昨日ネットで、こちらの映像に出会いました。日本の小学校で行われているマラソン大会で、子どもたちを競わせて順位をつけることに教育的意義を見出す日本の校長先生と、運動が得意ではない子供に「もう運動はやりたくない」と思わせるだけではないかと指摘するフィンランドの校長先生。お二人の意見があまりにも噛み合っていないので、逆に引き込まれました。
なにもかも諸外国のやり方がよいと賛美するつもりはありませんが、小学校における体育の目的は「将来社会に出た時に健康を維持するために走ったりするようになること」、それが本来の目的ではないかと指摘するフィンランドの校長先生に心から共感します。そう、本来体育はその人が将来にわたって健康的に暮らしていくための生活習慣を養う場であるはずなのに、日本のそれは「競技」、つまり競わせることに比重が置かれすぎてきたのではないかと思います。
私もそんな「競技」が嫌で体育嫌いになった子供のひとりでした。体育やスポーツの本来の意義、それも人生にとって極めて大切な健康を維持するという観点からの体育やスポーツの意義をわかるようになったのはごくごく最近のことです。ことほどさように、子供時代に植え付けられた「競技・競うこと」に対する苦手意識は、私の中に深く影を落としていたように思います。
ことは体育にとどまらないかもしれません。美術だって全員一斉に同じタスクを課し、結果に対して賞をつけるようなことが行われていましたし、音楽だってすぐクラス対抗の合唱コンクールのような形に持って行きたがりますよね(何十年も前の状況なので、現在はずいぶん変わっているかもしれません)。
この動画に対して、ジャーナリストの烏賀陽弘道氏がTwitterでこんなツイートをされていました。
そもそも、教育に「勝ち負け」を持ち込む時点で日本の学校教育は間違ってます。 https://t.co/0uMYXSiE2P
— 烏賀陽 弘道 (@hirougaya) October 4, 2020
私も教育に携わるものの端くれとして、この指摘は重く受け止めなければならないと思います。私が担当しているのは義務教育段階ではなく大人を対象とした教育ですし、「勝ち負け」を求めるような種類の教育内容でもありません。それでも学校というものには定期試験があり、成績がある。学校なんだから試験があって、試験や「平常点」などに基づいて成績がつくのは当たり前じゃないかと思うかもしれませんが、私はここ何年か、この当たり前のあり方に強い違和感を抱くようになってきました。
動画でフィンランドの校長先生がおっしゃっていたのは、体育の本来の目的は「将来社会に出た時に健康を維持するために走ったりするようになること」ではないかということでした。これは言い換えると、生徒自身が将来にわたって継続的に自ら身体を動かそうとする、そうした生活習慣を養うことではないかと思います。私が担当しているのは語学や通訳翻訳教育ですが、この校長先生のひそみに倣うなら「将来学生が社会に出た時に、自分でその仕事を維持するために何をすればよいのかを自ら見つけられる能力を養うこと」となるでしょうか。
しかし実際には学校側からの要請もあり、普段の授業で「小テスト」や「単元テスト」のようなものを行って「平常点」とし、期末には試験を行って結果を数値化し、それらを総合して細かく計算した後に点数を出し、その点数に従って「S」とか「A」とか「B」などの成績をつけています。基準の点数に達しなかった場合には再試が行われ、それでも合格しなかった場合には進級が負荷になったり、最悪の場合には退学になったりします。
これらは学校であれば当たり前のように思えますし、むしろそうやって厳しいシステムにしてこそ学生は学ぶのだと考える人もいるでしょう。それにこれは一定枠の定員を競う入試とは違って、ただ自分のスキルを向上させるための指標としての数値です。もとより「人と比べることは語学において何の意味もありませんよ」と私も普段からくり返し学生に伝えています。
……それでも。
学びの結果が数値化されれば、それは容易に他人との比較に、つまり「競争」につながっていくでしょう。じっさい、今年の前学期が終わった先週(うちの学校は前期・後期の二学期制です)、ある留学生が別の留学生に「今回の試験で『S』は何個あった?」と訪ねているのに接しました。そんなもので競うなんて小学生か! と思わず苦笑しましたが、同時に、試験や試験結果の数値による評価というものは、こうして容易に他人との比較や競争につながり、学びの本来的な意義、つまり「自分がどこまで自分のスキルを向上させていけるか」とか「より豊かな人生を送るためには何が大切か」というところから乖離していくのではないかと思ったのです。
いま、後期の授業案内を書いているところです。例年通り「単元テストなどの平常点60%、期末試験40%で評価する」などと書いていたのですが、これをまったく違う書き方に改めてみようかなと考えています。試験や評価をまったくしないとなったら、学生のみなさんはこれさいわいと今まで以上に学習や訓練に身が入らなくなるでしょうか。それとも徐々にでも自分のスキルが少しずつ向上し、広がっていくことに喜びを感じるようになるでしょうか。もちろんそのためにより効果的で面白い教材を考えなければならないのは言うまでもありませんが。