インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

帰国子女のための外国語保持教室

きのうの土曜日に、職場の学校へ行きました。土曜日は本来休日ですが、来週以降の教材作成のために休日出勤したのです。そうしたら、ふだん私たちが授業を行っている学校の教室に小さな子どもたちがたくさんいて、英語を学んでいました。親御さんと思しき方々もロビーで授業が終わるのを待っています。そう、うちの学校は休日に、さまざまな語学系の教室や検定試験のために教室を貸し出しているのでした。

子どもたちが英語を学んでいるのは「帰国子女のための外国語保持教室」でした。なるほど、海外へ赴任された親御さんとともに現地で学び、その後日本へ戻ってきた帰国子女のために、英語など外語を忘れてしまわないようこうして定期的に学んでいるというわけです。というか、そういうサービスを提供している団体があるというのがすごいなと思いました。

たぶんここ数年はコロナ禍でオンライン授業だったのが、また対面授業が復活したので、こうして子どもたちをお見かけするようになったんですね。

www.joes.or.jp

自分の仕事部屋へ向かう途中にちらっと見ただけですが、学んでいるお子さんたちはおおむね小学校の低学年から3〜4年生というあたりだとお見受けしました。このあたりの年齢だと、母語をかため、豊かにする上でも大切な時期でしょうから、親御さんたちのご苦労もひとしおなんじゃないかなと、外野のお気楽な感想ながら思いました。


https://www.irasutoya.com/2014/06/blog-post_5765.html

仮に母語を日本語として考えると、あらゆる思考のベースになる日本語はできるだけ豊かにさせてあげたい、でもせっかく海外での暮らしを通して外語も身についたので、それが消えてしまうのはもったいない……。いま私に同じくらいの年齢の子どもがいれば、私も同じようなことを考えると思います。

でも同時に、AI技術などの発達で、コミュニケーションの道具としての言語は、近い将来に必ず機械によって代替されるようになる、とおっしゃる方もいます。だったら無理して外語を保持せず、そのぶん母語である日本語をより豊かにさせる、あるいはその他のAIではまかなえないクリエイティブな感性や技術こそを伸ばしてあげるべき……という意見もあるかもしれません。

私個人は、昨今の幼少時から英語教育に過度に傾倒する風潮はかなり危うい(セミリンガル・ダブルリミテッドの状態を生み出す危険という点から)と思っていますが、その一方で自分の母語以外に外語を学ぶことの意義は、たとえ高度な機械翻訳や機械通訳が登場したとしても、いささかも薄れないと考えます。それは世界を母語とは違った仕方で切り取る外語の学習が、自分と世界とのインターフェイスを広げ、様々な角度から物事を見つめ、考えることができるようになると思うからです。

qianchong.hatenablog.com

ただそれ(外語学習)をどの年齢の段階から始めればいいのか、これについては色々な人が色々なことを言っていて、未だに決着をみていません。私は、外語学習は母語がある程度成熟して以降、必要な人が必要だと思うようになったときからにでよい(ただし必要となったからには、それこそ相当の力の傾注を覚悟して)というスタンスですが、これとてなんの学術的裏付けもない、単なる個人の感覚に過ぎません。

というわけで、いま自分に土曜日の教室でお見かけしたあのくらいの年齢の子どもがいたら、そしてその子どもがいわゆる帰国子女という立場だったら、親として相当に悩むだろうなあと思ったのでした。相変わらず外野からのお気楽な感慨で申し訳ありません。