インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

文学を読む効用

昨日の東京新聞朝刊に、書評家・豊崎由美氏のコラムが載っていました。高校生や大学生を前に「読書の効用」について講演されたことが書かれていて、そこではこう述べられています。

映画も漫画もいいけど、一番想像力を培ってくれるのは小説。なぜなら具体的な像を伴う前者と比べて活字しか並んでいないから、読む側が想像力で参加しないと読書は完成しない。

かつてNHKの『クローズアップ現代』で紹介されていた、映像を見るときと読書をするときでは脳の働き方が違うという話を思い出しました。動画やテレビ画面は映像や音声やテロップなどがあり、しかもそれが次々に変わっていくため、受け身の理解で手一杯になり、想像力が起動しにくい。一方で読書では、過去の記憶などを元に想像をふくらませて場面の映像をそれぞれが立ち上げなくてはならず、それが脳の活性化を促しているーー概略そういうお話でした。豊崎氏のお話とも通底するものがあります。

qianchong.hatenablog.com

昨日ご紹介したヨハン・ハリ氏の『奪われた集中力』にも、こんなことが書かれていました。

読書に挫折するのはある意味、ぼくらの注意力が萎縮した兆候であり、またある意味、その原因であることに気がついた。書籍から画面に移行し始めるにつれて、書籍から得ていたより深く読み取る力を失い始め、その結果、書籍を読まなくなるという悪循環に陥っているのだ。体重が増えると、運動するのがどんどんつらくなるのと同じだ。(92ページ)

なるほど、ネット上で常に注意を引きけられる(そして集中すべきものへの注意をかき乱される)コンテンツに耽溺しているうちに、どんどん活字が読めない身体になっていく危険がありそうです。私はここ数年、純文学を読む体力のようなものが失われつつあるのを感じて危機感を抱いていたのですが、それは単に歳のせいだけでもなかったのかもしれません。

qianchong.hatenablog.com

『奪われた集中力』にはまた、こんな記述もありました。

小説を読むと、他人の経験の内側を見ることになる。それは本を読み終えても消えることはない。後日、現実の世界で誰かに会った時、その人の立場に立つことを想像できるようになる。(99ページ)

つまりは、小説を読むことが他人への共感力を高める一助にもなるというのです。しかもヨハン・ハリ氏は、読書が人間の意識に与える影響を研究している社会科学者の実験において「ノンフィクション作品を読んでいても共感力への影響はまったくなかった」という結果を紹介し、こうも言っています。「事実に基づいた話を読めば知識は増えるかもしれないが、共感を広げる効果はないのだ」。

ジャーナリストで作家・評論家でもあった立花隆氏は、かつて『読書脳 ぼくの深読み300冊の記録』でこう書かれていました。

フィクションは基本的に選ばない。二十代の頃はけっこうフィクションも読んだが、三十代前半以後、フィクションは総じてつまらんと思うようになり、現実生活でもほとんど読んでいない。人が頭の中でこしらえあげたお話を読むのに自分の残り少い時間を使うのは、もったいないと思うようになったからである。


読書脳 ぼくの深読み300冊の記録

当時はなるほど、と納得した私でしたけど、いまにして思えばいささか短慮にすぎたかもしれません。私ももはや「自分の残り少い時間」を意識するような歳になりつつあります。でも、小説・フィクションをこそ読まないと、想像力や共感力をはじめとした認知の力はますます衰えていくのかもしれないと思いました。豊崎氏は上掲の記事で、こうもおっしゃっています。

本を読まなくてもたしかに死なない、自分は。でも、想像力の欠如によって、遠くにいる誰かを殺しているかもしれないということは覚えておきたい。