インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

文字を書く体力

今朝の新聞に載っていた、小学校の教員で育児雑誌の編集者をされている岡崎勝氏のコラムが興味深いものでした。子どもの「文字を書く力」が低下しているというお話です。パソコンやタブレットなどの普及に伴って、生活全体から文字を書くという習慣が失われつつあるというのです。学校でも、そして家庭でも。

確かに、私自身もペンや鉛筆などを手に取って文字を書く機会はかなり減ったように感じます。ほとんどの文章をパソコンで書いていますし、手紙や葉書に文章をしたためることもなくなってすべてがメールかチャットです。たまさか文字を書く機会ーー例えば内線電話の伝言メモなどがあっても、それすら面倒だなと感じてしまう始末。

翻訳の添削や課題の採点など、以前は赤ペンを手にいろいろと手書きをしていたものですが、いまではワープロソフトの校正機能を使ってコメントをキーボードから打ち込んでいます。それでも通訳訓練の教案を作るときなど、資料を読みながら下線を引いて訳語や注釈を手書きで書き込むということはまだけっこうやっています。

でも上掲のコラムによれば、子どもたちは学校現場でももうほとんど手書きをすることはなく、それに伴って文字を書くいわば体力までが衰えているのではないかというわけです。文字を書くのに体力も何もないでしょうと思っちゃいますが、我が身を振り返るとあまり笑えない話です。私も文字を手書きするのはしんどいなと正直思ってしまいますもん。

以前、アルファベットの筆記体はもう学校で教えなくなっているという話を書いたことを思い出しました。あれもパソコンなどが普及した現代では不必要なスキルになっちゃったのです。

qianchong.hatenablog.com

でも、この記事にもあるように、文字を手書きするのは一種の身体技能です。鉛筆やシャープペンで文字を書くときなど、芯が折れない程度の適度な筆圧を指先で調整する必要がありますし、例えば筆記体を書くときにも文字全体のバランスというか美しさを考慮しつつ筆記用具を操る必要がありますが、そういう身体技能はもう、現代の子どもたちには備わる必要も備える必然性もなくなっているわけです。

それがいいことなのか悪いことなのかは、にわかには判断できません。そのぶんキーボードでの入力や画面の操作などの身体技能は格段に高まっているはずですし、その意味では現代の子どもたちは以前とはまた違う新たな身体技能を獲得しているとも言えるかもしれません。ただ私はこの記事にある「力が入ってない」という部分にやや不穏なものを感じます。

子どもの体力は、体格の向上にもかかわらず低下し続けていると言われています。さらに「自分の身体を操作する能力の低下」もつとに指摘されているとのこと。

kodomo.recreation.or.jp

パソコンの普及からこちら、私自身も文字の「ど忘れ」が増えてかなりまずい事態に陥っているという認識がありますが、文字の認知どころか文字を書く体力そのものが低下しているとしたら、これはもう生物種としては一種の「退化」なのではないかと思ってしまいました。こんど写経にでもチャレンジしてみようかしら。