帯の惹句に「定年バイブル」とあるのを見て購入した、早川良一郎氏の『さみしいネコ』。これもまた、偶然立ち寄った書店で本のほうから「呼ばれた」一冊でした。60歳で定年退職したあとの暮らしを綴ったエッセイ集で、その肩肘張らないたたずまいがとても心にしみます。
大正時代生まれの早川氏は1991年に亡くなっていて、氏がこのエッセイ集に記している定年後の暮らしは、いまからもう40年ほども前の東京が舞台です。さらにそこから時代を遡った昭和の日本、さらには戦争中、そして戦前の話もこの本には盛り込まれていますから、いまの感覚からすればかなり隔世の感がある風俗習慣も垣間見えます。
ことに早川氏はパイプが大好きなヘビースモーカーでいらしたようで、タバコの煙が大の苦手な私としては、ちょっとついていけない部分もたくさんありました。女性に対する表現や描写も、いまとなってはためらわれるたぐいのものだと思います。それでも読み始めたら巻を措く能わずの勢いで読了してしまったのは、やはりそこに流れる氏の独特のたたずまい、とくに定年後の心のありように惹かれたからです。
それに考えてみれば40年前の東京って、私がちょうど大学生だった頃のお話ですから、自分にとっては決して縁遠い世界でもなんでもないのでした。たしかにあの時代、いまよりもはるかにたくさんの誰も彼もが、そこここでタバコを吸っていました。いやもうほんとうに、こう言ってはなんですが「野蛮」な時代だったのです。
他にもこの本に出てくるエピソード絡みでは、犬を散歩させるときのルールだってずいぶんいいかげんでしたし、まるでレトロ写真を眺めるかのような銀座や地下鉄の風景も、自分がまさにこの目で見ていたもの・そのものなのです。あらためて自分がじゅうぶんに歳を取ってしまったのだなあという実感が湧いてきます。
早川氏はひとところに長くお勤めになり、定年退職に際しては手厚い厚生年金・企業年金に加えて退職金まで得たうえでの(それを預ける銀行の金利だって桁違いーーいや決して大袈裟でなく本当にひと桁違ってた)老後の暮らしだったようですから、そりゃ私たちとは違って心安らかに定年を迎えられたでしょうよ、とついひねくれたことを言いたくもなります。でも、このエッセイ集に示された人生(とりわけ余生)へのスタンスに接すると、なんだかこちらの心も軽くなるような不思議な気持ちになります。帯の「バイブル」もあながち惹句とは言い切れないのです。
早川氏は定年後の暮らしが楽しいとしきりにおっしゃっています。私は勝手に、カズオ・イシグロ氏の『日の名残り』の終盤に登場する、「隠退してから、楽しくて仕方がない」という「おそらく六十代も後半と思われる太りぎみの男」を思い出していました。
一箇所だけ、読んでいてこれはどういう意味だろうと思ったところがありました。友人とレストランでエビフライを頼んだら、揚げ過ぎで苦かったのでその友人は残したけれども自分は全部食べたというエピソードなのですが……
私は戦時中こういう訓練はしてある。それと兵隊で松茸めしというのを知っている。私は料理人の気分を悪くしないような習慣が出来ている。(189ページ)
前後の文脈に照らせば、ここに出てくる「松茸めし」は本当に松茸を用いた炊き込みご飯のようなものではなく、何かの比喩的な名称、それもネガティブな意味合いであろうと思うのですが、ネットを検索してもいっかな判明しないのです。いくつかのサイトには、欧米では松茸の香りを「軍人の靴下」と称して忌避するというお話が紹介されていましたが、早川氏がその身をおいた大日本帝国の軍隊とはつながりそうにありませんし……。戦時中の軍隊における「松茸めし」の意味するところについてご存じの方がいれば、ぜひご教示願いたいです。