オンライン講師もいろいろ

先週の土曜日、オンライン英会話Camblyで予約したレッスン時間前に待機していたら、レッスン開始の数分前に突然キャンセルされました。いわゆる「ドタキャン」というやつですね。講師の急な都合によってキャンセルされることはあると聞いていましたが、実際に遭遇したのは初めてです。

ネットで「オンライン英会話 ドタキャン」などのキーワードで検索してみると、少なからぬ方がドタキャンをくらっておられるご様子。なかには落ち込んで学習継続のモチベーションが下がってしまう方もいるようですが、まあこういうことはどこにでもあるので、縁がなかったとあきらめて次に行きましょう。

ただ、Camblyは自分がその週に持っているレッスン枠をその週のうちに消化しなければなりません(月曜日の午前3時にリセットされるそう)。私は土曜日にドタキャンをくらったので急いで別の講師を探しましたが、私のような初心者に対応可能でかつ評価の高い講師はいなかったので、結局受講をあきらめ、レッスン料が無駄になってしまいました。

やむを得ない事情でキャンセルに至ることがあるのは分かるんです。自分も予約しておいたレッスンをキャンセルしたことはあります。でも一応Camblyのルールに従って、レッスンの24時間以上前に連絡しています。もちろんチャットで謝りの文章も添えて。でも先日は数分前に突然キャンセルしてきて、メッセージもありませんでした。

Camblyではレッスン後に生徒が講師の評価をできるようになっていて、講師は星の数(5つ星が最高)とレートの数字がプロフィールの脇に表示されるようになっています。さらに「スーパー講師」といって「レーティングが 4.9 以上、かつ数多く(何百回)にわたり高い評価を受け取っている講師のみに表示」されるという称号もあります。

実は先日ドタキャンしてきた方はこのスーパー講師でした。また、けさ受講したときもスーパー講師でしたが、この方はとても気さくではあるものの、自分ばかりが話していて、ちっともこちらに発言させてくれないタイプの方でした。こういう言い方は失礼ですが、スーパー講師にも「はずれ」はいるのです。あるいは学ぶ側のニーズに合う・合わないということもあるのでしょうね。けさの方も、こちらがもっと会話に割って入れるくらいの力があれば、丁々発止でおもしろいレッスンになったのかもしれません。

食べログやアマゾンなどでもそうですが、星の数や評価はやはりあまり当てにならないのでしょう。それにしても、先日のような数分前のドタキャンに関しては、講師側にもある程度ペナルティみたいなものが設定されるべきではないかと思います。こちらも仕事やプライベートの時間をやりくりして予約し、待機しているのですから。Camblyさんにもご提言申し上げてこようかな。

こう見えて失語症です

脳出血によって失語症になった夫との十年間をまとめた、米谷瑞江氏の『こう見えて失語症です』を読みました*1フリーランスのライターだった米谷氏は夫の抱えた障害をきっかけに失語症や脳そのものへの興味がわき、ついには言語聴覚士の資格まで取って転職されたそう。そのバイタリティと行動力にまず敬意がわきますし、なにより「オット」氏との間に築いてこられた信頼と愛情に、こちらも我が身を振り返ってさまざまなことを考えさせられました。


こう見えて失語症です

失語症とは、基本的には脳出血や外傷などで脳の特に言語をつかさどる部位が損傷を受けることによって起こる言葉の障害です。それは聴く・話す・読む・書くといった言葉にまつわる能力にさまざまな影響をもたらすのですが、人によってその影響や障害の程度は千差万別なのだそうです。

オット氏の症状は「ウェルニッケ失語」と呼ばれる種類のもので、主に言葉を聴くことが困難になり、言葉の理解が難しいだけでなく発話もチグハグなものになってしまうのだそう。それでもオット氏は懸命なリハビリに加えて周囲の人々の協力を得ることで、現在では復職をはたすまでになっておられるそうです。

私がこの本で学んだことは多々あります。失語症そのものの知識や理解もさることながら、障害を受け入れ、障害とともに生きていこうとされるオット氏と米谷氏ご夫妻の前向きな考え方に感銘を受け、またそうした人々を受け入れる寛容な人間社会のあり方について考えました。

特にオット氏のポジティブかつ穏やかな性格が、周りの人々の寛容さを最大限かつ自然に引き出しているのではないかと、読みながら何度も「では自分だったらどうするだろう、どうなるだろう」と自問自答しました。

私の妻が数年前にクモ膜下出血を起こした際にも感じ、人からも言われたことですが、この病気(脳出血などによる機能障害)は、その人のそれまでの生き方や家族のあり方が問われるようなところがあると思います。

私の妻は手術後の後遺症でいわゆる認知症と似たような症状に陥っていたときも、まるで老猫が日がな眠っているような穏やかさでした。妄想や徘徊などはありはしたものの、こういう言い方は変ですが私自身それほど大きなストレスを感じることなく、救われる思いがしたものです。

もし私が逆の立場だったら……自分の中にある短気でせっかちな、関西弁で言うところの「イラチ」な性格が何よりも表にあらわれて、周囲にネガティブな感情を撒き散らすのではないか、そんな気がします。そうならないように自分の生き方を変えていかなければ(遅きに失したとはいえ)とこの本を読んで改めて思ったのでした。

*1:この本は、本棚の一角を借りてミニミニ書店を開くことができる「100人の本屋さん」で見つけて買いました。私もこのスペースの「棚主(たなぬし)」なのですが、米谷氏もそうだったのですね。いつかお目にかかることができたらいいなあ。

ゲノム編集の世紀

「CRISPR-Cas9」(クリスパー・キャスナイン)と呼ばれるゲノム編集技術の開発によって、2020年のノーベル化学賞が贈られたジェニファー・ダウドナ氏とエマニュエル・シャルパンティエ氏。この二人の研究を主軸に、ゲノム編集技術の発展と現状、これからの可能性についてまとめた『ゲノム編集の世紀:「クリスパー革命」は人類をどこまで変えるのか』を読みました。


ゲノム編集の世紀:「クリスパー革命」は人類をどこまで変えるのか

筆者のケヴィン・デイヴィス氏は学術誌として最も権威のある『ネイチャー』などの編集に携わったジャーナリストで、これ一冊で直近までの(コロナ禍に突入した頃まで)ゲノム編集界隈の知見はかなり詳細につかめると思います。私自身は最初、「GMO(Genetically Modified Organism:遺伝子組換え作物)」への興味からこの本を手に取りましたが、その範囲を大きく超えて、ワトソンとクリックによるDNAの二重螺旋構造の発見から今日に至るまでの流れを学ぶことになりました。

とはいえ、そこは素人ですから、読みすすめるのは少々苦労しました。もとより650ページを超える大部であることと、これはちょっとネガティブな物言いになりますが翻訳が少々生硬(誤植も何箇所か。でも内容が内容だけに生硬になるのも仕方がないかもしれません)なのとで、かなり時間がかかりました。

それでもこの本を読みながら、自分の思考はやはり科学・化学的なところから人文学・哲学的なところに降りていくような感覚を味わっていました。ゲノム編集に関する話題は、それが莫大な利益を生み出す産業と密接に結びついているために、とかく世知辛い話になりがち(そういう話もこの本には多少盛り込まれています)ですが、ケヴィン・デイヴィス氏の視点はむしろ人間の存在とは何か、生命とは何か、ゲノム編集技術をより良い世界のためにどう活用すべきかに向けられれているという印象を受けました。だからこそ私のような文系の「人文学・哲学的なところに降りていきたがり」にも読めたのだと思います。

いくつか印象深かった点を挙げると、まずヒトゲノムの基本的な解読宣言(2003年)があり、昨年には「完全解読」という報道がありましたが、それでも今後への応用についてはなお未知の部分が残されているという事実です。とくに人間ひとりひとりのゲノムには微細な違いがあって(それが個性を形作っている)、それが例えば生殖を行った場合にどうお互いに影響し合うのかなどは分かっておらず、それをも踏まえて人間のゲノム編集が倫理的にOKとなるまでにはまだまだ道のりが遠いことを知りました。

この点で、2018年に中国の賀建奎氏が「クリスパー」を使ってヒト胚を編集し、世界初の「クリスパーベビー」を誕生させ(てしまっ)た行為が、どれほど杜撰で軽率だったかもよくわかります。この本ではこの事件についてかなり詳細かつ批判的に書かれています。

また身体の障害や病気などを抱えた社会的弱者を生み出さないための「クリスパー」技術の応用についても、この本は思考を促してくれます。クリスパーベビー事件が教えるように、この技術の応用は今後も飛躍的に進んでいくでしょうし、おそらくクリスパーベビー事件以上の深刻な状況が生まれるリスクもはらんでいます。

世界の食糧問題や人口問題を乗り越えるためのGMO技術という点で、私はこの本を読んでかなり自分の考えが変わりました。でもそれがこと自分も含めた人間の身体にまで及ぶとなると、それは例えば優生思想やナチスによるユダヤ人問題の「最終的解決(=ホロコースト)」、あるいは人々の格差の助長にもつながりかねない……と、かなり大きな危惧を抱きます。

この本の終章近くに引用されていた、哲学者マイク・パーカー氏の言葉が印象に残りました。「最良の人生というのは必ずしも、すべてがうまくいく人生ではない。人類の繁栄には強さと弱さという両面が含まれているのだ」。ゲノム編集が遺伝子の「改良」を目指すものである以上、人類の「強さと弱さ」を共存させつつこの技術を発展させていくためには相当の哲学的、あるいは倫理的な思考と教養が必要ではないでしょうか。まだまだ私たちはこの技術の応用について考え抜いていない。その意味でも私はこの本で基本的な知見を得ることができてよかったと思います。

世代交代のサイクルを回したくない人々

今朝の東京新聞に、ニュースキャスター・安藤優子氏へのインタビュー記事が載っていました。ウェブ版でよりボリュームの多い全文が読めます。安藤氏が昨年上梓された『自民党の女性認識「イエ中心主義」の政治指向』(明石書店)を引いて、自民党の「イエ中心主義」が政治や社会にもたらしている影響などを述べているのですが、本当にどうしてこの国は……と読みながら何度もため息をついてしまいました。

www.tokyo-np.co.jp

いやいやいや、ため息ばかりついている場合ではありません。私たちも私たちの「持ち場」でできるところから声を上げ、選挙の折にははっきりとした意思を示さねば。


自民党の女性認識『イエ中心主義』の政治指向

ところで近日来、経済学者の成田悠輔氏と実業家の堀江貴文氏がメインの対談動画で、成田氏が「高齢者は老害化する前に集団切腹すればいい」などと発言したという記事がNYTに載り、それがきっかけで世界中で大炎上……という話題がネットをにぎわせています。


www.youtube.com

私も興味を持ってこの動画を全部見てみました。たしかに扇情的なタイトルや物言いはあまりにも危うすぎますし、誤解も招きやすいだろうなあとは思ったものの、「世代交代のサイクルが回らない」ことが日本における喫緊の(そしてもう何十年も続いている)大問題だというのは、その通りだと思いました。

その意味ではこれは、安藤氏の問題提起とかなり近いところにある議論だと感じました。ネットではとかくこうした大炎上に載っかってバッシングに加担したがる方が多いですが、権力を握って離そうとしない+世界観や価値観のアップデートができない人々に引導を渡していくことから目をそらさないのが大切ではないかと。

その意味で今回の大炎上は、最近にわかに著名になった成田氏に対する「出る杭を打つ」雰囲気が濃厚だと私は思います。そうやって議論を封じてばかりいるからいつまで経っても古い考え方がはびこり続けるのです。そしてまた、自分もその「年齢高め・男性」という属性を持つ人間として、自分がその「世代交代のサイクルを回さない側」になってはいないかと我が身を振り返っているのです。

オンライン中国語会話

オンライン英会話が何とか続いているので、オンライン中国語会話も試してみようと思いました。私は日常的に中国語を用いる仕事をしてはいますが、現在メインで行っているのは中国語から日本語方向への通訳や翻訳の教育です。学生さんは圧倒的に中国語母語話者が多く、そのほとんどは日本語のアウトプットの量を増やし質を高めることが目的です。

というわけで、私自身が中国語のアウトプットを大量に行う機会は存外少ないです。同僚の中国語母語話者と会話する機会はあるものの、話題は業務上のことに限られています。加えて、もうかつてのように第一線で通訳業務を行ってはいませんから(いや、フリーランスの頃ですらとても「第一線」とは言えないレベルでしたが)、これではどんどん力が落ちていくのではないかと危惧するようになりました。「寄る年波」もありますし。

それでネットでいろいろなサービスを比較検討して、とりあえずDMM英会話の「無料お試し」で中国語の先生と会話してみることにしました。DMM英会話は世界中の英語母語話者と、母語話者ではないけれども第二言語として英語を流暢に話す講師が多数在籍していて、その中には台湾の講師もいらっしゃるのです。普段は英語講師としてレッスンを担当されている台湾の講師が、中国語も担当しているという形のようです。なぜか台湾出身以外の講師はいらっしゃらないみたい。


https://www.irasutoya.com/2019/12/blog-post_24.html

DMM英会話は「スタンダード」という第二言語として英語を話される講師のみ選べるコースと、それに加えて「プラスネイティブ」という英語の母語話者やその他の言語の話者も選べるコースがあります。中国語はこの「プラスネイティブ」に入っていて「無料お試し」では受講できませんが、1500円のチケットを買うと1回だけ受講できる(その後プラスネイティブを申し込むとキャッシュバックされるようです)というので、それを試してみました。

アメリカに在住されているとおぼしき台湾出身の講師と25分間、中国語で話しました。最初なのでフリートークにしましたが、もし継続するなら事前にネットニュースの記事などを選んでおいて、それをレッスンで共有しながらディスカッションする……みたいなのがいいかもしれないね、とアドバイスをもらいました。なるほど。

DMM英会話は“Daily News”という教材がとても充実していて、実は英語の「無料お試し」レッスンを受けた時に「あなたのレベルだったらこれを利用するといいよ」とおすすめされていました。実際にレッスンでも使ってみましたが、なかなか「歯ごたえ」があってよいです。

ともあれ、たくさん中国語で話すことができて、とても楽しかったです。他社のオンライン中国語会話は1レッスン50分というところが多いのですが、DMMは25分でこれも私の暮らしや仕事のリズムに合わせやすいかな(すきま時間でレッスンできる)と思いました。

パタゴニアのフーディニ・ジャケット

同僚に「これはけっこう重宝するよ」とおすすめされて、パタゴニアの「フーディニ・ジャケット」を買いました。ジャケットというか、ウインドブレーカーです。ナイロン100%でぺらっぺらの一枚なのですが、微妙に暖かくなったり冷え込んだりするこの時期、温度調節目的で使っています。たしかにかなり使い勝手がいいです。

www.patagonia.jp

胸のところにポケットみたいなファスナーが付いていますが、これはポケットというより、ジャケット全体を小さく折りたたんで収納するためのものみたい。かなりコンパクトになるので、カバンにいつも入れておけます。ほかにはポケットがついていないので財布や携帯電話なども入れられませんし、ゴアテックスみたいな防水性もないんですけど、薄手のセーターの上にこれを着て、さらにダウンジャケットを着ていると、とても暖かいです。

私はユニクロヒートテックがどうしても素肌に合わないので、これは本当にいい買い物をしました。パタゴニアの製品ですから、のちのち修理もしてくれそうですし。あえて難点をひとつ上げれば、ファスナーのパーツがとても小さいので、老眼の身としては着脱に多少手間取ることでしょうか。でもそのぶんとにかくコンパクトで(アメリカンサイズなのでふだんMを買う私もSにして正解でした)、重ね着をしているときの着ぶくれ感がないのもいいですね。