マシュー・ハインドマン氏の『デジタルエコノミーの罠』という本を読んでいたら、インターネット上のサイトにおける「粘着性」という概念が出てきました。
ウェブサイトは、広告によるものだろうと購読によるものだろうと、成功するにはトラフィックが必要だ。サイトは粘着性で生死が決まる。読者を引きつけ、その読者が訪れたときには長居してもらい、そして立ち去るときにはまた戻ってくるよう説得しなければならない。(83ページ)
この本を読むと、多くのネット民を引きつけ、なおかつ莫大な利益を上げているトップのほんのわずかなサイトの優位性は、私たちが想像しているよりもはるかに強固だということがわかります。つまりFacebookやTwitterなどが一部で「もう終わった」とか「○○離れ」「○○疲れ」などと繰り返し言われながら依然ほかのサービスとは桁違いの集客性と収益を上げていることがわかるのですが、そこには強力な「粘着性」があったわけですね。
かくいう私もその粘着性からなかなか抜け出さずに、上述したふたつのサイトは以前より格段に利用頻度が減ったものの、いまだにやめられずにいます。そしてこの本を読んで自分なりにその粘着性のありかがどこにあるのかをあれこれ想像してみるに、それは「タイムライン」というものの存在ではないかと思いました。
FacebookもTwitterも、自分がそこに働きかけて投じた発言なり投稿なりのほかに、フォローしている人やその人につながるほかの情報、同サイトが意図的に流す広告などさまざまなこちらの気をひく情報が流れてきます。そしてそれがランダムであるだけにたびたび見に行きたくなる、見に行かざるを得ない。
Twitterを使い始めた当初、タイムラインはすべてを追うことができないというのが大きな欠点のように思ったものですが、実は逆だったのです。すべてを追えないからこそ、そこに無限の情報が詰め込まれているように見えてしまう。本当は、もとよりあってもなくても自分の暮らしにはほとんど影響を及ぼさない情報であり、焦りを覚える必要はこれっぽちもなかったのに。これもまた粘着性のひとつではないかと。
もちろん設定次第でそういう粘着性を減らすことはできます。でもついついSNSに長居をして予想外の時間を費やしてしまった経験はどなたにもあると思います。このタイムラインというものは、とにかく巧妙に作り込まれ、こちらの気持ちを四六時中刺激し続け、注意を引き続ける仕組みになっているんですね。だからついついアクセスしてしまう。「注意経済(アテンション・エコノミー)」とはよく言ったものです。
でも私はこの本を読んで、逆に粘着性の極めて高い大手サイトやSNSから自分を引き剥がす(そう、まさにゴキブリホイホイに捉えられた自分の手足をなんとかして引き剥がすようなイメージです)というチャレンジにがぜん興味がわいてきました。これは軽く「SNS断ち」などと呼べるようなものではなく、もっと用意周到に習慣化への道筋をつけなければならないものです。
その手始めとして自分のブログ記事をFacebookやTwitterにリンクさせることをやめてみました。さてこのチャレンジがどうなるか、楽しみです……というより、ちょっと武者震いのようなものを覚えます。