インタプリタかなくぎ流

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日の名残り

およそ20年ぶりくらいで、カズオ・イシグロ氏の『日の名残り』を読み返しました。私は2001年発行のハヤカワepi文庫版を持っていて、かつて読んだときにとても感動したことだけは覚えていました。でも今回、ふと書棚から手にとって読みだしたら、おおまかなプロットはともかく、細かい内容をほとんど覚えていなかったことに驚きました。


日の名残り

ですから、まあ、もう一度この小説を楽しむことができてよかったわけですが、20年ほどでこんなにも内容を忘れちゃうものかなあと。というよりこれは、20年前の自分ではじゅうぶんに読み解けなかった、味わい尽くせなかった部分が多かったということなのでしょう。事実、今回は読み終わってさらに深く心を動かされました。とりもなおさずこれは、自分がこの作品の主人公であるスティーブンスと同じ年代にいたったからなのかもしれません。

ティーブンスの年齢は作中で明らかにされてはいません。しかし、語られている過去が主に1920年代からの執事としてのさまざまな体験であること、その少し前からスティーブンスが執事としての職業人生を開始したことなどを考えあわせれば、ひとり語りをしている「いま」である1956年においてはおそらく還暦前後ではないかと考えられます。

英国の、それもあの時代の英国における一般的な隠退年齢がどれくらいだったのかはわかりませんが、それくらいの歳にいたれば誰だって己の来し方行く末を、それまでとは違うレベルの切実さで考えざるを得ません。そんな心境のときに読んだものですから、この小説の最終盤に出てくる「おそらく六十代も後半と思われる太りぎみの男」との会話は、とりわけ心にしみたのでした。

この作品の翻訳は、土屋政雄氏による、丸谷才一氏をして「見事なもの」と言わしめた名訳です。でも英語の原文でこの邂逅部分はどう書かれているのだろうと興味を持って、Kindle版の“The remains of the day”も購入してみました(以下、引用があります。ネタバレにご注意を)。




'Now, look, mate, I'm not sure I follow everything you're saying. But if you ask me, your attitude's all wrong, see? Don't keep looking back all the time, you're bound to get depressed. And all right, you can't do your job as well as you used to. But it's the same for all of us, see? We've all got to put our feet up at some point. Look at me. Been happy as a lark since the day I retired. All right, so neither of us are exactly in our first flush of youth, but you've got to keep looking forward.' And I believe it was then that he said: 'You've got to enjoy yourself. The evening's the best part of the day. You've done your day's work. Now you can put your feet up and enjoy it. That's how I look at it. Ask anybody, they'll all tell you. The evening's the best part of the day.'*1


「なあ、あんた、わしはあんたの言うことが全部理解できているかどうかわからん。だが、わしに言わせれば、あんたの態度は間違っとるよ。いいかい、いつも後ろを振り向いていちゃいかんのだ。後ろばかり向いているから、気が滅入るんだよ。何だって? 昔ほどうまく仕事ができない? みんな同じさ。いつかは休むときが来るんだよ。わしを見てごらん。隠退してから、楽しくて仕方がない。そりゃ、あんたもわしも、必ずしももう若いとは言えんが、それでも前を向き続けなくちゃいかん」そして、そのときだったと存じます。男がこう言ったのはーー「人生、楽しまなくっちゃ。夕方が一日でいちばんいい時間なんだ。脚を伸ばして、のんびりするのさ。夕方がいちばんいい。わしはそう思う。みんなにも尋ねてごらんよ。夕方が一日でいちばんいい時間だって言うよ」

日の名残り』の原題にある“remains”は、まずは文字通り「残り」「残り物」「名残り」……ということで、そこにこの男性が言うところの「夕方」と、あと「人生の黄昏時」が含意されているのでしょうし、そこには大英帝国と英国貴族の黄昏もがオーバーラップされていることは明らかです。

でもそれだけではなく、特にミス・ケントンとの関係やダーリントン卿に心服しきっていたという道徳的な判断の上で、スティーブンスが何を成しとげ・何を失ったかを熟考するために、彼の人生に残された時間を意味するのですね。それが「前を向き続け、楽しむ」ことなのだと。若い頃の私にはそれがはっきりとは分からなかったのです。でも定年を間近に控えた私にはとてもよく分かります。「夕方が一日でいちばんいい時間なんだ」と。これからの時間こそがより充実した時間になるのだと。

カズオ・イシグロがこの『日の名残り』を書いてブッカー賞を受賞したのは、35歳のときだったそうです。どうしてその歳で、すでにここまである意味老成した人生の哲理にたどり着けるのか、その点にもとても驚かされます。

*1:“friend”じゃなくて“mate”というのがイギリス英語らしい雰囲気ですよね。同僚の英語教師によれば、カズオ・イシグロ氏の文章はとても「エレガント」なんだそうです。私にはそこまで感じる力がありませんが。