インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

まずは語らずに聞く

「マンスプレイニング(mansplaining)」という言葉があります。男を意味する“man”と、説明・解説を意味する“explain”をつなげた造語で、「一般的には『男性が、女性を見下すあるいは偉そうな感じで何かを解説すること』(Wikipedia)」です。日本でこの言葉はまだ人口に膾炙しているとまでは言えないかもしれませんが、ネット上ではかなりよく目にするようになってきたと思います。

この言葉については、「男性が女性に、だけなのか?」をはじめとして、主に男性の側からの反論も同じくネットではよく目にしますが、これだけ議論されるということ自体、多くの人が「ああ、たしかにそういう傾向はあるかもしれない」とうっすら思っていたことの証左になっているような気がします。私自身はというと、うっすらどころか自分のこれまでの言動に思い当たることが多くて、反省することしきりです。「マンスプレイニング」と、こうして名前がつくことでより明確にその実態が見えてくることって、あるんですね。

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https://www.irasutoya.com/2017/10/blog-post_791.html

先日もジムのパーソナルトレーニングで、休憩中にトレーナーさんと話をしていた際、この「マンスプレイニング」が頭をもたげてしまいました。もっともその時のトレーナーさんは男性でしたから「マンスプレイニング」の定義とはずれるのかもしれませんが。その時の話題は、最近の中国政府の振る舞いに関するもので、ここのところ香港の問題や米中の対立など話題に事欠かない中で、中国政府ないしは中国共産党の強硬ぶりに「あれ、どうなんですかね」的な疑問ないし嫌悪を示されたので、私がつい語ってしまった、“explain”してしまったのでした。

このトレーナーさんに限らず、どなたかにお目にかかって話をしている中で、私が中国関係の仕事をしているということを知ったときに一様に示されれるこうした疑問というか嫌悪というか(いや、もうちょっと正確に言うなら「ちょっと、引いちゃう」的な)そうした反応に接することがもうけっこう長く続いています。

私はもちろん中国という国の立場を代表してはいませんし、正直申し上げて今の中国政府のありようには甚だ疑問を持っている人間です。が、そうした天下国家の大きな話はさておき、中国政府と一般の中国人は分けて考えるべきだと思っています。それは日本政府の今のありようと日本人としての自分をごっちゃに語られちゃたまらんというのと同じです。せめてその点についてだけは理解してほしいなと思って、いつもつい自分の思いを語ってしまうのです。

こういう話はちょっとした雑談程度で語れる問題じゃありません。けれども、私としては自分の周囲に多くの中国人がいて、そのひとりひとりの顔が浮かぶだけに「せめて中国という国と個々人とは注意深く見分けてほしい」と思ってつい語っちゃうんですね。でもその結果は往々にして「引かれちゃう」。中国という存在(国と人がごっちゃになった状態の)にちょっと引いてるところに、私の“explain”でもっと引いちゃうわけです。何やってんだと思いますけど、じゃあってんで「そうですよね、中国、困っちゃいますね」的に適当にお茶を濁すのも本意でなく……。

ティーブン・R・コヴィー氏のあの有名な『7つの習慣』には確か、「自分の経験談や自分の自叙伝を得々と聞かせるのではなく、相手を本当に理解しようと思って聞く」というような話がありました。そのひそみに倣えば、「中国、あれ、どうなんすかね」的な疑問ないし嫌悪が示されたときには、なぜその人がそう思ったのかをまずは聞いてみるべきなのかもしれません。いきなり「いや、でも中国といってもいろんな側面があってですね」などと語り始めるのではなくて。