インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

スペックを下げようと思います

華人留学生がなかなか日本語を話したがらないーーというエントリを昨年書きました。

qianchong.hatenablog.com

華人留学生、つまり中国語圏の留学生さんたちは、日本語を学ぶために日本に留学しているというのに、中国語母語話者同士ではすぐに中国語での会話に戻ってしまいます。授業やアルバイト以外の時間は、ほぼ全てを中国語で過ごしているのです。

一方で非中国語圏の留学生は、お互いの共通言語が日本語だけ(+英語)という人が多いので、授業中も休み時間も絶えず日本語で話し続けています。そのため、うちの学校で二年間を過ごす間に、日本語の音声アウトプットに関してはかなりの差が開いてしまいます。

私はそうした華人留学生に対して、「中国語母語話者同士でも日本語で話しましょう。せめて教室の中だけでも」と言い続けて十数年になります。でも、これまでにそれにチャレンジして、堅持した方はひとりもいませんでした。チャレンジする人はいますけど、一日も経たないうちに挫折するのです。水は低きに流れる。母語で会話することの「ラクさかげん」に抗えないんですね。

今年の新入生にも同じように言いました。「芝居っ気を持って、中国語母語話者同士でも日本語で話してみましょう」と。さて今年、「最初のひとり」は現れるでしょうか。

ただこれは「積極的に日本語を使い続ける環境にいない」という、いわば「構造的」な問題なので、どうしようもないのかもしれません。私はかつて中国に留学した際、日本人と話す際にも必ず中国語で話すというのを(特に教室の中では)徹底していましたけど、それを同僚に言ったら「それは、アンタが特殊だからでしょ」と言われました。はっきり言ってそうことをするのは「変人」のたぐいなのだと。

同僚からは加えて、どうやっても華人留学生同士で日本語を話させることが不可能(十数年間、数百人に試して一度も成功していないのなら、それはもう不可能と断じてもよいでしょう)なのだとしたら、教師の責任として教材や教え方を変えるべきだと忠告されました。端的に言って、アンタの教材や授業方法は難しすぎて、つまり「スペックが高すぎ」て、私たちが担当している留学生には合っていないのではないかと。いや、本当にそのとおりかもしれません。

私がメインで担当しているのは、中国語と日本語の間の通訳訓練です。通訳というものは「あらかじめ音声を聞くことができない」というのがいちばんの特徴(事前に聴ける通訳業務があったなら、ものすごくラクでしょうね)なので、これまでは先に課題の内容を提示し、背景知識を学び、そこから語彙をピックアップしてグロッサリー(用語集)を作り、通訳の練習をする……というパターンで授業を組み立てきました。通訳作業の本質である「初見(初聴?)の音を聞き、音でアウトプットする」ことを大前提にしてきたのです。

でも、私はこの大前提を変えることにしました。つまり通訳訓練という枠組みをいったん捨てて、華人留学生のみなさんにできる限り日本語の音のアウトプットを促す方向で教材を作り直そうと。具体的にはまず先に教材の音声を聞かせ、そこから語彙をピックアップしてグロッサリーを作り(ここは同じ)、そのあと通訳の訓練をする前に、教材の内容について一問一答をしたり、要約して言わせたり、他の人と語彙や訳語をシェアしたり……という活動に十分な時間をかけるようにします。

それらの活動はすべて華人留学生に少しでも日本語の音のアウトプットをさせるためです。うちの学科が対外的に謳っている、卒業後の仕事の現場で求められるような通訳技術の涵養からはいったん離れる、いやそれはもうほとんど諦めようと思っています。通訳訓練に模した日本語の音のアウトプット訓練とでも言いましょうか。多少「看板に偽りあり」になってしまいますけど。

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https://www.irasutoya.com/2018/08/blog-post_574.html

うちの学校の華人留学生が日本語の音のアウトプットに非積極的なのは、端的に言ってその力がまだまだ弱いからです。だから恥ずかしい、だからますますアウトプットしなくなる。この悪循環をなんとか断ち切りたい。今になってこんな改変をやろうとしている私も相当愚かですが、とりあえずできることは何でも試してみようと思います。

そしてまた、「スペックが高すぎる」という批判に沿って申し上げるなら、これまでの私の授業は職業倫理やプロ意識を強調しすぎていました。実際、語学を駆使して食べていくのはとても大変なことなので、その厳しさを伝えることも大切だとは思います。でも正直なところ、留学生すべてが通訳者になるわけでもなければ、すべてが通訳技術の習得を求めているわけでもないんですよね。

中には「遊学」的に留学している人もいて、明らかに学習意欲が低い、あるいは知的好奇心にとぼしい人がいるのも事実です。でもそこはそれ、曲がりなりにも日本にまで留学しにきているのですから、それぞれの目的や理想や願望はもちろん、ある。それに、人は変わります。若いみなさんであればなおさら。だからまずは、こちらから変えていかなければと思った次第です。