インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

“酸”が染みてくる

華人留学生の通訳クラスで、ボキャブラリー強化のための単語採集をしています。昨日はテーマが「医療」だったのですが、その中に“酸(suān)”あるいは“酸疼(suānténg)”という言葉が出てきました。この“酸”という中国語は、日本語同様に(というか、あちらから入ってきた言葉でしょうけど)硫酸などの「酸」とか、「酸っぱい」という意味がありますが、医療関係で使うと「痛い」に近い意味になります*1

単に痛いだけじゃなくて、辞書をひけば「鈍く痛む」とか「だるい」とかもう少し複雑な「痛い」である旨が説明されています。でも個人的にはどれも“酸”のあの、一種独特な痛みを表現し切れていないように感じます。“酸”は身体の表面ではなく、ちょっと奥のところで「つーん」と痛みに似た、なんとも言えない不快感を覚えている……といった感じです。要するに日本語ではひとことで言い表せない状態なのです。

そんなことを留学生のみなさんに言ったら、「そうそう、たしかに単純な『痛い』じゃない」、「“酸”は“酸”としか言いようがないよね」などと盛り上がったところで、そのうちのお一人からこんな質問をされました。「センセは、母語ではない中国語の“酸”が『そういう感じ』であることを、どうやって理解したんですか」。おお、それはなかなかに深い質問です。言語はこの世界の森羅万象をそれぞれの言語のやり方で切り取っているわけですが、なぜある言語の母語話者が別の言語の「世界の切り取り方」を体得できるのか。

なぜ日本語母語話者でも“酸”を理解できるようになるのかはよく分からないのですが、私の場合はたぶん、実際に中国語圏に暮らして、中国語の母語話者といろいろな話をする中で、いつの間にかその感覚が身体に染みてきたとしか言いようがありません。

最初は「どうして腰の痛みや肩の痛みが『酸っぱい』なの?」というレベルだったのが、だんだんその“酸”を使う中国語母語話者の気持ちを想像し、理解しようとし、そのうちに自分の腰の痛みや肩の痛みのうちにある単に「痛い」だけではないより細かい感覚に気がついて、それが“酸”とリンクしたのだと思われます。

実際、私はこの“酸”を辞書的な意味や理屈ではなく感覚として「これか! こういうことか!」と身体に染みてきた瞬間を覚えています。そうなるともう以前の自分とは違って、“酸”は“酸”としか言いようがなくなる。その言語では的確に言えるのに、日本語では言えない事象がたくさんあるというのは、語学学習者にとっては「あるある」なんじゃないでしょうか。

世界には自分の母語とは異なる形で世界を切り取る方法が無数にあり、それを理屈ではなく実感として体得することで自分の世界に対する感受性や界面(インターフェース)みたいなものを拡張することができる。そういう語学の側面に気づくと、語学は俄然楽しくなってくるんじゃないかと思います。

世上よく「日本語ほど繊細で細やかで豊かな表現ができる言語はない」などということをおっしゃる方がいますが、外語をあまり学んだことがないからかもしれません。外語を学べば学ぶほど、そんな夜郎自大なことは言えなくなるはずですから。

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https://www.irasutoya.com/2013/06/blog-post_4926.html

*1:この他にもいろいろな意味があります。