先日のパーソナルトレーニングで、ベンチプレスがやけに軽いと感じました。トレーナーさんからは「8回×3セット」と言われていたのですが、1セット目がかなりすいすいと上がったのです。2セット目、3セット目もクリア。「これ何キロですか?」と聞いたら、これまで1セットすら上げることができていなかった重さでした。なにかこう、周囲の視界がぱっと晴れたような気持ちがしました。
トレーナーさんによると、これはトレーニング「あるある」なのだそうです。継続してトレーニングをしているのに、なかなかウェイトの数字が上がっていかない。それがしばらく続いて「スランプかなあ……」と思っていると、ある日突然「ぐん」と上がる。つまりトレーニングの成果は直線上ではなく階段状に上がっていくというのです。
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実はこれは語学業界でも「あるある」で、よく知られている現象です。入門から初級段階では新鮮さも手伝ってどんどん上達している手応えがあるものですが、そのあとたいがい長い「平坦期」みたいなものがやってきます。いくら学び続けても、ちっとも実力が伸びていないような気がする。階段の踊り場で一人むなしく踊り続けているような気になってだんだん苦しくなり、この段階で多くの人が学習をやめてしまいます。でも学び続けていると、ある日突然「ぐん」と伸びる瞬間がやってくるのです。あるいは「いつの間にこんな高いところまで登ってきていたの?」と思える瞬間が。
ロシア語の黒田龍之助氏が『外国語の水曜日』でおっしゃっているように、「外国語学習にとって最も大切なこと、それはやめないこと」なんですよね。毎日少しずつでも積み重ねていれば、いつか臨界に達するような、ブレイクスルーとでも呼べるようなものが訪れる。今回、筋トレもまた同じなのだと悟りました。考えてみれば語学も一種の身体能力ですから、筋トレと似たところがあるのは当たり前かもしれません。
語学や筋トレを続けるコツは、その「平坦期」に訪れる数々の誘惑をいかに退けるかにかかっているのでしょう。語学における誘惑の場合、私自身の失敗体験からいくと以下のようなものがあるようです。
①少しくらい休んでもと思う誘惑
何でもそうですけど、習慣化できる前にこの誘惑に負けてしまうと、長続きしません。休んだ後に復帰するのは、何かを始めるよりもさらに気力を必要とします。逆に「やらないと気持ち悪い」と思えるまで習慣化できれば、平坦期も持ちこたえられるように思います。
②自分には才能がないと思う誘惑
やはりこれは自分に向いてない、こんなことより人生にはもっと大切なことがある、などと思い出すのは自分の中に潜む悪魔の囁きです。あと、周りを見回して、自分よりもよくできる人がいると途端にやる気が失せていくというのも。筋トレもそうですけど語学も人と比べるものじゃありません。自分がどこまでできるようになるか、それだけ。「人は人、自分は自分」と何度も言い聞かせる必要がありますね。
③先生や教科書が悪いんだと思う誘惑
とんでもない教師は残念ながら存在しますし、教科書がなっちゃいないということも皆無ではありません。でもほとんどの場合は自分が怠けていることの言い訳として教師や教材にケチをつけているだけです。教師が悪いと判断するのは、最低限質問しまくり、作文を書いてきて添削してもらい、その言語で話しかけて相手になってもらい……などのアクションを起こしたのち、それらに全く応じてくれないなどと判明してからでも遅くはありません。
また教材は語学学習のほんの一部です。ましてやネット上にいろいろな学習素材やアプリなどがあふれている昨今(私がいま学んでいるマイナーなフィンランド語でさえものすごい数の素材があります)、教科書だけで学習が左右されると考えるなんて学習態度があまりにも受け身すぎます。
④最初から完璧にやり直したいと思う誘惑
いつまでも基礎クラスに居続けるとか、次々に新しい参考書に手を出して1ページ目から取り組もうとするとか*1……そのたびにリセットされたような気がして気分だけはいいんですけど、やめた方がよいです*2。語学に完璧はありません。不完全ながらも、あれこれ取りこぼしながらもとりあえず前に進んでいくことが大切だと私は思います。
それにその時にはあまりよく理解できなかった内容が、後になってより幅広いスキルが身についてきて初めて「ああ、そういうことだったのか」と腑に落ちる、じわっと身体に染みるように分かってくるということも語学には多々あるんです。すべての項目を完璧におさえてからでなければ次のステップに進めないなどと言っていたら、語学の持つ一種のダイナミズムを味わえないうちに人生が終わってしまいます。
閑話休題。
ベンチプレスのウェイトは、あと3段階(1段階は2.5kg)ほどで自分の体重に追いつきます。筋トレを始めた数年前から、まずは自分の体重越えを目指していたので、その日が来るのが今から楽しみです。でも「その日」はきっと「楽しみだな」とか「まだかな」という期待をあらかた忘れてしまった頃、ふいに思いがけなく訪れるだろうと思います。