インタプリタかなくぎ流

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日本人と話すのが億劫?

職場の学校では、今年の4月に入学してきた留学生クラスの前期カリキュラムが終わり、期末試験が行われました。私が担当しているのは主に中国語母語話者の留学生で、中国語から日本語への通訳試験などを行いました。

試験はさまざまな語彙のクイックレスポンス(ある単語を聞いたら即座にその訳語を言う、極めて短い逐次通訳のようなもの)と、短文逐次通訳です。語彙は授業で練習した上にQuizletの教材も配って練習できるようにしたので概ね良好な出来栄えでしたが、短文逐次通訳は全員が合格ラインすれすれでした。まだまだ日本語の流暢さが足りないのと、通訳という作業そのものに慣れていないからです。

一部の学生は、普段はけっこうペラペラっと日本語でのおしゃべりに興じることができるくらい日本語がうまい(とご自身は自負している)のに、短文逐次通訳の成績が低いことにショックを受けていました。でも、ご自分でも出来が悪かったことはわかっているのです。自分が喋りたいことを喋りたいように喋るのとは違って、通訳という作業は他人が喋っていることをその人に成り代わって喋る営みだからです。

試験のあと、何人かの学生が真剣な面持ちで私のところに来ました。「日本語がもっとうまくなるためにはどうしたらいいですか」って。私は「率直に申し上げて、日本語のアウトプットがあまりにも足りないと思います」と伝えました。

そうなのです。このブログでももう何度も書いていますが、中国語母語話者の学生さんたちは、せっかく日本に留学に来て、日本語の大海原に身を投じているというのに、教室ではつねに中国語で喋り倒しているのです。もちろん中国語が通じない日本の先生方や中国語母語話者ではない留学生と話すときは何とか日本語で話そうとしますが、それにはあまり積極的ではなく、クラスでもとにかく中国語母語話者だけで固まって、中国語ばかり話している。

私は自分が留学したときの経験も紹介しながら、中国語母語話者同士でもあえて中国語を封じて日本語で話すように勧めています。でも、まだまだ日本語の力が弱いのでもどかしいのか、ついつい中国語に戻っちゃう。加えて、お互いに母語が通じるのにあえて日本語で話すという、ある種の「演劇性」を恥ずかしがっているという側面もあります。

qianchong.hatenablog.com

語学は、特にその「話す」技能の習得段階では、ある程度恥を捨てて演じるような気持ちでアウトプットし続けることが必要です。それは彼らもわかっているのだけれども、なかなか実行に移せないんですね。まあ義務教育でもないので、あとは本人次第と突き放してもいいのですが、それも教師として責任放棄かなと思って色々とアドバイスしています。

日本に住んでいて、日本人と話すことはないんですか?
ーーないです。
日本人の友だちは?
ーーいないです。
アルバイトは?
ーーしてません。どうやって日本人の友達をみつけたらいいですか。
キャンパスにいっぱいいるじゃないですか。学生食堂に行って「留学生なんですけど、日本語で話してくれませんか」って頼んでみるとか。人から聞いた話ですけど、ある日本人留学生は留学先で公園に行って、日向ぼっこしているお年寄りとお話しして語学を磨いたそうですよ。お年寄りも話し相手ができてとても嬉しそうだったって。そういうのやればいいじゃないですか。
ーーでも……。

確かに勇気がいります。私も中国で、公園に行って見知らぬ人に話しかけたことがありますが、十人中八人くらいは怪訝な顔をされて断られますから。それでも、アウトプットし続けないとね。

あとはもう本人次第ですが、私は私の責任として、授業の中で彼らに日本語のアウトプットをできるだけさせるよう工夫はしています。でもそれがまだまだ足りなかった。来月から始まる後期の授業では、日本語のアウトプットと小テストを組み合わせ、それを学期全体の成績とリンクさせようと思っています。

私は本来的には試験をしたり評価をしたりするのは好きじゃないのですが(だって大人の学校ですから、学ぶのは本人次第ですよね)、なぜか留学生諸君は試験をします、成績をつけますとなると俄然目の色が変わるんですよね。だったらその仕組みを利用して彼らにもっと日本語のアウトプットをさせればいいのではないかと考えを改めました。


https://www.irasutoya.com/2015/03/blog-post_295.html