インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

発言する資格

もう一週間以上も前ですが、東京新聞のコラムにニュースサイト編集者の中川淳一郎氏がこんなことを書かれていました。

ネットについて私はこの15年ほど常に「公の場で発言する資格がない者の声が大きすぎて社会をおかしくしている」と主張してきた。

実はこの部分、コラムの本旨とは少しズレていて、このコラムではむしろネット世論の「声の大きさ」を、好ましいとまでは言えないもののある程度の力を持つものだと認めています。ネガティブな企業活動を自覚している会社や団体はそうした声の苛烈さをよく認識したほうがよいですよと。

でも私は、このネットにおける「公の場で発言する資格がない者の声が大きすぎる」問題は、すでにはっきりとした弊害として現れていると思っています。これから先、何らかの規制をかけないと、こうした声の大きさがますます「社会をおかしくしてい」く存在になるのではないかと。


https://www.irasutoya.com/2019/04/blog-post_9.html

何を言っているんだ、以前はマスメディアがほぼ独占していた発言の機会をネットが解放したんじゃないのか、誰もが自由に自分の意見を述べることができるようになり、実際にそうした声が下からネット世論として上がることで、社会の改善に繋がっているんじゃないか、それに規制をかけるなんて、単なるエリート主義じゃないか……そんな反論が聞こえてきそうです。

たしかに、過去を思い返してみれば、ネットやSNSの登場以前には一般の人々が公に自分の意見を発信する場所はほとんどありませんでした。デジタルネイティブの方々には想像もつかないと思いますが、何かの意見を表明したいなら、新聞や雑誌などへの投書くらいしか手段がなかった(あとは裁判に訴えるとか?)のです。

そんな頃に比べれば、今ははるかにいい時代になったと言えるのかもしれません。かくいう私だって、こうしてブログで自分の考えや意見を書き連ね、それを公開しているわけですし、またSNSなどでいろいろな情報を得たり、さまざまな意見に接したりもしてきました。

それでも、こうしたネット世論が登場して十数年、すでにそれは中川氏がおっしゃるように、社会をよくするものではなく、社会をおかしくするものに変容してしまったと感じています。ですから例えばエコーチェンバー効果で両極端な意見ばかりが流布されるTwitter(X)などのSNSは、私はすべて降りてしまいました*1

フェイクの巧妙化が飛躍的に進むなどネット環境がここまで変質してきた今、誰もが発信できるというネット、とりわけSNSはむしろ弊害のほうが大きいのではないかと思うようになったのです。マスメディアも完全には信頼できないけれど、職業としてきちんとお金をかけて取材や検証や文章執筆や校閲などを経て発信されるものにこそ一定の信を置くべきではないか、少なくともSNSよりはマシではないかと。

qianchong.hatenablog.com

かつてロシア語を学び、ロシア情勢に詳しい同僚が言っていたのですが、Yahoo!ニュースのコメント欄にはもはや、見るに堪えないを通り越して怒りを覚えるそうです。ご存じの通り、同ニュースのコメント欄には「エキスパート」と呼ばれる人々がいて、各専門領域における実績や執筆経験などをもとに審査のうえ契約を結んだ方々が発言されています。

同僚によれば、例えば今時のウクライナ戦争に関するニュースにおけるそうしたエキスパートと呼ばれる方々のコメントには、ときにかなり無責任で見当違いなものも見受けられるのだそうです。よくよくその方の背景を調べてみれば、専門領域とは言い難いような方がプロパガンダに近いような言説を得々と述べていることも多いのだとか。

曲がりなりにも審査を経て契約を結んでいるエキスパートでさえそうなのです。ましてや酒場談義の延長のような素人の意見がひょんなことから社会をおかしくする大きな声になってしまう危険性について、私たちはもっと敏感になってもいいのではないかと思います。そのためには、ネットやSNSだけからインプットするのではなく、新聞や書籍などさまざまな方向に意見を徴し、自らの考えを深めることが必要ではないかと。そして、そういう慎重な態度と、書き込んですぐポンと送信できるネットのコメント欄やSNSとは本質的に相容れないものではないかと思うのです。

冒頭にコラムをご紹介した中川氏は別の記事で、ご自身の痛切な反省も込めてこんなことをおっしゃっています。

自分の専門領域や実態がよく分かっている事柄以外においては、誰かの人生に関与するかもしれない「表現」は慎まねばならない。絶対に。

gendai.media

誰もが世界に向かって自由に簡単に発信できるようになったからこそ、そういう慎みがマナーとしてより一層求められる時代になったのだと言えるのかもしれません。

*1:語学練習用のアカウントだけ残してありましたが、これも先日削除しました。