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世界一しあわせなフィンランド人は、幸福を追い求めない

国連による「世界幸福度ランキング(The World Happiness Report)」というのがありまして、今年もフィンランドが第1位になったそうです。4年連続の第1位とか。

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このレポートについては、まずもってそれが「幸福」という、そもそも何かの指標で客観的に評価できるのかどうかが難しいと思われることに加えて、考慮されていない指標も多々あるではないかという批判が毎年発表のたびになされているようです。例えばこちらの記事では「幸福度の高さと自殺率の低さに相関関係は見られない」という視点が紹介されています。

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確かに、フィンランドは幸福度ランキングで常に上位に入っている北欧諸国の中でも一番自殺率が高いのだそう。う〜ん、長く暗い冬が続く環境が影響しているのかしら。もちろん人が自死を選ぶ要因はそんなことだけではないとは思いますけど。

それはさておき、フィンランド社会福祉の充実、ジェンダー平等、原子力政策、国民の政府への信頼、働き方のスタイル……などなどで、日本人から見れば夢の国のようなイメージがあるからか、フィンランドの良さを解説する本がたくさん出版されています。

私はいま趣味で(というより「ボケ防止」のために)フィンランド語を学んでいます。語学とその国の文化や歴史への興味は不可分なので(その国の個々人への興味とはちょっと違います。ここ、けっこう大事)、ここ数年はフィンランドという国名を冠した書籍はあらかた読んできました。Amazonなどでも「フィンランド」で検索すると、多くのフィンランド関係本、とくにかの国のライフスタイルの魅力を紹介する本がいろいろと見つかります。

フィンランドの幸せメソッド SISU(シス)』、『フィンランド人はなぜ「学校教育」だけで英語が話せるのか』、『フィンランド人はなぜ午後4時に仕事が終わるのか』、『フィンランドの教育はなぜ世界一なのか』、『ほんとはかわいくないフィンランド』、『週末フィンランド~ちょっと疲れたら一番近いヨーロッパへ』、『フィンランド 豊かさのメソッド』……などなど。

私はこうした「フィンランド本」のほとんどを読みました。が、え〜、まことに身も蓋もない言い方になりますが、正直に申し上げてその多くは少々期待はずれでした。もちろん、紹介されるフィンランドの様々な側面がひとつひとつ魅力的に映ることは確かなのですが、じゃあその上で日本に生きるいまとこれからの私たちがどうすべきかという視点になかなかつながらないのです。もっともこれは、それだけ双方の間にある違いが大きすぎるからなのかもしれませんが。

そんな中で今回読んだフランク・マルテラ氏の『世界一しあわせなフィンランド人は、幸福を追い求めない』は、少々変わった雰囲気の本でした。タイトル(邦題)は「いかにも」なフィンランド本ですけど、原題は“A WONDERFUL LIFE : Insights of finding a meaningful existance”、つまり「人生の意味」を見つけるための考察ということですよね。実際そのとおりで、この本にはフィンランド人のライフスタイルとか、北欧デザインの精神みたいな私たちが期待するフィンランドの描写はほとんどなくて、ひたすら哲学的な思索を深めていこうとする内容なのです(それでも読みやすいです。夏目大氏の翻訳が秀逸なのだと思います)。

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世界一しあわせなフィンランド人は、幸福を追い求めない (ハーパーコリンズ・ノンフィクション)

この本で惹きつけられた記述はいろいろとあるのですが、私が特に「おやっ」と思ったのはフィンランドを含む欧州の人々の意識が、かつての宗教的な価値観の枠組みからすでに大きく離れ、きわめて現実的かつ個人的な思考の枠組みにシフトしているという点でした。

ヨーロッパのいくつかの国では、神を信じないことーーまたそれを公言することーーがすでにごく当たり前になっている。チェコはおそらく世界でも最も無神論者の多い国だろう。実に国民の40パーセントが完全に神の存在を否定している。無神論者が2番めに多いのはエストニアだ。フランス、ドイツ、スウェーデンでも、神の存在を確信する人よりも不在を確信する人のほうが多くなっている。(108ページ)

アメリカ合衆国ほどではないにしても、欧州の国々もそれなりに「神がかっている」イメージが強かったので、これは意外でした。そしてこの本では宗教的な価値観からできる限り自由になって、個々人の経験や感覚、それも過去や未来ではなく「いまここ」の経験や感覚を大切にしようと繰り返し訴えるのです。人生を意味深いものにしたいなら(人生に意味があると考えるかどうかが前提になりますが)、「いまここ」で意味があると思える体験をすべき、すべての「いまここ」を大切にすべきだと。

それはとりもなおさず、人生が有限であるということを実感するということだと思うんです。この本には面白いエピソードが書かれていて、それは私も常に思っていることだったので思わず「そうそう!」と言ってしまったのですが……

読める本の数は限られている。それに気づいて、私は自分の命の有限性を実感したわけだが、同じようなことは誰にでもあると思う。たとえば私の友人は、お気に入りのレストランで好きなステーキを食べられる回数があまりにも少ないことに気づいた。その店に彼は年に3回くらい行く。あと30年生きるとしても、ステーキを楽しめる回数はもう100回にも満たないのだ。(130ページ)

そうだよなあ。おいしいお寿司屋さんで、あと何回食べられるか(1年に1回も行けてない)。旅行にだって、あと何回行けるか(コロナ禍でますます行けなくなった)……。こんなにも短い人生(余生)なのに、自分の今の感覚を大切にせずして、何を大切にするのか。これまでの柵(しがらみ)に囚われてなんていられないし、ましてや神などといった「形而上学的」なことにかかずらわっている暇などないではないかと。

フィンランドの人たちも、そうやって人生の意味を探しているんですね。その点では私たちも同じ。もちろん現実に引き戻されると国のあり方のあまりの違いにため息をつくことも多いですけど、いずこのお宅もそれぞれの事情を抱えているものなのです。フィンランド語の先生など、この点について「フィンランド大使館のTwitterは、いいことばっかり書いてんじゃないよ!」的なことをおっしゃっていました。わははは。実際に住んで、かの国に肉薄してみると、いろいろ違う側面が見えてくるんでしょうね。ま、私だって、実際に住んでみた中国も台湾もそんな感じでした。

とまれ、ほかの「フィンランド本」とはかなり変わったテイストの一冊でした。文中に引用されていた映画『モンティ・パイソン/人生狂騒曲』のエンディングに出てくるという、人生の意味が書かれた「黄金の封筒」の中身がこれまたいいなあと思いました。

いや、特別なことはなにもない。人に親切にし、脂肪を取りすぎないように気をつけ、ときどきは良い本を読み、散歩をし、信条や国が違う人々とも平和に共存できるよう努力する。(102ページ)