お酒を飲まなくなってついに100日を超えました。日数を覚えているのは習慣化するために毎日記録をつけているからですが、最近ではその記録を忘れてしまっても飲みたいという気持ちが起こらなくなるまでになりました。もう完全に習慣化できたと思うので記録はやめてもいいんですけど、まあいちおうの「保険」ということでつけ続けています。
というか、私の場合は「ソバーキュリアス(シラフでいることへの興味)」なので、別に今夜飲んでもかまわないのです。そして明日からまた飲まなくなってもいい。いつでも飲めるけれども、あえて飲まない、とりあえずいまは飲まないでいる方が心地よいというスタンスなので、「断酒」とか「禁酒」といったような字面から連想されるような悲壮感や「頑張ってる感」はまったくありません。
こういう「ソバーキュリアス」のスタンスはとてもシンプルかつ前向きで自分好みなのですが、周囲の方々の反応を見ていると、ことお酒に関しては実にいろいろな立場の人がいて、「飲んでも飲まなくてもいい」などと腑抜けたことを言っていると怒られそうな雰囲気があるというのも何となくわかってきました。それだけ飲酒問題は複雑なのですね。
例えばお酒に関してはアルコール依存症に苦しむ方々や、そこからの脱却を目指す方々、またそれを支援されている方々などがいます。これはこと命に関わるだけにそう軽々に語れません。私などその知識も薄いのでなおさらです。また体質的にアルコールを受け付けない方々をめぐる問題もあります。いわゆる「アルハラ」もここに関係していて、これも人権に関わる非常に重い問題を抱えています。
私が明るく「ソバーキュリアス♡」などとSNSでつぶやいたりブログで書いたりしていて、実際にどなたかにたしなめられたわけではありません。でもいくつかの反応を見るにつけ、あるいはネット上での議論に接するにつけ、ひょっとするとお酒に関する問題は自分の想像以上に深く広く、そういうところにもそれなりに配慮した上で発言すべきなのではないかと思ったのです。発言といっても私など何の社会的影響力もありませんが、それでもSNSやブログだってひとつの社会。そこで何かを発言ないしは発信するときにはそれなりの責任が伴います。
お酒をめぐる問題の深刻さ、大切さはじゅうぶんに尊重しながらも、自分は自分なりのソバーキュリアスを目指したい。そう考えました。この件、またいろいろと考えた上でブログに書いてみたいと思っています。