インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

SF小説をどうしても読み通せない

SF映画は大好きなのですが、小説となるとどうしても最後まで読み通すことができません。とはいえ中高生の頃は『宇宙英雄ペリー・ローダン』シリーズみたいな、いわゆるスペースオペラ的作品をたくさん読んだような記憶があります。でもよくよく思い返してみるに、SF好きの友人のおすすめ本をいくつかかじって何となく読んだような記憶がでっち上げられていただけで、実際にはほとんど読めていなかったのかもしれません。

SFといえば、ずいぶん前に「日本SF大会」というイベントで通訳業務を仰せつかったことがあって、その時にSFファンのみなさんの盛り上がりぶりに接して、憧れのような気持ちを抱きました。ああ、この輪の中に入ることができたら楽しいだろうなと。それ以来、何度も間欠泉的に挑戦してきたのです。


https://www.irasutoya.com/2018/06/blog-post_264.html

最初はまず古典からということで、レイ・ブラッドベリの『華氏451度』やロバート・A・ハインラインの『夏への扉』などを購入して読んだものの、いずれも最初の数ページで挫折してしまいました。オンライン英会話のチューターさんにおすすめされた、翻訳者の大森望氏をして「バカSFの歴史に燦然と光り輝く超弩級の大傑作」と言わしめたというダグラス・アダムスの『銀河ヒッチハイク・ガイド』も同様に数ページで挫折。

日本SF大会に私を呼んでくれた知人から「SF入門者が、そこからかい!」とツッコまれた伊藤計劃の『虐殺器官』もあえなく敗退しましたし、中国語圏で話題になった作品だからと半ば義務のようにして挑んだ劉慈欣の『三体』も、第一部だけはなんとか読み終えましたが、第二部と第三部は積ん読のまま。結局、第一部ともどもバリューブックスさんに買い取っていただきました。映画『メッセージ(原題:Arrival)』を見て興味を持ったテッド・チャンの短編集『あなたの人生の物語』と『息吹』も、いずれも最初の数篇しか読み進めることができませんでした。

なぜSF小説を読み通すことができないのでしょうか。フィクションを読まないわけじゃないですし、科学技術系のお話も宇宙論から物理学や数学、バイオに古生物にAIに人体……いずれも「好物」で、一般向けの本ですがあれこれと読んではいるのです。なのにどうしてSF小説だけはこうも歯が立たないのでしょうか。いつも拝見している冬木糸一氏のブログ『基本読書』で紹介されている本も、SFだけどうしても読了できません。

huyukiitoichi.hatenadiary.jp

私などが語るのもおこがましいですが、SF小説というものは、類まれなる想像力でこれまでに我々が見たことも聞いたこともないような世界を紡ぎ出すところがその真骨頂だと思います。でもおそらく私は、その想像力が紡ぎ出す世界に自らの想像力が追いついていかないのでしょう。でもそれをいえば、あらゆるフィクション作品が多かれ少なかれ想像力の翼を広げて物語が展開されるものであり、私の想像力もSF小説でなければ何とかその作品世界についていくことができます。もしやこれは、SF小説の世界はあまりに現実離れしており荒唐無稽にすぎると私の脳が決めつけて、初手から拒否の回路が働いているとかでしょうか。想像力の桁がひとつ上がるともうついていけなくなるとか。あまり考えたくないけれど「老い」の二文字が目の前にちらついています。

かくいう私も、カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』とか『クララとお日さま』などは最後まで読み通せた上に、深い読後感が残りました。佐藤究の『Ank : a mirroring ape』やアンディ・ウィアーの『プロジェクト・ヘイル・メアリー』は、いずれも巻を措く能わずの勢いで読了しました。

qianchong.hatenablog.com

『プロジェクト・ヘイル・メアリー』だけは真正のSF小説と言えるでしょうけど、そのほかの作品はSF小説に分類できるかどうか微妙なところかもしれません。それぞれが内包しているテーマは「ネタバレ」になりますから書きませんが、私は自分が生きているリアルな現代社会とかなり近しいところでしかフィクションを楽しめない体質になってしまったんじゃないかと思います。昔はけっこうぶっ飛んだ設定のフィクションも楽しんでいたような気がするのですが……やっぱりこれは「老い」の一形態なのかな。