インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

比べないけど競いたい

語学においては、自分を人と比べることに何の意味もありません。私は誰それより上手く話せるとか、誰それより単語をたくさん知っているとか、そんなことはどうでもいいのです。それはもちろん上手く話せるに、あるいは単語をたくさん知っているに越したことはないですけど、それを人と比べることに意味はないと思うのです。それぞれの学習歴も言語環境も異なるのですから。比べるなら以前の自分をおいて他にありません。

それは分かっているつもりなのですが、ひとりで黙々と語学をやっていてもあまり面白くありません。もちろんひとりで黙々やる方が楽しいという方もいるでしょうけど、私は誰かと競いながら学びたい。誰かと競うってことは比べるってことじゃないのかって? たしかにそういう一面もありますが、序列をつける、あるいは合否を決めるために競うのではなく、お互いがお互いのモチベーションを高めるような形で競えたらいいなと思うのです。何となく矛盾しているようで、なかなか言語化が難しいのですが、要するに切磋琢磨したいのですね。

私にとって、語学学校に通う目的はひとえにこの点にあります。誰かと一緒に学ぶことで自分も刺激を受けたい。自分ひとりでは気づくことのできなかった自分の至らない点をクラスメートから気づかせてもらえることほど、ありがたいことはありません。だから、こんな言い方は本当に傲慢かつ不遜で申し訳ないのですが、クラスメートが頼りないというか「相手にとって不足あり」だと張り合いがありません。

かつて中国語を学び始めたときも、最初に通った学校はクラスメートどころか先生もあまりに頼りなくて(毎回授業に遅刻してくるぐらいでした)、すぐに学校を変えました。さいわい変えた先の学校はとても活気があって、先生にもクラスメートにも大いに刺激を受けました。留学していたときは、先生はやや頼りなかったけれど(ごめんなさい)、いろいろな国籍のクラスメートとはよい意味で競い合うことができました。

通訳学校は、都内で日中中日通訳を訓練できる民間の学校みっつとも転々としました(上述したような理由で「張り合い」を求めて)、最後にたどり着いた学校では先生にもクラスメートにも恵まれました。ほんとうに感謝しています。

ひょっとすると、私のような生徒がクラスにいたら、クラスメートはもちろん、先生だってちょっと迷惑かもしれません。クラスメートの中には自分のペースでゆるゆると学びたいという方だっているでしょうし、先生にしたってひとりだけやたらアグレッシブな生徒がいたらかえって教えにくいでしょう。

私自身教師の端くれですから、そのへんの事情は分からなくもありません。ひとつのクラスに習熟度やモチベーションの異なる生徒が混在している場合、どのあたりに基準を置いて教えるかにかなりの神経を使うものですから。グループレッスンである以上、それはある程度しかたがないことは私にだって分かります。

そうなるとこれはもう、マンツーマンレッスンにしか自分の求めるものはないのかもしれません。でもマンツーマンでのプレッシャーと、クラスメートとの切磋琢磨は、やはりぜんぜん違うものなんですよね。ああ、なんだか自分が自分でも大嫌いな、やたらマウントを取りたがる「老害」のオジサンっぽく思えてきました。

筋トレなんかは、これはもう純粋に「自分との対話」だからパーソナルトレーニングでよくて、逆にグループトレーニングなど求めないですけど、語学はやっぱり複数の“志同道合(志と信念を同じくする)”クラスメートが欲しい。でも私がいま学んでいる語学はとてもマイナーなので、学校や教室の選択肢も多くない。いやいや、語学だって身体技能である以上「自分との対話」でいいじゃないか……などと、思考がぐるぐると回って、最近は悶々としています。


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