外語を学ぶと、その言語で話したくなります。外語を学ぶ目的は人によって様々で、中には書籍や文献を読むことができればいい、聞いたり話したりは必要ない、という方もいるかもしれません。でも私は読んだり書いたりはもちろん、やっぱり聞いたり話したりもできたらいいなと思います。特に自分から話すことができて、相手に伝わり、反応が返ってきたらすごくうれしい。
これは外語にコンプレックスがある日本人(日本語母語話者)ならではかもしれませんが、私にはやはり「外語を話すことはカッコいい、クール」という感覚があります。それから「外語の本を読んでいたらカッコいい、クール」とか。くだらない知的虚栄心ですけど、そう思えるからこそ外語学習にも身が入る、モチベーションが上がるということはあると思います。
もうずいぶん前のことですが、電車の中で中国語の教科書を読んでいたら、二人連れのビジネスパーソンとおぼしき中国人に話しかけられたことがありました。「日本人? 中国語を学んでるの?」とうれしそうでした。そりゃそうですよね、自分の母語を外国人が学んでくれているというのはうれしいものです。そして自分も中国語で話すことができてとてもうれしかった。
台湾の書店で日本語の教科書を物色していたときに、日本語で話しかけられたこともあります。その方とはしばらく日本語で話をしました。今の時代にはちょっと想像できないかもしれないですけど、昔は英語で話したいがゆえに電車内で外国人を見つけたら話しかけるという人もいたものです。私も中学生の頃にやったことがあります。今から考えれば外国人の母語がすべて英語とは限らないし、「ガイジン=英語」みたいな図式でかなり失礼な行為ですけど。
ともかく、それほど外語を話したかったわけです。
なのに、私が担当している中国語母語話者の留学生のみなさんは、あまり日本語を話したがりません。いえ、教師に対しては日本語で話すんです。中には中国語が分からない教師もいますから、それは当然です。でも中国語母語話者の留学生同士だと、必ず中国語で喋り倒すのです。当たり前じゃないかって? いえ、私は同じ母語話者同士でも自分がいま学んでいる言葉(つまり日本語)で話す方が当たり前だと思います。自国内ではなく、留学先の日本にいるのですから。しかもいまのみなさんの目標は日本語をより高いレベルで話せるようになることなのですから。
もちろん通訳や翻訳の授業もありますから、その際には中国語も話さざるを得ません。それはよいのですが、それ以外の授業でも、とにかく中国語で話しまくっている。こちらが「日本語で話しましょう」と呼びかけても、その時は少しだけ頑張るのですが、すぐに中国語での会話に戻ってしまうのです。中国語母語話者同士が、あえて日本語で話すという一種の「演劇性」を実践することができない。私はもうかれこれ十年以上観察していますが、こうした演劇性を理解して日本語を使い続ける華人留学生を一人も見たことがありません。
外語を話すというのは畢竟、少なくともその習得過程においては一種の「お芝居」だと私は思います。逆に言えば、そうした演劇性を理解して、自らバーチャルなもう一人の自分を演じることができる人こそ、その語学の達人になっていけるのではないかと思っています。かなり上達して、自分の身体の中から自然にその外語が出てくるような状態になればまた別でしょうけど、私が担当している留学生のようにまだまだ伸びしろの大きい方々は、もっともっと演じるように日本語を話さなければならないと思うのです。
それでもみんな、日本語で会話したがりません。最近は私ももう半ば諦めていて「日本語で話しましょう」とは呼びかけなくなりました。職務放棄みたいなものですけど、ご本人たちがその気にならない以上、仕方がないですよね。
https://www.irasutoya.com/2013/06/blog-post_5366.html
追記
外語の学習中はできるだけその外語で話そう……とはいっても、時と場合によっては「場違い」なこともあります。特に外語コンプレックスが強い(と思われる)日本語母語話者に多いのですが、ご自分の語学力をひけらかすように時も場所もわきまえず外語で話したがる方が時折います。こちらのツイートで拝見した方のように。通訳つき講演会の質疑応答でも、やたら英語で質問したがる方がいます(大抵はオジサン)。これは「困ったちゃん」ですよね。
僕も頷きました。11月の市民祭で学生達が外国ルーツの子どもの日本語学習問題について展示発表してる所に来て、国際関係の学生なのになんで英語で話さないのかと英語で問い詰めてきたのでやむを得ず介入しました。非英語圏出身の子どもの日本語学習の問題についての発表だと言っても聞かないのです(汗
— Sugimoto Atsubumi (@satsubumi) December 13, 2019