書店で偶然見つけて、この本を買いました。幡野広志氏の『うまくてダメな写真とヘタだけどいい写真』です。スマートフォン登場以前に小さなカメラを持っていたことはありますが、それが趣味といえるほど傾倒してはいませんでしたし、スマートフォンの登場以降は旅行に行ってもスマートフォンでしか写真を撮ってきませんでした。
ただ、いつもスマートフォンで撮った写真になんとなく違和感を持っていました。自分の眼で見ている風景や光景と、スマートフォンで撮った写真との間に大きなギャップがあるように感じていたからです。スマートフォンのカメラアプリにもいろいろな設定があるようで、これは単に自分が使い方を知らないだけかもしれない、とも思います。でもそれなら一度「ちゃんとした」カメラを買って、写真のことを学んでみたいなと思ったのです。
結果から言うと、幡野氏のこの本は私のような初心者がカメラや写真のことを学ぶのにはちょっと向かないと思いました。文章はとても魅力的ですし、カメラや写真について知らなかったこともたくさん教わってとてもおもしろかったのですが、どんなカメラを買ってどのように使っていけばいいのかを手取り足取り教えてくれるわけではありません。
それどころか、いきなりなんの説明もなく(あとから説明されますが)RAWとか35mmのレンズとかの言葉が出てきて、そのたびに読書を中断してネットで検索する……ということを繰り返しながら読みました。また最後の方になって写真に関する技術的な話がまとめて出てきますが、ここも私のような素人には急に難しく感じられて、ちょっとついていけなくなりました。
それでもこの本は、私にとってはとても読み応えのある一冊でした。それは幡野氏が、カメラや写真にとどまらない、どんな仕事にも共通するようなある種の哲理を諄々と説いているからです。いや、仕事にもとどまらない、これは人の生き方や世界観にまでつながる哲理だとさえ思いました。この本はカメラや写真のことを「教える」という内容ですから、その意味では私がその末席に連なっている教育についての話でもあるのでした。「写真に大切なのは写真以外の知識と経験です(83ページ)」、「写真をはじめる前に、人間をはじめましょう(112ページ)」……これ、写真を語学に置き換えてもまったく同じです。
幡野氏は繰り返し「写真は考える仕事だ」とおっしゃっています。そして自分で考えなさい、自分で調べなさい、自分で学びなさいとも。つまりは、本当に写真のことを知りたいと思っているなら、自主的に、自発的に学びを起動させなければいけないよ、と繰り返し説いているのです。この本の文章の行間からは、そういう幡野氏の叱咤激励がたびたび聞こえてきます。
Amazonでこの本のレビューを徴すると、五つ星をつけて好評価を書き込んでいる方は多いですが、それと同じくらい、いやそれを上回るくらい否定的なコメントも多いです。いわく、口が悪い、文句や批判が多すぎる、文章が不愉快、息子の自慢ばかり……。そういう方々は幡野氏のたとえば「写真を舐めるな」といった物言いに反感を覚えるのかもしれません。
でも、なにかを教えるという立場にある人だったらこれは本音中の本音ですよ。私も「通訳や翻訳を舐めるな」と何度言ってきたことか。ただ昨今それはパワハラやアカハラだと返されかねない世情です。あるいは「それはあなたの意見ですよね?」的な冷笑的態度をもって迎えられるか。何かを学ぼうとする前に、まずは真っ当な人間としての謙虚さを持ちたいものです。これもまた、この本から私が受け取った大切なメッセージでした。
しかしなんですね、Amazonのレビュー欄は以前から参考にならないと感じていましたが、エコーチェンバーとフィルターバブルにまみれたSNSに限りなく似てきましたね。もとよりAmazonは、自分の購入履歴や閲覧履歴をもとにアルゴリズムで私向けのおすすめをしてくるアテンション・エコノミーの総本山みたいなところもありますし。
やっぱり本は大型書店や独立系書店の店頭で手にとって購入するのがいいな。「ポチッ」とクリックひとつで購入できる便利さは無上のものですが、あえて「本に呼ばれる」体験をするために書店へ足繁く通うことも大切だなと。というか、どうせ老い先短いんだし、これからはもうリアルな書店で偶然出会った本(と、あと図書館で見つけた本)だけ読むことにしてもいいかな。そんなことを思いました。