インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

語学は母語の枠外に自分を拡張させる営み

昨日は、英語をはじめとする語学はとにかく泥臭くて辛気臭くて、かつ長い時間を費やすものなので、全国民あげて幼少時からそんなものに狂奔しなくてもいいのではないか……というようなことを書きました。でも私はその一方で、語学には汲めども尽きぬ魅力があり、確実に人生を豊かにしてくれるので、大いに学ぶべきだとも思っています。

矛盾しているかもしれません。でも私は、現在のように語学が何か将来の金銭的な豊かさを担保するアイテムとして捉えられ、そのためにみんなこぞって……というのは不毛だし、じっさい語学で「食べられる」というチャンスはみんなが想像しているより少ないと思うけれど、それでも語学を細々とでもやり続ける意味はとても大きいと考えます。

そんなことを考えていたら、今朝こんなツイートに接しました。


わはは、私にとって語学は、まさにほとんどボケ防止です。いま学んでいるフィンランド語なんてマイナー(失礼)な言語は、いまから学んだってどこまで習得できるか分からないし、フィンランド以外、スウェーデンエストニアのごく一部でしか通じそうにないこの言語をマスターしたところで「金銭的な豊かさ」などもたらされようもありません。

でも語学がボケ防止というのは存外深い意味があるようにも思えます。それは語学が母語の枠外に自分を拡張させる営みだからなんですよね。外語を学ぶことで、母語とは違う「世界の切り取り方」を身につけることができる。母語とは違う仕方で、この世界を眺めることができる。

f:id:QianChong:20210630094256p:plain
https://www.irasutoya.com/2016/03/ar.html

外語を使っている(書いたり話したりしている)とき、自分の周囲の人や事物がとても新鮮に感じられることがよくあります。そして外語を使っている自分自身が、まるでこれまでの自分とは違っているような感覚になることも。私は中国語を話しているときは明らかに自分の性格が変わっているのを感じます。いつもはとても控えめで(わはは)引っ込み思案で人見知りな性格なのに、中国語を操る自分はとてもポジティブでアグレッシブなのです。

人類が太古の昔から自らの母語の内輪のみで思考していたら、私たちはここまで進化して来られなかったのではないかと思います。自分とは異なる仕方で世界を切り取る人たちと接し、その人たちが言わんとすることを理解しようと努力し続けた末に、人類の思考は何度もブレイクスルーを重ねてきたのではないか。人類が母語の内輪のみでしか思考しない状態が長く続けば、そのうち表現がどんどん痩せ細って、コミュニケーションは「咆吼」のレベルにまで退化したのではないか。そんなとんでもない夢想をすることがあります。

そう考えると、あの「神がバベルの塔を破壊し、人々の言語をバラバラにした」という神話の意味は本当に深いですよね。バラバラになった差異を乗り越えようとして人類は外語を学び、自己を拡張することで知を豊かにしてきたわけですから。知は差異に宿っていたわけです。

qianchong.hatenablog.com

上掲のツイートが批判されている元のツイートは「語学 ボケ防止」で検索するとすぐに見つかりました。そのツイートでは語学も費用対効果で考えるべきであり、言語が内包している文化体系を理解するところまで行くのはとてつもなく長い時間がかかるので浪費でしかなく、性能のよい機械翻訳を使えばよいではないかと主張されていました。

私はここにも一理はあると思います。人生は短く、語学にばかり時間をかけていられる余裕はありません。私が昨日書いた「英語をはじめとする語学はとにかく泥臭くて辛気臭くて、かつ長い時間を費やすものなので、全国民あげて幼少時からそんなものに狂奔しなくてもいいのではないか」というのも同じような意味です。

けれど、言語の文化体系まで深く体得して、俗に言う「ネイティブなみ」にはなれなかったとしても、私たちが母語の枠組みを抜け出して自分の思考様式を拡大ないしは変質させていくことは、きっと人生をより豊かにしてくれると思います。Google翻訳やDeepLの開発者さんだけにそんな愉しみを独占させておくなんて、もったいないではありませんか。

ある外語を学んで、その外語の表現では自分の感覚にとてもしっくりくるのに、いざそれを日本語で表現しようとするとできない……なんてのは外語学習者の「あるある」です。そこでは確実に新しく外に拡張された自分が生まれているような気がします。外語を学ぶ愉しみはそんなところにもある。これが中国語をほそぼそと何十年も学び続けている自分の実感しているところです。いやいや英語を学んでいる・学ばされているお若い方々にもその実感が届けばいいなと思っています。