コミュニケーションにおいてはいわば「黒子」であるはずの通訳者、それも中国語の通訳者が主人公という珍しいドラマが始まるということで、とっても期待して見たNHKドラマ10の『東京サラダボウル』。原作は黒丸氏のマンガとのことで、こちらも電子書籍版を購入し、並行して読み始めました。
ドラマは全9回のうちまだ2回目までしか放映されていませんが、いまのところおおむねマンガのプロットに沿った作りになっているみたいです。となれば、やはりこれは、近年「『人種のるつぼ』ではなく『人種のサラダボウル』」論で語られるようになったアメリカ社会を念頭に置きつつ、さまざまな人種や言語や文化、そしてセクシュアリティが混在している現代の東京を描き出していくというストーリーになるのでしょう。
仕事柄とても興味をそそる内容ですし、第2回目で主人公の有木野了(松田龍平氏が演じています)が中国人の沈一諾という人物に通訳の種類(逐次通訳や同時通訳など)についてレクチャーするところなんかは、「まるでうちの学校でやってる授業みたい!」と同僚と一緒に盛り上がりました。中国語のスラング“打臉”をキーワードにした誤訳騒動も、すごく興味深い(というか身につまされます)。
ただ、松田龍平氏はとても頑張ってらっしゃる*1ので、こんなことを言うのは無粋なのですが、やはりセリフの中国語じたいはとても拙く、聞きづらくて、私自身はどうしてもドラマに入り込めませんでした。このドラマを見るのは主として中国語を解さない日本語母語話者の方々なのですから、そのへんのリアリティなど最初から追求していないことは分かっているとはいえ。
あと、無粋ついでに申し上げれば、ほかの出演者の演技もかなり表層的というか「つくりもの感」が否めません。どうして日本のドラマはこうなっちゃうのかな。中国語圏にもいわゆるアイドルドラマみたいなのはあって、お世辞にも質が高いとはいいがたい作品もあります。でもその一方で、俳優の演技に知性と技術の深みに加えて人間の深さをも十二分に感じる、こちらが襟を正されるようなドラマも多い。
かつて私は、自分が日本語母語話者だから日本人俳優の演技やセリフに対して不当に点が辛くなるのだと思っていました。逆に中国語圏や英語圏のドラマに優れたものを感じるのは、畢竟それらの言語が母語ではないからなのだと。でもここ数年、職場で接する多くの外国人留学生が異口同音に「どうして日本のドラマは演技のヘタなアイドルが主役をやるんですか」と言うのを聞いて、やはり現代日本の(かつてはいざしらず)ドラマの質は諸外国に比べて相対的に低くなっていることを認めざるを得なくなりました。
実際、私はもう長い間、朝ドラも大河もその他のドラマも、日本のものはほとんど見なくなりました。といってもテレビじたいをほとんど見なくなっているので、私が言ってもあまり説得力はありませんが。
▲井上純一『がんばってるのになぜ僕らは豊かになれないのか』p.5
かつて劇作家・演出家の平田オリザ氏が、諸外国では演劇専門の高等教育機関があるのに日本にはそれがないと指摘されていました。その後平田氏らが旗振り役となって兵庫県豊岡市の芸術文化観光専門職大学が開校したりしていますが、これとてまだ緒についたばかり。中国の「中央戯劇学院」、「上海戯劇学院」、「中国戯曲学院」や台湾の「国立台北芸術大学演劇学院」みたいな国立の学府はいまだありません。東京藝術大学にも演劇学科はないものね。
日本のドラマや映画をすべて見ているわけでもないくせに、ちょっと大風呂敷を広げすぎました。でも今回久しぶりに日本のドラマを見て、これは作り手の問題とともに受け手の問題でもあるのではないかと思ったので、こんな一文を書いてみた次第です。受け手がもっと厳しい意見(悪口ではなく批判)を持たなければ、日本のドラマや映画の凋落はもっとひどくなるのではないかと思うから。
*1:「中国語を話す役は初めてで、先生にマンツーマンで丁寧に教えてもらいました」とインタビューで語っておられます。