インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

マウントフルな人生

「マウントおじさん」という言葉があります。あるいは「マウンティングおじさん」とも言うでしょうか。自分が他人よりも優れていることを見せつけようとする男性のことを指し、とくに、自分の経験や知識や能力などを誇示して、相手を見下ろそうとする行動をとる人がそうカテゴライズされます。

マウンティング(mounting)とはもともと動物行動学の用語だそうで、手元の国語辞書には「サルがほかのサルの尻に乗り、交尾の姿勢をとること。霊長類に見られ、雌雄に関係なく行われる。順序確認の行為で、一方は優位を誇示し他方は無抵抗を示して、攻撃を抑止したり社会的関係を調停したりする」とありました。ここから比喩的に「人間関係の中で、自分の優位性を誇示すること」をも表すようになったわけですね。さらには「マウントを取る」などという言い方もよくされるのはご承知のとおりです。

こうした使い方はいわゆる「和製英語」に属するものだそうですから、英語でこの意味を表そうとしてそのまま“mount”や“mounting”を使うと奇妙な印象を与えそうです。いっぽうで英語の比較的新しい言葉には“mansplaining”があります。“man(男性)”+“explain(説明する)”からの造語で、これも国語辞書によれば(すでにこの言葉が載っています)「男性が女性や年少者に対して、見下した態度で説明する行為」です。

きょうび性別を云々するのはあまり意味がないのかもしれませんが、いずれにしても主に男性がこういうことをやらかすんですね。しかもそこでは「おじさん」、つまり中高年の男性が強くイメージされています。私がまさしくその中高年男性なので、気をつけなきゃいけないなあと思っています。

語学業界というのはこの「マウント」がとても行われやすい環境のようでして、以前このブログにも書いたことがある「威張り系」や「昔取った杵柄系」の方々も、マウントおじさんの一亜種と申し上げてよいでしょう。先日も、とある語学学校の公開講座で話しておりましたところ、講座の内容とはほとんど関係のないところで「◯◯は✕✕ですよね」、「他にも△△という言い方がありますよね」としきりにご自分の知識を披露してマウントを取ってこられようとする中高年男性に遭遇しました。

qianchong.hatenablog.com

通訳者をしていたころも、シンポジウムなどの質疑応答の時間になるときまって「質疑」ではなく「マウント」あるいはご自分の考えを延々と開陳され(その結果、質疑応答の時間を大幅に消費してしまう)る御仁が出没して、会場の方々はもちろん、通訳者一同も鼻白む……というようなことがよくありました。

なぜ人はマウントを取ろうとするのか。その機微に深く切り込んだ『人生が整うマウンティング大全』を読みました。著者のお名前がマウンティングポリス氏なら、この本が書かれた目的も「『マウンティング地獄』から脱出し、「マウントフルネス」を謳歌するためのノウハウを余すことなくお伝え」することだそうです。


人生が整うマウンティング大全

お読みになればわかると思いますが、全篇これマウントの分析に貫かれている同書は、つまり一種のパロディです。ただ著者のマウンティングポリス氏は徹頭徹尾、マウントという行動を分析しつくすという姿勢から少しもブレることがありません。「(笑)」や「なんちゃって」などで自己ウケなりネタばらしなども行われず、巻末の「おわりに」にいたるまでパロディや諧謔であることを一切明かしません。

そういうマウントネタの数々を最初は爆笑しながら読んでいたのですが、ほどなくときどき冷や汗が流れるようになり、ページによってはかなり悶え苦しむ羽目に陥りました。そう、この本にはまるで自分のことを指摘されているのではないかと思えるネタが多いのです。そう言われてよく考えてみれば、私のこのブログのあの文章もこの文章も、ほとんどマウントではないかと。

そもそもが私的な日記を堂々と公開しちゃうブログというものは(SNS全般がそういうものですが)、その成り立ちからしてかなり「倒錯」した代物なんですよね(はてなブログも、もとは「はてなダイアリー」でした)。きょうのこの文章だって、こんな本を読んでいるオレって面白いだろというマウントである可能性は高い、あ、そういえば上段で書いた「通訳者をしていたころ」というのもマウントかも、英語の“mansplaining”を解説しているくだりも、昨日のYチェアの文章も、その前の『日の名残り』も……そう考えはじめると、もはやネット上では何も書けなくなってしまいまいそうです。

マウンティングポリス氏に指摘されるまでもなく、自分もすでにしてマウントフルな人生を送っているのでありました。