インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

本当は中庸の人が多いのにネットでは「分断されている」と思ってしまう

ブログ『シロクマの屑籠』の熊代亨氏(id:p_shirokuma)が、自分の頭で考えないほうがよいのでは、というご意見を書かれていました。

p-shirokuma.hatenadiary.com

インターネットに正否や真贋の定まらないメッセージが溢れていて、しかも私たちに時間的余裕が乏しいとしたら、もう、下手なことは自分のアタマで考えず、誰かに考えてもらうのがいいんじゃないだろうか。この場合の誰かとは、ツイッターインフルエンサーなどではなく、新聞やNHKニュースなどのことだ。雑誌も含めていいかもしれない。

もちろん熊代氏はそういった新聞やNHKニュースなど、つまりマスメディアだって間違えることはあり、ときに何らかの世論操作やプロパガンダの可能性だって皆無ではないけれども、極めて怪しげなSNSなどの情報に引っ張られてしまうよりは随分マシだとおっしゃいます。私もそのご意見に同感です。

私はすでにTwitterなどのSNSから「降りて」しまいましたが、それはSNSで情報を得ていると世の中の多数意見があたかも集約されているような錯覚に陥り、ひいては世の中全体の流れを見誤る危険性に気づいたからです。……などと堅苦しい書き方をせずとも、要するにネット世論なるものがかなり胡散臭いなと思ったから。

私見では、Twitterは「保育園落ちた、日本死ね」が国会で取り上げられ、その後の行政是正に一役買ったというあの「成功体験」から逃れられず、その実態と世論形成力の乖離に気づかないままここまで来てしまったと思います。

私は語学の作文用に(日本語では一切つぶやかず、リプライせず、リツイートもしません)もうひとつTwitterアカウントを残してあって、そこでたまに時事問題に関する日本語ツイートを眺めることがあります。自らは降りてしまってやや遠くからタイムラインを俯瞰していると、世論が極端に二分しているなと感じます。そこに共通理解や相互理解を求めることはほぼ不可能なほどの分断が進んでいるなあという一種の絶望感を覚えるのです。

でも世の中に広く目を転じてみれば、実際にそこまで分断が進んでいるのかどうか。世の中にはもっと多様な人々が多様な意見を持ちながら暮らしていて、ことはそう単純ではないのではないか。

qianchong.hatenablog.com

そんなことを考えていたら、先日『報道1930』で自民党の岩盤支持層に関する分析をやっていて、いわゆる「サイレントマジョリティー」の存在が指摘されていました。すかさず写真を撮ったのがこれで、ここでは憲法改正に対する意見としてネット上では賛否が極端に分かれるのに(つまり分断が激しいように見えるのに)、一般の世論調査では中庸な意見が最も多い。つまりネット上では極端な意見の人が積極的に発信しているために、あたかも世論全体が二極化しているように錯覚してしまうということでした。


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なるほど。ネットの情報は玉石混交だとよく言われますけど、SNSでは「石」がとりわけ巨大に見えてしまうんですね。プロとしてきちんとお金をかけて取材や検証や文章執筆や校閲などを経て発信されるマスメディアに一定の信を置くべきではないか、フェイクの巧妙化が飛躍的に進むなどネット環境がここまで変質してきた今にあっては、誰もが発信できるというネット、なかんずくSNSの特性はむしろ弊害のほうが大きいのではないかという熊代氏の主張には首肯せざるを得ません。

マスメディアも完全には信頼できないけれど、SNSよりは千倍マシ。だからこそ新聞を取り、NHKの受信料を払って「中の人」を応援する意義もあるのだなと改めて思いました*1。もっともその信頼を寄せるべきマスメディアがここのところSNSをはじめとするネット世論にすり寄りすぎている(よくTwitterのツイートなどを引用していますよね)のが気になるところではありますが。

とりあえず以下の本を読んでみようと思っています。

*1:私は一時期、テレビニュースを見るよりもポッドキャストを聞いたほうが勉強になるなと思っていた時期があったのですが、最近はジャーナリストとして訓練されていない発信者によるポッドキャストの薄っぺらさに気づいて、揺り戻しが来ているところです。