インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

日本語のアウトプットに消極的なのはなぜ?

私が勤めている学校のひとつは、学生が全員外国人留学生です。母語は中国語、英語、タイ語スペイン語ベトナム語、イタリア語、ミャンマー語スウェーデン語、ロシア語……と実にさまざま。ビジネスレベルの日本語習得を目指すと同時に、通訳や翻訳の訓練も行っています。通訳や翻訳は、本当はそれぞれの母語と日本語の間で行いたいところですが、ビジネスの現状に鑑みて「英語←→日本語」と「中国語←→日本語」の2クラスに分かれて訓練しています。

私はこの「英語クラス」と「中国語クラス」両方の学生と授業で顔を合わせていますが、日本語力、特にアウトプットする日本語力の伸び方にかなりの違いがあると感じています。どちらのクラスも入学時にはだいたい「N2」、つまり日本語能力検定試験2級くらいの方がほとんどです。ところが2年間の専門課程で学ぶ間に、英語クラスの学生はどんどん日本語のアウトプットが洗練されて行くのに、中国語クラスでは伸び悩む方が多いのです(もちろん個人差はあります)。

英語クラスの学生には英語が母語の人もいますがごく少数で、多くは英語が非母語の方たちです。つまり第二言語の英語と第三言語の日本語を使って通訳や翻訳の訓練を行っている。これは学校のカリキュラム上「英語や中国語以外の言語←→日本語」というクラスを設置するのが難しいからです。でも当のご本人たちは母国でももともとマルチリンガルな環境で育ってきた方が多いので、そういう一種の「ハンディ」もものともせず、貪欲に学んでいます。見ていて眩しいくらいです。

いっぽう中国語クラスの学生は、そのほとんどが中国語母語話者です。ビジネスの現場では基本的に北京語(普通話)を使うので、通訳や翻訳の訓練も「北京語←→日本語」で行います。なかには広東語や台湾語が自分の言いたいことを最も忠実に伝えられる母語だという方もいますが、ほとんどは北京語(普通話)が母語、あるいはほぼ母語と同じように運用できるという人たちです。

すると、こういうことが起きます。

英語クラスの学生は、日々教室で(いまはオンライン授業も多いけれど)日本語を使い続けることになります。お互いの母語が異なるので、共通言語として日本語が選ばれるのです。もちろん英語も堪能ですから英語で話す場合もありますが、欧米系の学生とアジア系の学生ではやはりその実力に少々差がある場合が多く、結局は日本語でコミュニケーションするのが一番フラットでお互い気持ちよく話せる。というわけで、どんどん日本語が上達していきます。

ところが中国語クラスの学生は、英語クラスの学生と話すときは日本語を使うものの、中国語母語話者同士だとすぐ中国語に戻ってしまうのです。当たり前といえば当たり前ですけど。そしてやはり母語で会話したほうがストレスも恥ずかしさも少ないので、次第に中国語クラスの学生とばかり話すようになる。こうして英語クラスと中国語クラスの間になんとなく壁のようなものができ、日本語のアウトプット力にも差がついていくのです。

もちろん私たちはそれに対して、積極的に「混ぜ込み」を行います。通訳や翻訳のクラスはもともと英語と中国語に分かれているから無理ですが、それ以外のクラスではなるべく英語クラスと中国語クラスの学生が混在するようペアやグループを作って、お互いの共通言語が日本語だけという状態をできるだけ多く作ります。また英語や中国語でおしゃべりに興じている学生がいれば「日本語で話しましょう」と声をかけます。

本音を言えば、私はちょっと疑問です。義務教育でもないうちの学校の場合、その学びを選んだのはご本人です。ご本人なりになにか目標があって、わざわざ日本へ留学にきたわけです。日本に留学して、日本語を上達させようと思っている以上、自らがなすべきことは自分が一番良く知っているはず。なにも私たちが必死になって「日本語で話しましょう」という必要はないと思うのです。

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https://www.irasutoya.com/2013/04/blog-post_7854.html

それはさておき、上述のように英語クラスと中国語クラスの留学生に「日本語を使う頻度」の差が生まれると、2年間の間にそれはかなりの差となって現れてきます。英語クラスでは2年間で日本語のアウトプットがかなり上達する方が多いのに対して、中国語クラスでは2年間たってもかなりアウトプットがおぼつかない方が多い。発音も曖昧なら「てにをは」もしょっちゅう間違う(まあこれは留学生にはかなり難しいのですが)。ふだんのお喋りならまだしも、通訳や翻訳をするような複雑で抽象的な内容のアウトプットはほとんど「ボロボロ」だったりします。

しつこいようですが、もちろん個人差はあります。でも最初はほとんど同じスタートだったのに、英語クラスと中国語クラスでは2年間で大きな差がついてしまうのです。これはやはり日々の言語生活の送り方が大きく影響していると言わざるを得ません。とにもかくにも日本語をアウトプットし続けた英語クラスに対して、水が低きに流れるようについつい母語である中国語でばかり会話してきた中国語クラス。

いささか自慢めいて恐縮ですが、私がかつて中国に留学したときは(まあ中年になってからで後がなかったということもありますが)、絶対に中国語を話せるようになってやるという強い意志を持っていました。そのために、同じ日本人留学生と話す際にも日本語ではなく中国語を使っていました。常に頭を「中国語モード」にしていなければ聴けないし話せないと思って。せっかく留学したんだから日本語を話したら損、くらいに思っていました。

それに同じ母語話者同士が、あえて外語でコミュニケートするというのが「クール」だと思ったんですよね。だから留学生のみなさんにも「中国語母語話者どうしであっても日本語で話しましょう」と強く、何度も勧めています。でも、これまでにいくつかの学校で都合十数年ほどこれを言い続けて来たんですけど、それを継続して実践した人はまったくいませんでした。試してみる人はいても、すぐに中国語でのおしゃべりに戻ってしまうのです。

同じ母語話者同士でも外語で話すというのは、ある種の「演技力」が必要です。が、これだけ言い続けても実践する人がいないということは、さすがに「無理筋」なのでしょう。それでも立場上責任はあるので「日本語で話しましょう」と声をかけ続けるのとは全く違う方法で、中国語母語話者の留学生の、日本語のアウトプットを増やす方法を考えて行かなければなりません。ただ、私が担当しているのは通訳や翻訳の訓練ですから、まったく中国語を使わないというわけにもいかない(というか、かなりの比率で授業に中国語を持ち込む必要がある)というのが悩ましいところです。

中国語は日本語とかなり構造の違う言語ですが、漢字という共通のツールがあってこれが意味の把握にはかなり大きな力を果たしてくれます。だから日本語の理解という点では中国語クラスの学生さんのほうが英語クラスの学生さんに勝ることが多い。でも日本語を音として捉え、音としてアウトプットする能力においては、その差は歴然としています。そこで文字を介さず、音としての日本語をアウトプットするために通訳訓練法を応用してシャドーイングやリプロダクションなども取り入れています。でもこれとて授業時間だけでは到底足りず、自助努力が必要なのですが、留学生のみなさんは積極的に取り組まないのです。

加えて今年に入ってからのオンライン授業では、恥ずかしがって顔さえ出さない人もいます。音としての日本語どころか、顔まで出し渋る……ここまでコミュニケーションに非積極的では、日本語が流暢になるなどあまり期待できないですよね。非日本語母語話者の話す日本語について、ちょっと不当に思えるほど評価が厳しい「ほぼモノリンガル社会」日本で働きたいと思っているのに。