インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

退屈とポストトゥルース

アテンション・エコノミー(注意経済/関心経済)への問題意識から、いろいろと読んだ中の一冊です。退屈、ポストトゥルース、インターフェース、コンテクストなどをキーワードに、私たちがいかにSNSなどのネット産業に取り込まれ、自分の核をなくしつつあるかが論じられます。

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退屈とポスト・トゥルース SNSに搾取されないための哲学 (集英社新書)

その点でとても興味がある一冊だったのですが、三分の一ほどまで読み進めて、ちょっと読む気力が削がれてくるのを感じました。さまざまな評論や文学や映画や音楽などを例示しながら語るその語り口はとても魅力的なのですが、文体が込み入っていてなかなか頭に入ってこないのです。

私はこの本を、ネットなどのレビューなど一切見ずに読み始めましたが、「これはひょっとして翻訳の問題では?」と、自分の理解力の乏しさを棚上げしたある意味卑怯な逃げの一手で、その先は気になる言葉のある段落だけを読み飛ばすようにして読了しました。読了後にネットの書評を読んでみると、はたして翻訳の問題を指摘されている方が何人かいらっしゃいました。私にはこの本の原書を英語で読むほどの力はありませんから翻訳書に頼らざるを得ないのですが、少々残念でした。

気に入って付箋を貼った箇所をいくつか。

ソーシャル・プラットフォームのデザインの批評家たちは、そのデザインに埋め込まれている「サイトから離れがたくなってしまう」特徴を、「ホテル・カリフォルニア」効果という適切な命名をして批判する。(中略)我々は自分たちが使っているデバイスに騙されて、インターフェースにはまり込んでしまうのである。(13ページ)

これはマシュー・ハインドマン氏の『デジタルエコノミーの罠』に出てきた、インターネット上のサイトにおける「粘着性」と同じ指摘ですね。実際、TwitterFacebookなどSNSのデザインは、「通知」のシステムと相まって私たちの注意や関心を絶えず引きつけ、サイトから離れがたくするためのさまざまな工夫がされています。これは最近意識してSNSに近づかないようにしている中で、改めて実感しました。

結局のところ、経済学入門講義で学んだ者たちにとって、ユーザーから料金を取らずに数十億ドルのビジネスが維持できるというのは驚くべきことだ。その理由は、それぞれのユーザーがユーザー料をドルで支払うのではなく、時間、心的エネルギー、そして人格を犠牲にすることで支払っているからである。(28ページ)

これもまた身も蓋もないほどの正論です。私自身は、以前はそうした時間や心的エネルギーを差し出す代わりにこちらもSNSから大きな恩恵を受けている(あるいは将来受けるだろう)という、よく考えてみれば何の根拠もない信憑を持っていましたが、今ではすっかりその熱が冷めてしまいました。

あともうひとつ、SNSのみならず、ゲームやニュースサイトやその他の注意経済へ不断に誘うデバイスとしてのスマートフォンについて、その「禁断症状」を治療するための道具として考案されたという「Substitute Phone(サブスティテュート・フォーン)にちょっとした衝撃を受けました。

この役に立つ「デバイス」は、記事によれば、「五つのモデルがあり、見た目も感触も、標準的電話のようである」。しかし「スクリーンの代わりに石のビーズがさまざまな角度で埋め込まれている。このビーズをユーザーはスワイプし、つまみ、スクロールして、スマートフォンを取り出したいという欲求を宥めることができるのだ」。(203ページ)

https://www.klemensschillinger.com/projects/substitute-phone


www.youtube.com

いやすごい。キングウェル氏は「おしゃぶり」と形容していますし、私自身これは一種のパロディ商品みたいなものだとも思いましたが、ここまで私たちの心は蝕まれつつあるのだなと感じました。

とにもかくにも、私は私なりの方法でSNSスマートフォンが作り出す「アテンション・エコノミー」からなんとか身をよじるようにして抜け出したいと模索しています。さいわいお酒をやめて本を読む時間が「激増」したので、読書に活路を見いだします(もちろん電子書籍ではなく紙の書籍で)。