世界三大料理といえば、フランス料理・中華料理・トルコ料理なんだそうです(根拠は薄そうですが)。かつて私は外国人留学生が取り組む日本語のお芝居で、その他の料理たちがこの「世界三大料理」入りを目指すバトルを繰り広げるというプロットの脚本を書いたときに、こんなセリフを入れました。
●イギリス料理: 島国と言われれば、このイギリス料理様が黙っちゃいないぜ!
●中華料理:アンタ、あんまり美味しくないから。
●イギリス料理: しっ、失礼な! フィッシュ・アンド・チップスのうまさを知らないのか? それにローストビーフだって……
●イタリア料理: はいはい。イタリアのフリットやタリアータのほうが数千倍おいしいから。
そんなステロタイプな「定評」のあるイギリス料理を取り上げつつ、そのステロタイプに真っ向から批判を加える興味深い一冊『舌の上の階級闘争 「イギリス」を料理する』を読みました。著者は「コモナーズ・キッチン」というグループで、そのメンバーは「パン屋と農家と大学教授」なのだそうです。
第一章の「ベイクドビーンズ」における「イギリス料理は不味い」説に対する苛烈とも言えるほどの批判が、この本の全体を貫く通奏低音になっています。コモナーズ・キッチン氏は*1、「このほとんど病理学的にも聞こえる常套句を真に受けて、その『不味さ』の理由まで辿ろうとする人間まで出てくるから始末が悪い」と前置きしたうえで、とある著名な政治学者がその理由を産業革命に求めていることを俎上に載せ、こうおっしゃいます。
こうやって因果関係を説明したつもりになって「イギリス料理は不味い」などと平気で口にするような御仁には、自らが惰性的に慣れ親しんでいる味覚の範囲内でしか「美味しさ」を味わえない感性の欠如と、美味しいものの情報を探索することのできない知性の退化をさらけ出してしまったいるということにもっと自覚的になってもらいたい。(11ページ)
う〜ん、これはすごい。外野の私でさえちょっとハラハラさせられるほどの苛烈な批判です。他にもこんな批判が。
そもそも食べ物の味というものは、素材の状態、調理人の技量、食事環境、食べる人間の体調や心情、そもそもの「好み」などによって、いくらでも変わりうる。それだけ複雑な条件が重なって判断されるものであるはずなのに、やれ「イギリス」料理は不味い、やれ「日本」料理は美味いなどと、国民や国家の名という余計な形容詞に引きずられて十把一絡げに味を云々するのは、文字通り蒙昧な態度と言えよう。(33ページ)
いや、でも、確かに。いささか自己弁護めいて気が引けますが、私が上述のお芝居のセリフを書いたときにも、同じようなことを考えました。このお芝居では国どうしのステロタイプな見立て方を戯画化して、それがいかに不毛なことかと笑い飛ばすことをコメディのベースに置きました。それをさまざまな国から集まっている外国人留学生が演じる*2こともまた、そうしたステロタイプを無効化する試みになるんじゃないかと思って。
「食べ物の味を云々すること」については、こんな鋭い指摘もあります。
ついでに言えば、「味」は食べ物の良し悪しが判断される際の基準の一つでしかない。価格や入手のしやすさ、料理や食事にかけられる時間、使用できる道具や設備、後片付けの簡単さなどを加味して、人は何を作り、何を食べるのかを選択する。味のみに集中できるのは、準備や後処理を他人にまかせ、上げ膳据え膳で食事を取ることができる(と考えている)者たちの特権なのだ。(同)
これには諸手を上げて賛成です。食に関する書物や食について論じる文章を読んでいてときに違和感を覚えるのは、その筆者があきらかに日々の暮らしの食全般について自ら手を下していないことが透けて見えるようなときです。そこでは往々にして生産者から消費者にいたる食材の流通や、食事をととのえる背後にある家事労働についての視点などが欠けているように思えるからです。
それから「ジェリードイール(ウナギのゼリー寄せ)」と「ミートパイ」に関する章では「臭いと香り」についてこんな記述が。
魚や肉を口に入れて「まったく臭みがない!」と感嘆している食レポを見るたびに幻滅する。それは「香りがしない!」ということとほぼ同義だからだ。「香り」のない食べ物は味がないのと一緒。よくもまあ自分の味覚の貧しさを公共の電波に乗せて恥ずかしくないものだ、と逆に感心させられる。(137ページ)
これもまた痛烈な批判です。でも確かに、食に関する形容については、その語彙の乏しさや貧しさに慣れてしまっていないだろうかと自問することは大切かもしれません。「バカウマ」とか「まったり」とか「まいう〜」とかばかりじゃなくて。かつてワインの勉強をしていたときに、講師の先生が「白ワインや日本酒を飲んで『飲みやすい! 水みたいにスイスイ飲める!』なんてことを言うのだけはやめましょうね」とおっしゃっていたのを思い出しました。
……とまあ、辛口の部分ばかり紹介しましたが、この本はこうした典型的ブリティッシュな食のあれこれ、つまり「フィッシュ&チップス」や「マーマレード」や「キュウリのサンドイッチ」や「プディング」などなどを、その文化背景や、さらには歴史・映画・文学などに絡めて紹介し、さらに詳細なレシピも加えた楽しい一冊です。ものによって豪華さの度合いは多少違えども、基本的にはどれも「さもない」庶民の料理で、なおかつ上述したように「イギリス料理は不味い」というステロタイプに真っ向から挑んだ野心的な一冊でもあるのです。
ただし私はこの本を読みながら、こんなことも考えました。オンライン英会話でイギリスのチューターさんとしゃべっていて、食べ物の話になることがあります。今年の夏休みにイングランドを旅したので、私がフィッシュ&チップスやミートパイやコーニッシュパスティやクリームティーなどを食べましたというと、みなさん異口同音に「それはとってもブリティッシュだね」とおっしゃいます。
そんな反応に、私はどことなく「ふだん私たちはそんなに食べないんだけど、旅行者はそういうのが好きだよね」というようなニュアンスを感じることがあります。これは日本を訪れる外国人観光客から「寿司や天ぷらやすき焼きやうな重を食べました」と言われたときのような感覚なのかなとも思います。この本にも取り上げられていない、もっともっとローカルな料理がかの地にもたくさんあるんでしょうね。そういう料理を求めてまた旅をしてみたいです。
ともあれ、食の世界はかくも深く、おもしろい。この本には英国社会における階級闘争の歴史が伏線として張られているのですが、これは同時に日本人の「おイギリス的なもの」に対するある種の自虐的な(?)階級観にも闘争を仕掛けているのかもしれません。