インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

向井くんはすごい!

私は現在SNSをふたつ使っています。TwitterFacebookです。以前はもっといろいろなSNSに手を出していましたが、いろいろと思うところあってこれだけに絞りました。しかもFacebookはほぼ知人との連絡用にしか使っておらず、実質的にTwitterだけがバーチャルな世界でのコミュニケーションツールです。このブログもSNSみたいなものですが、毎日書いていてもコメントがつくのはひと月に数回あるかないかという程度ですから、ブログ上でのコミュニケーションはないに等しいです。

Facebookは元々の仕様ですから実名で使っていますが、Twitterとブログも実名です。「実際の社会で人に面と向かって言わないことは、ネットの社会でも言わない」というのが、長い間SNSを使うなかで定まってきた自分の原則です(あと、お酒を飲んだらSNSに触れないというのも)し、そも匿名で意見を表明したり何かを批判したりすることが「卑怯」だという思いもあるからです。

それに私は、Twitterのつぶやきもブログの投稿も「とどのつまりは誰からも求められていないのに勝手に私的な日記を公開するような一種の『倒錯』した行為」だという、SNSやブログを使用し始めた頃に抱いた感覚が抜けきっていません。誰もアンタのことなんか気にしちゃいないと常に自分に言い聞かせておかねば、私のような軽薄な人間はすぐに調子に乗ってしまいそう。落語『火焔太鼓』に出てくる小道具屋の女将さんが亭主に戒めとして言う「物事は何でも内輪ではかるんだよ」にならって、SNSでは控えめに、かつ裏表なく行動するのが吉だと思っています。

そんなSNSの“表裡不一(biǎolǐ bùyī:言行と考えが一致しない)”性を巧みに織り込んだマンガを、人に勧められて読みました。ももせしゅうへい氏の『向井くんはすごい!』です。

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[まとめ買い] 向井くんはすごい!

性格も外見も思考方法もさまざまな高校生の群像劇で、クラスメートに性的指向アウティングされてしまった向井くん(しかしいたってポジティブ)と、同じ性的指向ながらまったく異なる性格で向井くんに反感を覚える森谷くんを中心に、学校社会におけるリアルな関係と、SNSでのバーチャルな関係が絡み合っていて、とても重層的な物語。

SNS、なかんずくTwitterに顕著な、共感、正義感、一体感。その一方で偽善、意識高い系、バカッター、疑心暗鬼、自己承認欲求、自己の肥大化……そんなこんなが凝縮されており、少々サスペンスっぽい展開にもなっていて、上下巻を一気に読み終えました。これは現代ならではの青春物語であり、さらにSNSに精神をなかば蝕まれた私たちだからこそ理解できる、新しい物語の形式だとも思いました。

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こうしたリアルな人間関係とSNSにおけるバーチャルな人間関係を使い分ける生き方は、ここ十数年で急速に普及した「作法」です。私はそれが一概に悪いとは思いませんが、あまり両者の乖離が進みすぎると世の中はたぶんネガティブな感情のほうばかりが増大して、心の健康に支障をきたす人が増えるんじゃないかと危惧しています。私としてはリアルな人間関係に軸足を置くことをあきらめず、SNSではせめて実名を使い続けることでそうしたリスクを遠ざけておきたいなと思うのです。

これは私だけかもしれませんが、以前匿名でSNSを使っていたころの実感として覚えているのは、匿名の後ろに身を潜めてネットに相対すると、このマンガに出てくる人物たちのように、自分の内側でものすごい妄想が渦巻くんですよね。時にその妄想が膨れ上がるのを抑えきれなくなるくらいに。

実名でSNSを使っていると、ネットの世界に「実の名前で出ています」という事実が折に触れて自分をクールダウンさせてくれる。それを改めて認識させてくれたマンガでもありました。おすすめです。