インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

自己主張と自分自慢

先日の日経新聞人生相談欄に、脚本家の大石静氏がこんな「回答」を寄せておられました(会員限定記事ですが、こちらアーカイブを読むことができます)。

www.nikkei.com
「回答」とカッコ書きにしたのは、大石氏のそれがとても辛辣かつ手厳しいものだったからです。でも読みながら私は、まるで自分のことを見透かされているような感覚に襲われました。と同時に何か深い爽快感にも包まれたのです。60代後半の女性の「相談」は、上記のリンクに表示されているような短い内容です。あ、「相談」とカッコ書きにしたのは、大石氏がこう返していたからです。

これは相談というよりも「私ってステキでしょ」という自己主張に近いと感じました。

人は誰しも、他人によく思われたい、自分のことを「ステキ」だと思ってもらいたい、私のやっていることに「いいね」と言ってもらいたい……という欲求を持っています。こうした自己承認欲求は、SNSの登場でお手軽かつ最大限に可視化されることになりました。今やTwitterでもInstagramでもFacebookでも、そうした欲求が充満して息苦しいほどの空間になっています。

いや、私は、後者二つのSNSをとうにやめてしまいましたから、いま確認できるのはTwitterだけですが、身も蓋もないことを言っちゃえば、タイムラインに流れる「つぶやき」はそのかなりの部分が誰にも聞かれたり問われたりしていないのに発せられている自己主張です。往来で脈絡もなく独り声高に主張を始めたら周囲からは怪訝な目で見られること必定ですが、SNSの空間ではそれが常態なのです。

特に断定調で「〜すべき」とか体言止め(字数制限もあって、けっこう使われています)でつぶやかれるツイートは、タイムラインの中にいると分かりませんが、ひとたび引いて眺めてみると、かなりイタいものが多い。タイムラインに接しているだけで自己主張の息苦しさでむせ返りそうな気分になります……ってこれ、過去の自分のツイートを眺めていてそう思うのですが。

というわけで私は、昨年の途中から、Twitterのタイムラインという川の流れから足を洗い、自分から、それも突然つぶやくことはやめてしまいました。それでもこのブログを毎日書いて、その投稿を「#はてなブログ」のハッシュタグつきで放流しているのですからエラそうなことは言えないのですが。……もうこれも今年からはやめようと思います。大石静氏は、こう語っています。

年を重ねるということは、自分を知るということではないかと、私は思っています。自分の心の奥底を認識することによって、人間に対する理解も深くなり、周りの人間の気持ちがわかるようになり、思いやりを持てるようになる。風貌は衰えますし、記憶力も集中力も体力も衰えますが、そこだけは冴えてくる。それが年配の人間のステキなところなのではないでしょうか。

自己主張も時には必要でしょう。よいものにはよいと言い、おかしいことにはおかしいと言わなければならない時もあります。でもそこには大石氏がおっしゃるように、ひょっとして自分は何かが不満で、何かが満たされないからそういう自己主張をしているのではないかという自己洞察が欠かせないのかもしれません。それを怠っていると、つい「どや顔」で自分自慢になってしまうかもしれない。主張すべき主張と自分自慢は紙一重なんだな、というのを気づかせてくれた人生相談欄でありました。


https://www.irasutoya.com/2017/12/blog-post_882.html