インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

腰痛放浪記 椅子がこわい

中国語で「ぎっくり腰」のことを“閃腰”といいます*1。腰に閃光が走るかのような形容は言い得て妙で、漢字の造語力とイマジネーション喚起力に驚嘆しますけど、もちろんこれを患った当事者からすればそんな呑気なことを言っている場合ではありません。

私が最初にぎっくり腰をやってしまったのは30歳くらいのときでした。会社で年末の大掃除をしている時に、重い資料キャビネットの引き出しを外して持ち上げようとして「閃いて」しまったのでした。

それ以来「癖になる」との巷の噂通り、私は何度もぎっくり腰を繰り返してきました。さらに中年にいたっては腰痛そのものが慢性化し、いまも日によって軽重はあるものの、腰に何らかの違和感を覚えない日はないといっていいくらいになってしまいました。

ほぼ毎朝ジムに通っているのも、筋トレのためというより、まずは腰痛予防のためです。ですから最初に30分ほどは入念に腰痛対策を念頭に置いた体幹レーニングをしてからウェイトトレーニングに入っています。トレーニングを休むと腰痛が悪化する、あるいは悪化しそうな感じが身体に訪れてくるので、落ち着きません。まさに宿痾というやつですね。

いまはジム通いによって、なんとか際どいところで腰痛の侵攻を阻んでいる感じですが、ここにいたるまでには、それはもうさまざまな方法を試してきました。どうやら骨がずれているなど器質的な問題ではないことは明らかなようでしたので、マッサージはもちろん、鍼灸も試しましたし、整体やカイロプラクティックもいろいろなところに行きました。ちょっと怪しげな療法を謳う治療院にもあちらこちらへと通っています。でもそのいずれも奏効しませんでした。

ですから先日偶然見つけて読んだ夏樹静子氏の『腰痛放浪記 椅子がこわい』は、のっけからその描写に引き込まれました。私などよりもっとひどい原因不明の腰痛に苛まされた夏樹氏は、西洋医学東洋医学を問わず、ありとあらゆる病院や診療院・治療院に出向き、片っ端から様々な療法を試します。


腰痛放浪記 椅子がこわい

同じ腰痛でも、程度や症状は千差万別だが、ほとんどの人に共通するのは、「患ってはじめて、腰が身体の要だという、文字の意味を悟らされた」と述懐することだ。私もつくづく同感というほかない。
重症の腰痛に長く苦しみ、その末に治った人の経験談が、私には何より慰めと励ましになった。苦しみが長いほど、そして完治したケースほど好ましい。(52ページ)

しかし、いずれの療法もまったくと言っていいほど効果がなく、夏樹氏は絶望し、はては希死願望まで持つにいたる……。ところが三年後にある医師のもとで、しかしその医師は指一本触れることなく、夏樹氏の腰痛は雲散霧消してしまうのです。

基本的にこの作品はかなり個人的な闘病記であって、その性質からしてもエンタテインメントなどではありえないはずのものです。ところが『Wの悲劇』など傑作ミステリを多く生み出してきた夏樹氏ならではの筆致で、読み進むうちにまるで謎解きに立ち会っているかのような高揚感が訪れてくる。こんな読書体験も珍しいです。

なぜ腰痛が消えたのかについては、これこそミステリ小説の「ネタバレ」にあたりますからいっさい書けません。また、そもそも疾患というものが個々人によって千差万別であるがゆえに、それが万人に当てはまるような万能の処方箋でもないことはきちんと踏まえておく必要があろうかと思います。

それでも私はこの本を読み終えて、自分のこれまでの長い腰痛との格闘史(だってもう四半世紀以上になるんだもの)をふりかえりつつ、いまとこれからの生き方について大きな示唆のようなものを受け取ったような気がしました。読み手を選ぶ作品だとは思いますが、私は一筋の光を見たような気持ちになりました。

*1:“閃到腰了”とか“把腰閃了”、“腰閃了”などのように使います。