インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

ちょっと勇み足だったかもしれない

しつこいようですが昨日にひきつづき、アン・モロー・リンドバーグの名言とされる「人生を見つけるためには、人生を浪費しなければならない」の出典が見つからない件……といいますか、どなたが “One must lose one’s life to find it” を「人生を見つけるためには、人生を浪費しなければならない」と訳されたのかについて。

この「名言」、Googleでダブルクォーテーションマークを使った完全一致検索をしてみると、ものすごくたくさんの引用が見つかるものの、出典に触れているものはありませんでした。そこで「期間を指定」して検索をかけてみたところ、2010年に「名言ナビ」というサイトで引用されているのが初出だとわかりました。ただし、こちらも出典は明記されていません。

meigennavi.net

2018年まではこの「名言ナビ」だけしか検索結果に現れないのですが、2019年になって突然ヒット数が増えます。この年は山口周氏の『仕事選びのアートとサイエンス 不確実な時代の天職探し』が出版された年で、この本の94ページにこの名言が引用されています。

「自分は何が得意か?」という問いは、転機を迎えた人ならごく自然に向き合わざるを得ないものですが、その問いに答えるために一日部屋に閉じこもって沈思黙考しても、あまり有益な示唆は得られません。とにかく運動量=モビリディを高めることで、色々と実際に試してみなければならないのです。
人生を見つけるためには、人生を浪費しなければならない。
アン・モロー・リンドバーグ

さらに2020年、山口周氏の『ビジネスの未来』が出ると(この本にもこの名言が引用されています)、さらにヒット数が増えていきます。「人生を見つけるためには、人生を浪費しなければならない」は山口周氏のいわば「持ちネタ」のようで、ご著書以外にもさまざまなウェブサイトの記事でこの言葉が紹介されています。

honsuki.jp

というわけでこの名言は、山口周氏が「名言ナビ」から引用して使うようになったか、もしくはご自身で『海からの贈物』の原著 “GIFT FROM THE SEA” にある “One must lose one’s life to find it” を「人生を見つけるためには、人生を浪費しなければならない」と翻訳して紹介されるようになったかのいずれかで、その後急速に広まったのだろうと推測されます*1。またもちろん「名言ナビ」さんがどこからこの日本語訳を引いてきたのか(あるいはご自身で訳されたのか)、その出典を知りたいところです。

ただこれは昨日も書いたように、アン・モロー・リンドバーグの言葉ではなく、アン・モロー・リンドバーグが聖書から引用した言葉なのでした。

qianchong.hatenablog.com

ここでちょっと疑問に思うのは、1967年から新潮文庫で出版されている吉田健一訳の『海からの贈物』にはこの一文が聖書からの引用であることを示す「キリストの言葉通り」という補訳が入っており、これを山口周氏がスルーして「彼女の随筆にはそこここに柔らかな光を放つ宝石のような一文が埋め込まれていますが、これは中でも珠玉といえる至言でしょう」などと書かれるだろうかという点です。「そこここに」というからには、アン・モロー・リンドバーグの随筆(『海からの贈物』とは限りませんが)を読まれているはずでしょうし。

でもまあ、この件は究極的には山口周氏ご本人にうかがってみるしかないわけで、これ以上の詮索はやめておきましょう。ただ “lose one's life” を「人生を浪費する」と解したうえで「私たちは『浪費』や『無駄』という言葉に、非常にネガティブなイメージをもっています。でもその『浪費』こそが、自分らしい人生を見つけるために必要だとリンドバーグは言っているわけです(『ビジネスの未来』218ページ)」と解説してしまったのはやや勇み足、あるいは牽強付会のそしりは免れないものだったのかもしれないと思います。

そしてまた私もこのブログで、この「名言」を孫引きしたうえで「傍目には明確な目標を持っていないかのように見える遠回りや寄り道、あるいは無駄に思えるような行動に、意外な転機がつながっているのかもしれません」などと書いてしまったのは、いわば俗耳に入りやすいたぐいの名言の再生産にやはり勇み足で加担してしまったみたいで、内心少々忸怩たるものがあります。反省しています。

qianchong.hatenablog.com

*1:実は『仕事選びのアートとサイエンス 不確実な時代の天職探し』は2012年に出版された『天職は寝て待て』の改訂版で、この本ですでに「人生を見つけるためには、人生を浪費しなければならない」が引用されているようです