インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

お屋敷と田園風景と大聖堂

イギリスの作家、カズオ・イシグロブッカー賞受賞作である『日の名残り(The remains of the day)』。かつてダーリントン卿に仕えた執事のスティーブンスが、現在のご主人であるアメリカ人の「ファラディ様」から休暇を取って旅行をするようにと勧められるところから物語が始まります。


日の名残り

この小説はアンソニー・ホプキンスの主演で映画化もされました。その際にお屋敷のダーリントン・ホールとしてロケが行われたのがバース近郊にあるナショナル・トラストの「ダイラム・パーク」だったそうです。お屋敷があるのは広大な敷地のほんの一部で(とはいえ巨大な邸宅ではありますが)、あとはよく手入れがされた林や草原がどこまでも続いています。しかもけっこうな起伏もあって、お屋敷見学の目的で訪れるというよりはハイキングを楽しむ場所のように思えました(ナショナル・トラストですもんね)。

www.nationaltrust.org.uk

ティーブンスは、ファラディ様から借りたクラシカルなフォードでイングランド西部を目指すのですが、出発してすぐに、すばらしい田園風景(スティーブンス自身の言葉を借りれば「品格のある風景」)を目にすることになります。たまたま出会った「痩せた白髪の男」に勧められて登ってみた丘の上の、ベンチが置いてある場所で。

私が見たものは、なだらかに起伏しながら、どこまでもつづいている草地と畑でした。大地はゆるく上っては下り、畑は生け垣や立ち木で縁どられておりました。遠くの草地に点々と見えたものは、あれは羊だったのだと存じます。右手のはるかかなた、ほとんど地平線のあたりには、教会の四角い塔が立っていたような気がいたします。(38ページ)

ダイラム・パークに行ってみた前の日に、私も偶然そんな光景を目にしました。そこは車で移動中に通りかかった場所で、一見なんの変哲もない草原の中の一本道なのに脇に何台か車が停まっていて、草原にもちらほらと人影があったので寄り道してみたのです。

草原を先まで進むとそこは丘の頂上になっていて、そこからの眺めはほんとうに美しいものでした。それに道路からは見えなかった丘の先にはなんとベンチまでありました。その日に泊まった旅館は丘の下に見えていた集落のひとつにあったこともあとから気づきました。遠くの地平線近くに、白い線のように光っているのはセバーン川の広い河口だと思います。

ティーブンスは1日目に泊まったソールズベリーで街の散歩を楽しみ、遠くからでも尖塔が目立つ大聖堂に立ち寄っています。私もダイラム・パークから南下してこの街に立ち寄りましたが、有名な観光地ではあるもののそれほど旅行客でごった返しているという感じではなく、ほっとしました。それまでに立ち寄ったコッツウォルズのいくつかの村はいずれもものすごいオーバーツーリズムぶりで(とはいえ自分もそのひとりですけど)、車で徐行しながら「走馬看花」するだけにとどめました。

ソールズベリーの大聖堂には、歴史の教科書に出てきた「マグナ・カルタ」の、現存する写本が展示されています。こちらもそれほど見学客はおらず、すぐに見ることができました。小さなテントみたいなブースの中に展示されていて、暗くて狭いので順番にじっくり見られるようボランティアとおぼしき係員さんが入場整理していました。待っている間に私が「老眼鏡が要りますよね?」と聞いたら、「そうそう、私も。文字がすごく小さいから」と笑っていました。