インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

絵本『戦争は、』とSNS

ポルトガルの詩人でジャーナリストのジョゼ・ジョルジェ・レトリア氏と、その息子でイラストレーター・編集者のアンドレ・レトリア氏の共作絵本『戦争は、』を読みました。昨年末の新聞記事でこの絵本を知ったのですが、ネット書店では「入荷待ち」の状態。それで紙の書籍と同じ値段の2200円は正直ちょっとお高いなあ……などと思いながらKindle版を購入しました。


戦争は、

紙の手触りが味わえないのはちょっと残念でしたが、電子書籍でこの絵本を読んでよかったとも思いました。というのも、アンドレ・レトリア氏のほとんどモノクロームに近いシンプルな、しかし細部まで神経の行き届いた絵を大きなディスプレイで見ると、かなり迫力があるのです。紙の絵本にある「のど」(本を開いたとき中央にくる、綴じ目の部分)がないので、それだけ一枚の絵としての訴求力が増します*1

新聞記事でアンドレ・レトリア氏は、戦争の本質は病であり、病を引き起こすようなウイルスに感染しないよう常に自分の頭で考え、目を覚ましていなければいけないと述べています。

SNS(交流サイト)の短い言葉やテレビの映像で私たちは物事を分かった気になり、なるべく考えないように日々トレーニングされています。深い思考を持った生物ではなくなりつつある。でも、考えることをやめると、どんどん私たちの内面はもろくなり、外部からコントロールされやすくなる」


東京新聞2024年12月25日朝刊

いや本当に。ここ数年私は、SNS的なものから可能な限り遠ざかるよう意識してきました。それは自分の思考と時間が限りなく奪われていくことに恐怖を覚えるようになったからでした。これも最近読んだキャサリン・プライス氏の『スマホ断ち』には、巻頭にこんな印象的な献辞があります。「人生は自分が注意を向けたものでできている」。まさにSNSがそのビジネスの本質としている「注意経済(アテンション・エコノミー)」を強く示唆した警句ではありませんか。

私たちがスクロールしながらSNSに向ける注目は、どの瞬間のものであれそのすべてが、よそのだれかの利益を生むために使われている。(中略)人は注意を向けたものしか経験できず、注意を向けたものしか記憶にとどめられない。それぞれの瞬間に何に注意を向けるかを選ぶことは、ある意味ではどんな人生を生きたいかを決めることと同じだ。(65ページ)


スマホ断ち

「なるべく考えないように日々トレーニングされてい」る私たちが、SNS的なものから距離を置く、あるいは主体性を持って自覚的に使いこなすのは容易ではありません。私はほとんどのSNSから降りてしまいましたが、それでも気がつくとスマートフォンを手にして検索をかけ、ネットのコンテンツに引き寄せられています。絵本『戦争は、』の発行元である岩波書店の公式サイトにある「編集部より」にはこんな解説がありました。

まるで知らぬうちに進行してしまった病のように、密かに忍び寄り、瞬く間にはびこってしまうもの、それが戦争。

www.iwanami.co.jp

「なるべく考えないように日々トレーニングされてい」く過程も、これによく似ていると思います。ネットも、スマートフォンも、もはや我々の暮らしには欠かせないものになっていて、それらをすべて断ち切ることはできませんし、またすべきでもないでしょう。ただその取り扱い方にはおそらく、自分が想像しているよりももう少し強い緊張感、あるいは警戒感のようなものが必要なのだろうなと感じています。絵本『戦争は、』にみなぎる雰囲気は、まさにそんな緊張感や警戒感を自分に促しているようにも思えました。

追記

SNS的なものから距離を置こうと言っておきながら矛盾しているようですが、『戦争は、』の出版元である岩波書店のこのYouTube動画はとても見応えがあります。ただし「ネタバレ」になるので、絵本を先に読んでから視聴したほうがよいと思います。


www.youtube.com

*1:電子書籍版を購入して、そのままブラウザのKindle for Webで読むと「のど」の部分で切断された状態で表示されます。KindleアプリやKindle電子書籍リーダーで読めば「のど」は表示されないようです。