インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

「説得的デザイン」によって「通知」されること

スマートフォンやパソコンには「通知」という機能があります。ポップアップウインドウで通知されることもありますが、私が最近気になっているのは画面上にあるアプリのアイコンに示される数字や小さな丸です。これが眼に入るや、見に行って処理しなければならない誘惑に駆られる。数字をゼロにしたい、丸をなくしたいという欲求が生まれる。こうやって「アテンション・エコノミー(注意経済・関心経済)」の虜になっていくのではないかと。

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ジェニー・オデル氏の『何もしない』ではこうした仕掛けを、デヴァンギ・ヴィヴルカー氏の論文を引用する形で「説得的デザイン(心理学の知見をもとに人の行動に変化を起こすよう意図されたデザインのこと)」と呼んでいます。

例えば「ツールバーの上の通知バッジの数字」は「やることリストのように思わせて表示させる数字を0にしたいという気持ちにさせる」、「ツールバー上の通知を知らせる赤い色」は「他人や企業のページへのクリックを誘導するために緊急性を演出する」といったぐあいです(186ページ)。

もちろんショートメッセージや電話の着信など、必要な通知もあります。でもそうした必須のもの以外、とくにSNS関係の通知をよくよく吟味してみると、そのほとんどが自分の注意や関心、そしてそれに伴う時間をどんどん奪っていく存在だということがわかります。

かつてSNSの中毒状態だった頃は、Twitterにツイートしたり、Facebookやブログに投稿したあとは、「いいね」がついていないか、リツイートされていないか気になって、ついつい見に行ってしまっていました。見に行かないまでもアイコンに数字や丸が出ていないかどうか常に気になって、何度もスマートフォンを見てしまう。

そうしてチェックした際に、タイムラインに偶然(実は偶然ではなく、かなり私自身向けにカスタマイズされているのだが)流れてきた情報に引っ張られ、ほかの記事やニュースを読み、商品に魅せられ、つい「ポチッ」と購入してしまう。こうやってアテンション・エコノミーの虜になっていたのです。

とくにSNSやニュースサイトを複数利用していると、その虜になりやすいと思いました。ローテーションを組むように、順繰りにそうしたサイトを見て回って、更新がないかを確かめずにはいられなくなるのです。なまじ複数あるだけに、何度も何度もサイト間をグルグル回ることができてしまうというわけです。

私の場合、この「更新がないかどうかつい確かめに行ってしまう」誘惑を断ち切るのは本当に容易ではありませんでした。最近になってようやくTwitterFacebookも醒めた目で見られるようになりました(ほかのSNSはすでにすべてやめてしまいました)。このブログも投稿したあと、コメントやアクセス数など一切気にしないようにしています。

「通知」の数字や丸は、それがなまじほんの小さな画面上の変化であるだけに、かえってそこに注意が引きつけられる……この「説得的デザイン」の巧妙さには、今後ますます格段の警戒が必要になるのではないでしょうか。

追記

こんなふうに「アテンション・エコノミー」の罠について書いておきながら、実は私もこの投稿でその一端を担っています。おわかりになりましたでしょうか。ひとつは、こうしてブログ記事を書くことで、記事を読んでくださる読者の方の画面に「通知」が行くであろう(その機能を利用されていれば)こと。そしてもうひとつは上掲の『何もしない』という書籍の題名に「Amazonアソシエイト」のリンクが張られていることです*1

ネットを利用している以上、結局私たちはこうして、お互いにアテンションを送り合う関係の中に生きざるを得ません。その利弊をじゅうぶんに見極めてネットとつきあう……これは現代に生きる私たちに必須のリテラシーのようなものではないかと考えています。

*1:この記事を投稿したことをTwitterのタイムラインに書き込めば、それも。だから私は最近、ブログ記事のリンクをツイートすることはやめました。