インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

Contexto

オンライン英会話で、通勤中に何をしているかという話になって、私がスマートフォンでDuolingoやWordleみたいなアプリやサイトで英語を学んでいると言ったら、「じゃあこれもやってみるといいよ」と“Contexto”をおすすめされました。Wordle同様に日替わりで英単語を当てるゲームです。


contexto.me

Wordleは5文字の英単語を当てるゲームですが、Contextoは文字数に制限はありません。“How to play”によれば、なにか英単語を入力するとAIが正解の単語との「類似性」を判断してスコアで判定してくれます。プレーヤーはこのスコアを参考にしながら類似の英単語を入力していって、最終的にスコア1の正解を当てるというもの。

こうやって説明すると何やらややこしげです。英会話の先生は「最初はちょっと複雑に感じるかもしれないけど、やってみたらすぐに分かるから」と言っていました。で、やってみた結果がこれ。

最初に“world”を入れたらスコアが278でした。新しい単語を入力するたびに、スコアとともにそれまで入力した単語がソートされて、より正解に近い単語が上に表示されます。私は最初「世界の食べ物とか人種とか文化とか、そっち系かしら」とあれこれさまよって低いスコアを連発した末、“business”が高スコアだったのをきっかけに「お金や経済系だな」と予想をつけつつ、38回目で正解の“stock”にたどり着きました。

wordleは英単語の母音や子音の連なりや発音のパターンを考えるように仕向けてくれます(例えばこの綴りは英語ではありえない、とか)が、このContextoはもっとダイレクトにボキャブラリーの多さ、連想の引き出しの多さが問われそう。存在しない英単語を入力すると弾かれるのはwordleと同じです。しばらく続けて遊んでみようと思っています。

こもかぶり

金沢のお土産に「こもかぶり」を買いたいと思っていました。薄いどらやきのような生地のなかに、小豆餡と栗が入っている和菓子で、紐をたすき掛けしたような形状と、そこに挟まれているひとひらの海苔が特徴です。その形状ゆえに作り方がとてもユニーク。こちらにその動画があります。


www.youtube.com

製造販売元の板屋さん金沢城址ちかくにあるのですが、あいにく定休日だったので金沢駅のなかに入っているお土産店街「あんと」で購入しました。お土産用とは別に自分で食べる用にも買ったので、さっそくいただきました。栗が甘露煮になっているためか小豆餡が甘さ控えめのあっさり味で、とてもおいしかったです。

こもかぶりの「こも」は漢字で書くと「薦」だそうです。推薦の薦ですね。冬の雪が多い金沢では、伝統的な土塀を雪による損傷から守るために、藁で作った「薦」を土塀に設置します。金沢の雪対策としては樹の枝折れを防ぐための「雪吊り」が有名ですが、「薦掛け(こもがけ)」も大切な作業なんだそう。こもかぶりはこの「薦掛け」を模したお菓子です。

それにしても「薦(こも)」と推薦の「薦(せん)」が同じ字だというのが面白いです。辞書によれば薦は「廌(ち)」という動物(羚羊=レイヨウの一種らしい)が食む草を表す漢字だそうです。現代中国語でも“推薦(tuījiàn)”という言葉は使われていて(というか、もともと中国から来た言葉ですね)、中国語の辞書にあたると“薦”は“草蓆、草墊”、藁の筵(むしろ)みたいなものの意味だそうです。

つまり植物の名前が先にあって、のちにそれが推薦の薦、つまり「薦める」という意味にも使われるようになったということでしょうか。なぜ筵から薦める意味が生まれたのかは謎ですが、さあどうぞどうぞと筵の上に座るようすすめるところから来たのかな。花見の季節でブルーシートの上に座っている方々を多く見たので、そんな牽強付会をしてみました。


https://www.irasutoya.com/2019/03/blog-post_50.html

泉鏡花記念館と金沢能楽美術館

金沢に来たのは初めてなので、ひととおり観光しようと思いました。が、なにせ人の多いところに酔ってしまう私なので、早朝から兼六園に出かけてきました。GoogleMapによれば、兼六園は朝八時から開いているそうです。しかもこの時期は「観桜期」で無料開放とのこと。

果たして兼六園は人がとても少なく、快晴の空と満開の桜とともに堪能しました。お隣の金沢城址も同様にまだほとんど人がおらず、ゆっくりと城址公園内を通り抜けることができました。自分も観光客のひとりなんですから、こんなことを言うのは大変わがままですが、やっぱり「人の少なさ」が観光においてはいちばんの贅沢だと思います。

お城をあとにして近江町市場を冷やかしたあと、前々から行きたかった泉鏡花記念館金沢能楽美術館へ。ここもほとんど人がいません。金沢は「加賀宝生」という言葉があるくらい能楽宝生流が盛んな土地柄で、「空から謡が降ってくる」という素敵な形容がなされる街です。能楽美術館のウェブサイトにもそんな説明がありまして、ふと興味を持ってウェブサイトの中国語版と英語版ではこのフレーズがどんなふうに訳されているのか見に行ってみました。

中国語版
此地也被形容成为“空气中都飘着能乐歌声”的城市。(簡体字版)
此地便被形容成「空氣中都聽得見吟唱」而蔚為特色。(繁体字版)
英語版
It was said that "Noh chants fall from the heavens", because artisans, including gardeners and carpenters, would sing Noh chants as they worked in high places such as in tree and on roofs.

中国語版はいずれも空気中に謡の声が漂っている(聞こえる)となっていて、空から降りてくるイメージはありません。英語版は“fall”だから「降りてくる」となっていて、しかも複数の“heaven”から降りてくると言っています。

私はこのフレーズについて、お茶屋街などの二階で謡の稽古をする声がそこここから聞こえてくる……といったようなイメージを勝手に描いていたのですが、英語版で補足説明されているように、職人さんたちが仕事をしながら謡を口ずさんでいる、それくらい謡が人々の暮らしに溶け込んでいる……といったイメージのようです。ネットで検索してみたら、「誰もが金沢では謡をたしなみ、植木職人が木に登りながら謡を口ずさんでいると、道を通る人が上から降るように聞こえたことからの例え」という説明もありました

お茶屋街の佇まいが残る一角を散策したあと、バスに乗ってホテルに戻る途中に兼六園金沢城址のそばを通過しました。いずれも相当な混雑になっているのを見やりつつ、午前のうちにホテルまで戻ってきました。

金沢おでん

福岡からプロペラ機で石川県の小松空港へ。生まれてはじめて金沢にやってきました。まったく土地勘がないのでどこに行ったらいいのかもよくわかりませんが、とりあえずその名前だけは知っていた「金沢おでん」を食べに行きました。泊まるホテル近くの赤玉本店。予約の電話をするも一杯でしたが、一階のカウンターは先着順ということで、夕刻早めの時間にお店に行ってみました。

入り口でタッチパネルから予約待ちの申込みをするスタイル。順番が来たらショートメールなどでお知らせしてくれます。最初60分待ちとの表示が出ましたが、結局30分ほどでお店に入ることができました。

金沢おでんははじめて食べましたが、と〜っても薄味でほんとうにおいしかったです。おまかせで二人前を見つくろってもらいましたが、けっこうな量があります。他にもいろいろおいしそうな料理があるので、お二人なら一人前だけ頼んで、あとは単品のおでんを追加していったほうがいいかもしれません。



「あと「どて焼き」という牛スジの煮込みがあるのですが、これがまた薄味で実においしかった。金沢は全体的に薄味の文化なのかしら。東京でたまに外食をするも、ことごとくその塩味の強さと味の濃さに閉口している私としては、地元の方がうらやましいです。他にも加賀野菜の金時草*1のおひたしや、白海老の唐揚げなども美味でした。



こちらは観光客にも人気で、テレビ番組などでも紹介されるようなお店だそうですが、そういうたぐいのお店にありがちながっかり感はまったくありませんでした。真冬のカニがおいしい季節だったら、おそらくカニのおでんもあるんでしょうね。またそんな時期に訪れてみたいです。

*1:きんじそう。私は「きんときそう」と読んでお店の方に笑われました。

食べあきない地元のラーメン

帰省二日目もお昼は地元の豚骨ラーメン屋さんです。東京の豚骨ラーメンに比べてあっさりしているからか、毎日食べても食べあきないんですよね。今日はおよそ十年ぶりくらいで、実家のすぐ近くにある「月天」というお店に行ってきました。ここはラーメンはもちろん、チャーハンも有名で、お客さんの多くがセットを注文するそうです。本当に久しぶりで、ちょっと泣けてくるくらいうれしかったです。

ちょうどお昼時で、近所にお勤めと思しきスーツ姿や作業服姿の方が店内に行列を作っていました。が、回転が早いのですぐに食べることができました。こちらの豚骨は「クリア豚骨」とまでは行かない白濁ですが、やはりとてもあっさり。普通のラーメンを頼んでもチャーシューたっぷり。チャーハンも塩味ひかえめで本当においしいです。

地元の豚骨ラーメンといえば、帰省したら必ず食べに行っていた東洋軒という老舗があったのですが、コロナ禍で数年帰省しないうちになんと廃業になってしまっていました。さらにその後、常連客だったお一人がクラウドファンディングで資金を募りつつ、もとのお店の近くで復活開店したのだとか。今回ネットで検索してみてはじめて知りました。東洋軒は私も以前ブログに書いたことがありますが、ご主人による店員の叱責がひどいとネットの口コミでもかなり批判されていました。新しいお店はどうなっているのかな。今回は時間がありませんでしたが、次回帰省したときはぜひ行ってみたいです。


www.youtube.com

クリア豚骨

二年ぶりくらいで北九州に帰省しています。帰省したらどうしても立ち寄っておきたいのが地元のラーメン屋さん。土地柄、豚骨スープのラーメンがおいしいのですが、そのおいしさはなんといっても「あっさりした豚骨」にあると私は思っています。

豚骨と「あっさり」は相反する概念のように見えるかもしれません。もちろん九州にも「ど」がつきそうなほど濃厚な豚骨ラーメンもあって、それはそれで人気なのですが、日常的に三日と開けず食べに行くようなお店のそれは、東京の我々が考えている豚骨よりもかなりあっさりしています。

おしなべて東京の豚骨ラーメンは、塩も油も濃すぎるように思います。九州の普段づかいの豚骨ラーメンはもっともっとあっさりしているのです。おそらく本場のあっさりした豚骨ラーメンだと、東京ではあまり受けないのかもしれません。でも私は、特に年を取ってからは、あっさりしたタイプの豚骨ラーメンがより好みになりました。

それで今回も帰省に先立って、どこかいいお店はないかしらと探していたのですが、そのとき「クリア豚骨」なる言葉に出会いました。豚骨ラーメンといえば白濁したクリーミーなスープをイメージしますが、クリア豚骨はその名の通り、かなり透き通ったスープで豚骨ラーメンというよりは塩ラーメンみたいな外観です。

そのクリア豚骨の最高峰と称されるお店があるというので、北九州空港に降り立つやすぐレンタカーで、有料の都市高速まで使って北九州市若松区にある「南京ラーメン黒門」さんに行ってきました。

評判通りのクリアな豚骨スープ。私にはそれでも塩がやや強かったけれど、本当においしい一杯でした。お店のメニューはラーメンとラーメン大、それにおにぎりだけ。お店の入口には「スマホ見ながらラーメン食べたい人」はお断りというきっぱりとした張り紙。なにかこう、求道的なものを感じます。

でもお店の雰囲気はとてもアットホームで、広い駐車場もあるし、わざわざたずねて行ったかいがありました。こういうクリア豚骨のおいしいお店が東京にもあるといいんだけどな。


追記

ネットで検索してみたら、東京にもクリア豚骨のお店があるって。なんだかとてもスタイリッシュな感じ。ぜひ一度行ってみたいです。

therestaurant-hiroo.com

満月の阿闍梨餅と一元屋のきんつば

世の中のアンケートでは「あなたは洋菓子派? それとも和菓子派?」みたいな問いは定番中の定番らしく、ネットを検索してみるとたくさん見つかります。アンケートに限らず、雑談でもよく登場する問いです。「そんなのどっちも派に決まってるじゃない」などと野暮なことは言わず、みなさん楽しく論争に参加するのがお好きみたい。

かくいう私も昔から甘いものが大好きで、もちろん洋菓子も好きですが、年を取ってより和菓子が好みになりました。上述したような各種アンケートでも、お若い方には和菓子はあまり好まれない傾向にあるとか、年齢があがるほど和菓子を好む割合が増えるなどの調査結果がみられます。


▲ちょっと古いデータですが、アサヒグループホールディングスの調査より。

和菓子にもいろいろありますけど、私はやっぱり小豆の餡を使ったものがいちばん好きです。ベタすぎるほどベタですが。ジムのトレーナーさんに、「トレーニングのあとは少し糖質を入れるといいですよ、大福一個でも」と言われて欣喜雀躍、ジム近くのコンビニに必ず寄って大福を買って食べているのは私です。おかげでコンビニの和菓子事情にはけっこう明るくなりました。

私が一番好きなのは「きんつば」で、ダイレクトに小豆の餡が楽しめるのと、餅とり粉が散らないのでコンビニのイートインでも食べやすいから。ファミリーマートのきんつばがお手軽でよく買っていたのですが、最近は見かけなくなりました。残念です。それで代わりに豆大福を買っています。

ファミマの豆大福はけっこう甘めですが、セブンイレブンの豆大福はちょっと甘みがあっさりしていて、こちらのほうが好みです。セブンのほうが餅とり粉も少なくて食べやすいですし。あとセブンは「芋きんつば」もおいしいんですよね。でもこれも最近はあまり見かけません。

……って、なにを縷々書き連ねているんだか。実は先日、京都に行ってきたという知人に阿闍梨餅(あじゃりもち)をもらったもので、つい。阿闍梨餅は京都の満月という和菓子屋さんが作られている、もちもちとした独特の食感が魅力の銘菓です。このなんとも言えぬ絶妙の食感に「やられちゃう」のです。

www.ajyarimochi.com

それで勢いづいて、今日は仕事で都心に出た帰りに、雨をおして半蔵門の一元屋まで行き、きんつばを買ってきました。ここのきんつばは甘さ控えめで本当においしいんですよね。いまのところ私のベストきんつばです。

www.1genya.com

情報に振り回されず英語を学びたい

年初に「今年は英語を重点的にテコ入れしてみよう」と思い立って、いろいろな学習メニューを日々の暮らしのルーティンに組み込んできました。といってもいわゆるスキマ時間をできるだけ活用するという程度の工夫ですが。もともと早起きでしたが、それをもう少し早めて、早朝のジムの利用を30分ほど前倒しにし、そうやって浮いた時間をオンライン英会話にあてています。

3ヶ月ほどいろいろ調整してきて、ようやくメニューが習慣化できてきたので、しばらくこの調子で続けてみようと思っています。オンライン英会話のCamblyは、ここのところずっとengooのニュース教材を使っています。日本のDMMが作っている教材ですが、世界中にいるCamblyの講師はいまのところ全員が「engoo? 知ってる。よくレッスンで使ってる」と手慣れた様子。定評のある教材なんですね。なのに無料で利用させてもらえるなんて、ほんとうにありがたいです。

Camblyはたまに講師から「ドタキャン」をくらってがっかりしたり、ローテンションで取り付く島がなかったりと、講師によって「当たり外れ」が大きいですが、おおむねみなさん熱心に教えてくださって、楽しいです。個人的な感想では「外れ」は全体の10%くらいといったところでしょうか。身も蓋もない言い方ですが、どんな語学学校や語学教室に通っても、講師の「歩留まり」はそんなもの(ひどい言い方でごめんなさい。でも学校によってはもっとひどいところもあります)だと思います。

オンライン英会話以外には、以前からやっているDuolingoとその他いくつかの語学アプリを主に通勤時間に使っています。あとはQuizletに作っている単語帳で語彙を増やすのと、オンライン授業の予習をするくらい。Camblyはすべてのレッスンが自動で録画されるので、本当は授業後にビデオを見返して復習もすればいいんですけど、ちょっとそこまで手が回っていません。

それにしても、以前にも書いたことがありますが、世の中にあふれる英語の教材の豊富で多種多様なことといったら。本当によりどりみどりで、しかも数多の英語の達人が書籍で、ブログで、YouTubeで、SNSで、学習のコツや教材の選び方からやや怪しげな精神論まで発信されていて、ものすごい量の情報があふれています。

それだけ世の中に、英語をなんとかして使えるようになりたいと思っている方があふれているということですよね。でも口幅ったいことを申し上げるようですが、そういった情報にあまり触れすぎるのは、かえって自分自身が混乱するもとではないかと私は思います。

そうした情報は「どれもそこそこ正しい」のです。どれも正しいがゆえに、ああコレもできていない、アレもできていないと自分を責めてしまったり、逆にアレもコレも全部やろうとして挫折してしまったりしがちです。よく病気の情報をネットで検索するなといいますよね。「ネガティブになるだけ」だから。あれと似ているような気がします。


▲真造圭伍『悪性リンパ腫で入院した時のこと』(短編集『センチメンタル無反応』)

思い返せば、自分がかつて中国語を学び始めた頃は、参考書のたぐいも今と比べればとても少なかったですし、YouTubeSNSなんてものもまだ存在していませんでした。それでも自分なりにコレとコレだけはやろうと決め、コレはと思った学校の先生のアドバイスに従いつつ学び続けてここまで来たのです。自分なりの学び方を見つけてきたというか、見つけてこざるを得なかったというか。いま中国語を学ぼうとされている方は、周囲にあふれかえる学習指南の多さにたじろがれているんじゃないかとお察しいたします。

でも語学は、どんな学習方法を選んだとしても、結局は地道な努力と反復の末に少しずつ少しずつ身についてくるものです。もちろん方法によっては多少の効果の出かたの差みたいなものはあるかもしれませんけど、長いスパンで見ればむしろ、どれだけ自分自身がトライアンドエラーを繰り返したかと、あきらめずに細々とでも学習を続けてこられたかどうかにかかっているように思います。

その意味ではオンライン英会話、おすすめです。なにせトライアンドエラー・エラー・エラーみたいな場ですから……おっと、自分もついうっかり他人を混乱させるような学習指南を行ってしまっていました。エラソーな物言いはこのあたりでやめて、また自分自身の学習に戻ります。

そういや、先日生まれて始めて受けたTOEICは680点でした。リスニングが380点、リーディングが300点。この回の平均スコアは624.7点だったそうですから、私はごくごく平均的なレベルということかしら。スコアが伸びていけばきっと励みになると思うので、今後も定期的に受けてみようと思っています。

新宿にウグイスが

東京は桜がほぼ満開になりました。なのに朝から雨が降っています。明日以降も天気はぐずつく様子。もう少し晴れの日が続いてほしかったですけど、こればかりは仕方がありません。

新学期が始まる直前のこの時期に有給休暇を消化する方が多いので、今日は職場に誰も来ていません。私は例によって激狭の自宅にいても落ち着かないし、早朝にはジムにも行きたいしで都心まで出てきて、ひとりで教材づくりをしています。でもいいのです。誰もいないと静かなことこの上なくて、仕事もはかどります。

この職場は新宿駅にほど近い渋谷区内にあるのですが、目の前には広大な廃墟(旧国家公務員宿舎だった千駄谷住宅)があるためか比較的静かです。私は毎日その廃墟を眺めながら仕事をしています。今日は人がいないせいかとりわけ静けさが際立ちます。

……すると、ウグイスのさえずる声が聞こえました。思わずスマートフォンのボイスメモで録音したのがこれです(風景は新宿の甲州街道沿いで撮りました)。春ですねえ。

youtu.be

フィンランド語でウグイス(ナイチンゲール。厳密にはウグイスとナイチンゲールは違う種類らしいのですが)は何というのかなと辞書を引いてみたら“satakieli”でした。“sata(100)”+“kieli(舌・言語)”。そのさえずる声が美しくてバリエーションが豊富だからこういう名前になったのかしら。


https://www.irasutoya.com/2015/02/blog-post_92.html

「むちゃぶり」というシステム

きのうの春分の日は、諸先輩方のお誘いを受けて、都内某所で謡の「自主練」に行ってきました。今年の秋に能『景清』の地謡に参加させていただけることになっていて、今日は大鼓と小鼓、それに能管(笛)を稽古されている方々に混じって一曲通しで練習する機会に恵まれたのです。

『景清』の謡はとても難しくて、本来であれば私のような若輩者が太刀打ちできるような曲ではありません。それでも諸先輩方がつとめる地謡の人数が足りず(八人必要です)、私にもお声がけいただいたという次第。伝統芸能のお稽古をする方があまり増えていっていない昨今だからこそ、私にもお鉢が回ってきたわけです。

私にとってはこれはいわゆる「むちゃぶり(無茶振り)」ではありますが、私みたいな者にも振らねば人が揃わないということでもあるわけで、ありがたく思うとともに少々複雑な気持ちでもあります。

しかし、ここ十年ほど能の稽古をほそぼそと続けてきてわかったことがあります。それは、こうした「むちゃぶり」こそが、実は自分をここまで能に引き留め、引っ張って来てくれた最大の要因であったのだなという点です。たとえば、師匠から「じゃあ今度は、これをやってみましょうか」と振られるいわば「次の課題」が、ことごとく身の丈にあまる難しい内容であることが多い。というか、ほとんど毎回それ。

これは能の稽古に限りません。ジムのパーソナルトレーニングでも、トレーナーさんは実によく「むちゃぶり」を仕掛けてこられます。こちらの限界のちょっと上を行く運動であったり、ウェイトの数字だったりを設定してくる。ハードルの上げ方が巧みなのです。「楽をさせてくれない」と言い換えてもいいかもしれません。


https://www.irasutoya.com/2019/01/blog-post_22.html

そうやって今の自分にはちょっと難しすぎると思うようなタスクを振ってこられるのが、師匠にせよ、諸先輩方にせよ、トレーナーさんにせよ、実に上手なのです。でもたぶん、私がそう言ったら師匠をはじめみなさん「いや、そこまで細かくは考えてないですから」とおっしゃるはず。

でも受け手側の私がそれらの「むちゃぶり」によって必死についていこうとした結果、なにがしかの成果なり達成なりが出たのだとしたら、これは実に巧みな教育法ということになります。細かくは考えていなくても(多分考えてらっしゃるとは思いますが)それぞれの芸や技に真摯に向き合っておられるからこそ、意識するとせざるとに関わらずそういう教育効果が現れてくるのではないかと。

能楽ワキ方下掛宝生流能楽師の安田登氏が、「社会的資源としての能」という文章でこんなことをおっしゃっています。

能の稽古では、弟子を「初心」に飛び込ませるために「披き(ひらき)」とか「免状」というシステムを作っています。
(中略)
ある程度稽古をして、節(メロディ)、拍子、型という基本が大体わかってくると、急にそこに大きな「初心」を突きつけられます。
自分の実力ではとてもできそうもない演目を「やってみろ」と命じられるのです。ピアノやバイオリンとは違って指の動きが難しいとか、そういう技巧的なことではない。やれといわれてできないことはない。謡おうと思えば謡えるし、舞えといわれれば型をなぞることはできる。しかし、とても自分にはできない、太刀打ちできない、そんな風に思われる演目をやれと命じられるのです。
(中略)
ほとんどの人は、全く不本意なままお披きの日を迎えるでしょう。そして、無我夢中で舞台を勤める。当然、結果は不本意です。
しかし、それでもそのとき、その人は何かをぴょんと飛び越えているのです。そのとき、その人はまた新たな「初心」を迎えたのです。元来が弱い私たちは、自分で初心に飛び込むなんてそんなに簡単にはできません。
「披き」というシステムを使って「初心」に無理やり向かい合わせる、それが能の稽古に隠されている「初心忘るべからず」のシステムなのです。
安田 登「社会的資源としての能」|慶應丸の内シティキャンパス(慶應MCC)

ここで「披き」を課されているのはプロの能楽師ですが、私のような素人の趣味においても、また能に限らずあらゆる技術の習得においても、この外からの「むちゃぶり」によって「『初心』に無理やり向かい合わせる」というプロセスはとても大切で、かつ必要不可欠なもののような気がします。

おのれの能力を見定めるのは、実は自分ではないのです。自分で自分の能力を見定め(られると思っ)ているうちは、成長はおぼつかないのかもしれません。

15年も通っていた

いつも髪を切ってもらっているヘアサロンの店長さんが、今年中にお店をたたむつもりだとおっしゃっていました。たたむといっても廃業するわけではなく、「発展的解消」をしてスタッフそれぞれが新たな道に進むことにしたのだそうです。店長ご自身も場所を変えて、新たな自分のお店を持つことになったのだそう。

このお店は髪を切るスタッフ(スタイリストさん?)が5〜6人いるのですが、それぞれが独立したり他のお店に移ったり違う仕事にチャレンジしたりするそうです。みなさんまだまだお若いし、そうやって次のステージへ向かうというのはとてもいいことだなと思いました。

人間の髪は生きている限り伸びてきますし、髪を切るのはいまのところ機械化が最も難しいたぐいの作業であるらしい(洗髪だけなら一部機械化されているようです)ので、コロナ禍においても店長さんのお仕事は変わらず順調なのだと思っていました。でもお話をうかがってみると、どこのお店もけっこう栄枯盛衰があるみたい。今回発展的解消をすることにしたのも、コスト面などいろいろと考えた結果だそうです(ヘアサロンはかなり電気代がかかる業種なんだそう)。

私はジムへ行くために東京は表参道や青山あたりの裏通りを歩くことが多いのですが、あの辺りにはたくさんヘアサロンがあって、たしかに新しいお店ができたり、それまであった場所から消えていたり、入れ替わりがそれなりにあるように感じます。私が行っているお店も同じエリアですが、過去には店舗の規模が大きくなったり、また小さくなったり、さらに別の場所に移転したりといろいろ変化がありました。


https://www.irasutoya.com/2014/08/blog-post_586.html

そう、思い起こしてみればもうずいぶん長い間このお店で髪を切ってもらってきたのでした。個人的には自分好みに上手に切ってもらえるのと、他にお店を見つけるのがめんどうなのと、あと毎回「いつものように」で注文が済んじゃうのとで、ずーっとこのお店。もともと理髪店とかヘアサロンに行くこと自体が苦手(「他愛ない会話」などいろいろ気を使うから)なので、私があまり会話を好まないことを知ってくださっているこのお店に通うのが一番ラクなのです。

帰り際に店長さんとそんな話になって「そういえばいつ頃から来ていただいていましたかね」とパソコンの記録をさかのぼってもらったら、2008年からでした。なんと15年近くも同じお店で切ってもらっているという……。新しいお店は下北沢に作るそうです。うちからも近いので、たぶん引き続きお世話になり続けるのだろうなと思います。

人が人であるかぎり

先週職場の学校で「研究活動報告会」というものがありました。これはそれぞれの教員が日々行っている授業や教材作りなどの実践を報告し、広く共有しようという企画です。私は通訳や翻訳の授業を行っている教員を代表して、訓練や実習の実際をスライド資料にまとめてプレゼンしたのですが、最後に設けた質疑応答の時間に、このような質問がありました。

「AIが急速に発達している今とこれからにおいて、こうした通訳翻訳教育、あるいは語学教育じたいの意義が薄れていくことになりはしないか、それについてどう考えているか」。こういった報告会あるいは発表会にありがちないわゆる「意地悪な質問」ではなく、質問された方ご自身も語学教師なので、これはとてもクリティカルな問いなのだと共感しつつ受け止めました。というか、この質問は今回のみならず、これまでにもいろいろな方から問いかけられてきました。

私自身は、どんなにAIが発達して例えば通訳や翻訳の自動化が実現したとしても、外語や通訳翻訳を学ぶ意義はなくならないと思っています。それは外語学習が自分の意識を母語の枠外へ拡張する営みだと思うからです。人間は母語によって世界を切り取り、認識しています。その母語とは違うやり方で世界を切り取り、認識しようとするのが外語学習だと考えているのです。

ですから外語を学ぶこととは、自分の世界の切り取り方、認識の仕方にバリエーションを増やしていくことです。それは人間のものの見方や考え方に、多面的な思考や複眼的な思考をもたらします。それが人類にとってどれほど有益であるかは、狭い世界に閉じこもってフェイクな言説を撒き散らす人々の存在を見ても明らかです。外語学習は、AIが発達した未来にこそより必要とされるスキルあるいはリテラシーではないでしょうか。

qianchong.hatenablog.com

牽強付会に聞こえるかもしれないけれど、自動通訳や自動翻訳が発展していけばいくほど、私たち生身の人間が外語を学ぶ意義はますます強まる。人が人であるかぎり、外語学習はなくならない。そう思うのです。そりゃもちろん、就職に有利だからとか、たくさんお金が稼げるからなどといった理由で外語学習に手を出す人は激減するかもしれません。でもそれらは、外語学習の動機としては元々いささか「不純」なものだったのです。


https://www.irasutoya.com/2016/12/blog-post_146.html

きょうび、ChatGPTなどの登場で、学生のレポートもそれに頼る輩がわんさか出てくるのではないかと、教育現場はある種戦々恐々としています。でも私は、この件に関してそこまで憂いていないのです。むしろこれからは、本当に学びたい人だけが学ぶ、そしてそんな真剣な学習者にこちらも刺激をもらうことができる、外語学習にとってはいまよりも理想的な環境になるんじゃないかと思っているからです。

もちろん学習者が激減すれば、そんな悠長な事を言っている間もなく日々の糧をどう稼ぐかという現実的な問題が降り掛かってくるわけです。でもそれも長期的に見れば、「自分の母語の内輪に閉じこもって教養や感性を磨かない→それなりの経済的達成しか享受できない」となって、つまりここにも市場原理が働いて、結局はやっぱりきちんと外語を学ぼうという人、外語学習のおおもとに備わっている意義を見出す人が復活してくると信じています。

逆にそういう人たちがまったく出てこなくなる未来が到来するのだとしたら、それこそが人間がAIに凌駕されてしまったという真の意味でのシンギュラリティなのでしょう。

qianchong.hatenablog.com
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寝るのにも体力が要る

日曜日はなるべく用事を入れないようにしています。平日はもちろん、土曜日も働いていることが多いので、せめて日曜日だけはゆっくり寝ていたいなと思って。でもたいがいは早朝に目が覚めてしまいます。ふだんは朝の5時、へたをすると4時台には起きているので、休日だけ起床時間をずらそうと思っても身体が自然に反応してしまうのです。

もうひとつ、加齢にともなって、そもそも長く寝ていられなくなったということもあります。健康のために、ここ数年はとにかくよく運動してよく食べてよく寝ることを自分に課していて、できれば毎日8時間の睡眠を取ろうとしています。でもまるまる8時間寝られることはまれで、7時間くらいがいいところ。忙しくて睡眠時間が取れないのではありません。8時間も寝られるほどの体力がなくなっているのです。

そう、歳を取ると寝るのにも体力が要るんですよね。お年寄りの朝が早いのは、あれは惰眠をむさぼるほどの体力がなくなっているからだと思います。若いときは、休日ともなればそれこそお昼の12時近くまで寝ていられました。寝ても寝ても寝たりないし、二度寝をするのが何よりの快楽だったのです。

それが歳を取るとともに、だんだん早朝に目が覚めるようになり、なおかつ二度寝をしようとしてもそれが「しんどい」と感じられるようになりました。しんどさを抱えたまま横になっているよりは、起きて家事をするなど体を動かしたほうがまだラクだというので、起きちゃう。

この、ああもうこれ以上寝ていると「しんどい」という感覚を言語化して伝えるのはなかなか難しいです。周囲の同僚に言っても、みなさんまだそこそこお若いので「え〜、そんなことある?」と取り合ってくれません。でもホントなんです。歳を取ると寝るのにも体力が要るのです。

それでもまあ、いまのところ私は、寝つきだけはとてもいいです。早朝からジムなどでけっこう身体を動かしているので、布団に入ったらコテンと寝てしまう。これで入眠もしにくくなったらかなりのストレスになると思うので、運動だけはサボらないようにしています。


https://www.irasutoya.com/2013/08/blog-post_2249.html

ぽっこりお腹に効くドローインとプランク

腰痛・肩こりと男性版更年期障害とでもいえそうな不定愁訴の解消を目指して始めたジム通いも、5年半近くになりました。最初はそうした不調の解消だけに特化したトレーニングをしていましたが、途中から筋トレそのものが面白くなってきてしまって、いまではほぼ毎日のトレーニングの半分が腰痛予防の体幹レーニング(肩こりは完全に解消しました)、半分は筋トレにあてています。

私はもう年齢が年齢だけに筋トレをやってもそんなにマッチョにはなれません。でも中高齢者はあまり痩せ過ぎていないほうがよい、健康的な小太りのほうがよいらしいので、私は少し体重を増やすことを目的に筋トレを行い、食事にも気をつけるようにしています。なかなか体重が増えないのがここ1年くらいの課題でしたが、最近ようやく少しだけ増えて70キロ代に乗るようになりました。

上背はそれほどないので、健康診断などで出てくるBMIなどの数値では肥満気味にカテゴライズされてしまいます。でも計画的に太ることを目標に置いているので気にしないことにしています。これからもトレーナーさんのアドバイスなども聞きながら、もう少しだけ健康的に太りたいと思っています。

ところで太りたいと思ういっぽうで、すでにしてじゅうぶん「ふくよか」も部分があります。それは中高年につきもののぽっこりお腹です。「筋トレ大学」の山本義徳氏によれば、中年以降にお腹が出てくる理由としては二種類あるそうで、ひとつは「ぷよぷよ」、つまり皮下脂肪や内臓脂肪が溜まっていく場合。そしてもうひとつは「ぽっこり」、つまり内臓(胃や腸など)が下がって飛び出てくる場合だそう。


www.youtube.com

よくお腹を凹まそうと腹筋運動に力を入れる方がいますが、トレーナーさんによれば大胸筋などと違って腹筋(腹直筋)はそれほど大きくない筋肉なのでそこだけ鍛えてもなかなか効果は上がらないそうです。むしろインナーマッスルで内臓全体をコルセットのように包み込んでいる腹横筋を鍛えて、内臓全体を引き上げるように持っていくほうがいいのだとか。

上掲の動画によれば、「ぷよぷよ」はダイエットによって、「ぽっこり」はトレーニングによって改善が図れるのだそう。私は体脂肪率などからみておそらく「ぽっこり」型なので、それに対応するトレーニングをやってみようと思いました。そのための運動として効果的なのがドローインとプランクです。

ドローインは、息を吐ききってお腹を引っ込めたまま維持する、あるいはその状態のまま呼吸することで腹横筋や腹斜筋を鍛えるもの、プランクはうつ伏せになった状態で肘とつま先だけで体を持ち上げ、その状態を一定時間保つことで腹直筋などを鍛えるものです。


https://www.irasutoya.com/2019/07/blog-post_10.html

パーソナルトレーナーとの体幹レーニングでは、いつも「丹田」に力を入れたまま動作を行うよう指示されます。これはドローインと基本的に同じ考え方のようです。プランクも以前にトレーナーさんから教わって、これまでにも散発的に取り組んできましたが、これからこのふたつを積極的に日々のトレーニングに取り入れてみようと思います。

ドローインもプランクも、ネットに山ほど情報が上がっています。YouTube動画もたくさん。とくにこのプランク動画(↓)はとてもいいと思いました。目の前にスマートフォンを置いてこの映像を見ながら運動できます。運動の説明を聞いて、それではと自分でやってみるとどこか隔靴掻痒感があるのですが、この動画は動画を見つつリアルタイムで運動をする体裁になっているのでとてもわかりやすい。ストップウォッチ代わりに使えますし、休憩時間もちゃんと取ってくれて、しかもたった数分なのにかなりの運動になります。


www.youtube.com

しばらくこの動画でトレーニングを続けます。さて、数ヶ月あるいは数年経って「ぽっこり」が多少なりとも改善されているでしょうか。楽しみです。

マスクを外した春の到来がうれしい

東京では早くも桜が開花して、ようやく春がやってきました。今年の冬は、少なくとも東京は例年に比べて特別に気温が低いということもなかったようですし、雪もほとんど降らなかったくらいですが、個人的にはかなり寒さがこたえた冬でした。自己暗示にかかりそうだからあまり考えたくないですけど、やはりこれも年齢のせいなのかもしれません。とにもかくにも春の到来が本当にうれしいです。

もうひとつうれしいのは、今週から新型コロナウイルス感染症に関する政府の基本対処方針が変更されたことです。私自身は政府の方針以前にもうずいぶん前から往来でのマスクは着けない生活になっていますが、それでも人並みに他人の視線は気になる典型的日本人なので、よりいっそう「大手を振って」往来を歩けるのは素直に喜ばしいです。

厚生労働省のウェブサイトによれば「これまで屋外は原則不要、屋内では原則着用としていましたが、令和5年3月13日からマスク着用は個人の判断が基本となります」だって。どこまでも責任を取りたくない姿勢がにじみ出ていますが、これがこの国の国度、国柄(ひいては私たちの国民性)なのです。ここは精一杯の姿勢を評価すべきところなのでしょう。自分で言うのもなんですけど、年をとって私もずいぶん丸くなってきました。


https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/001067758.pdf

それでも往来で観察していると、まだまだマスクを外している方は少ないです。私はかなり早朝の時間帯に都心へ電車で出てきていますが、早朝の空いている電車内でもマスクを外している方はかなり少数派です。それでも上掲の方針が出たことで、少なくともこれからは私の姿を認めるや奮然と席を立って遠くに行ってしまうような方(これまでに何人か遭遇しました)にも出会わなくなるだろうなと小さな安心感をかみしめています。

いまのこの時期、花粉症などでマスクが手放せない方も多いでしょうし、私自身が「逆マスク警察」(?)にならないように気をつけたいと思います。マスクを着けるも外すも完全に個人の自由。三年ぶりにこういう気持ちになれたことも、春の到来のうれしさを増してくれます。