インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

フィンランド語 181 …課されたタスクが怪しすぎるけど楽しい

週一回通っている(現在はオンライン)フィンランド語の教室、最初は8人ほどいた生徒さんも徐々に減ってしまい、現在は3人だけになってしまいました。私はこのクラスに途中から参加したのですが、それは前に通っていたクラスが私一人になってしまって最少催行人数を割ってしまい、他に移らざるを得なくなったためでした。

語学のクラスは、どんな言語でもたいてい入門や初中級のクラスがいちばん賑わっていて、レベルが上がるに従って生徒さんが減っていくものです。まあこれは語学に限らないかもしれませんが、長く続けていくというのはけっこう厳しいんですよね。誰にだって「もうやめようかな」と内なる囁きが聞こえてくる段階というものがあるものでして。

これも語学に限りませんが、何かの技術なりスキルなりを習得する段階というものには、必ずと言っていいほど「停滞期」が伴います。入門段階ではスタートダッシュで急速に伸びているような気がするものの、そのあと停滞期やスランプのような期間、伸び悩みの期間が一定程度続き、そんなときに内なる声がこう囁いてきます。

「自分に向いていないんじゃないか」「先生や教材が悪いんじゃないか」「クラスメートに恵まれていないんじゃないか」「最初に思ってたのと違う」などなど。そんなときにぐっと堪えてやめてしまわないことが肝心なのですが、そこでも「やめる勇気を持つことも大切じゃないか」「一度始めたらやめられないなんておかしいじゃないか」「短い人生でひとつのことに固執し続けるなんて愚かだ」など囁きは続きます。

私もかつてはそんな囁きに負けてやめてしまったものがたくさんありますけど、不思議に歳をとってから始めたものは、どれも細々とではありますけど続いています。そう、細々とでもいいから続ける、その「細々度合い」がたとえ世間的にはほとんどやっていないに等かろうと、そんなことは気にせず完全にやめてしまわないというのが、続けるためのたったひとつのコツのような気がしています。

qianchong.hatenablog.com

で、フィンランド語のクラスです。数ヶ月前から、すでに学び終えた教科書の本文を暗記するという課題が出ていて、そののちすべての文の構造を分析して口頭で説明するという課題に移行しました。そして先週からは、ひとつひとつの単語、とりわけ名詞・形容詞と動詞について、それぞれ原形(辞書形)、語幹、kptの変化、iがついたときの母音交替(名詞・形容詞は複数形になるとき、動詞は過去形になる時)を高速で言っていくという課題になりました。

先生の意図は、フィンランド語は畢竟「語尾」で話す言語なので、変化を起こすそれぞれの単語の語尾を瞬時に紡ぎ出していかなければならない、よってそうした作業がほとんど自動的に無意識的にできるようになるまで繰り返しそのパターンを身体に叩き込むための作業ということなのでしょう。先週と今週は、一時間半の授業時間すべてをこの作業に費やしました。

いまどきこんなに地味で辛気臭いことばかりやる語学講座は珍しいと思います。でもこれは、ここまでやめずに残った生徒の「本気」に応えて先生が課してくださっているタスクだと思うのです。これからも地道に取り組みたいと思います。……と、ここまで書いて、これって何かの宗教の信者みたいな口吻だなと思いました。「内なる囁き」ってのも、いま世間を騒がしているあのカルトの「サタンの試練」みたいですしね。

確かに、“Monilla vanhoilla ihmisillä on tapana puhua samoista vanhoista asioista monta kertaa huomaamatta tai muistamatta, että toiset ovat kuulleet samat jutut jo monta kertaa.”という文章を前に「moni、iで終わるフィンランド語で語幹はmone、kpt変化なし、複数のiがついたらiの前のeは消えてmoni、所格接格のllaがついてmonilla。次にvanha、そのまま語幹、kpt変化なし、複数のiがつくとaで終わる二音節の単語で最初の母音がoかu以外なのでaがoに変わってvanhoi、所格接格のllaがついてvanhoilla……」という感じで延々つぶやいているんですから、傍目にはかなり怪しい宗教感満載です。

もっとも、クラスメートはみんな嬉々としてこのタスクに取り組んでいるんですけどね。


https://www.irasutoya.com/2017/08/blog-post_54.html