インタプリタかなくぎ流

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華人留学生の頭がなかなか「日本語モード」にならない

職場で私が担当している学科には約80名ほどの留学生がおりまして、そのうちの半分が英語と日本語で、残りの半分が中国語と日本語で、通訳や翻訳やビジネスなどを学んでいます。「英日クラス」の留学生に英語の母語話者は少なく、大半が第二言語として英語を話す人々です。つまり母語タイ語ベトナム語やフランス語やイタリア語やスウェーデン語や……などであるわけですね。母語を介さず、どちらも第二言語である英語と日本語で学んでいるんですから、その苦労もひとしおだと思われます。

その一方で「中日クラス」の留学生は、そのほとんどが中国語の母語話者です。つまり母語である中国語と、第二言語である日本語で学んでいるわけで、「英日クラス」の留学生に比べれば語学、あるいは通訳や翻訳の訓練という点でははるかに有利な条件にあると思います。ところが面白い(というのが適切かどうかは分かりませんが)のは、入学から卒業までの間に日本語の力が飛躍的に伸びるのは「英日クラス」の方に多く、逆になかなか日本語が上達しないのは「中日クラス」の方に多いという点です。

でもこれ、留学生のみなさんをつぶさに観察してみると「さもありなん」という感じがします。「英日クラス」の方は、なにせクラス全体の共通言語が日本語しかないので、自然に、というかある意味しかたなく日本語で話し続けることになります(英語も話せるけど、これはかなりレベル差があります)。「英日クラス」と「中日クラス」が一緒に行う課題も多いのですが、その場合でも「中日クラス」の留学生との共通言語は日本語ですから、結局学校にいる間はずっと日本語を聞き日本語を話すことになる。そりゃ上達もしようというものです。

ところが「中日クラス」の方は、ずっと中国語で話しているんです。日本語の上達を目指してわざわざ日本に留学してきたのに、「英日クラス」の人や教師と話す時以外は日本語を話さず、母語である中国語で思いっきり意思疎通している。水は低きに流れるもので、まだまだ発展途上の日本語で拙い意思疎通をするよりは、中国語を話したほうがラクだし手っ取り早いんですね。でもこれじゃいつまで経っても日本語の上達は望めません。というわけで、入学してきたときは日本語がほとんど同じレベルだったのにも関わらず、卒業するときには「英日クラス」の留学生に大きく水を開けられているのです。

もちろん個人差はあって「中日クラス」の中にも天才的に日本語が上手な人もいますが、全体的に見れば明らかに上述のような傾向が見られます。これは日本人(日本語母語話者)が海外へ留学するときなどにも指摘される問題です。私が中国に留学していた頃は、一つの大学に何百人も日本人留学生がいるという一種の「ブーム」期で、よほど気をつけないとつい日本語を話してしまうというリスクがありました。実際、もう何年も中国に留学しているのに、拙さ全開の中国語しか身に着けていない日本人留学生はいました。欧米でも日本人コミュニティに入り浸ってちっとも上達しない……という話を聞いたことがあります。

それで私は、日本人留学生と話すときもあえて中国語で話すという、一種の芝居じみたことを自分に課していました。頭の中が日本語モードになっている間は、中国語を聴き、中国語で考え、中国語で話すことなど覚束ないだろうと思っていたからです。私の周囲にもそうした芝居じみたやり方を意気に感じて(?)つきあってくださった方は多かったです。当時の“同学(クラスメート)”に感謝しています。

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https://www.irasutoya.com/2013/12/blog-post_195.html

というわけで私は現在も、華人留学生のみなさんに繰り返し頭を日本語モードにするよう呼びかけ、華人同士でも日本語で話すように勧めています。語学は畢竟一種の「お芝居」であり、多少の(やりすぎは禁物ですが)演じる気持ち、あるいはトライアルを恐れない気持ちがないとなかなか肉体化されないからです。語学がお芝居であることに着目して、演劇訓練なども行っています。でもこれまで、いくつかの学校で足掛け十年以上華人留学生と接してきましたが、こうしたお芝居的に日本語を話そうとする方は皆無……とまでは言いませんが、ほぼいませんでした。

まあ語学はやりたい方がやりたいだけやればいいので、何も私があくせくしなくてもいいんですけど。「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」と言いますしね。ただその一方で、これは構造的な問題でもあると思います。だって「英日クラス」の留学生は、そもそもが日本語を話さざるを得ない環境に置かれているから日本語を話して上手になっていくのです。「中日クラス」の華人留学生も「英日クラス」の人と話すときはもちろん唯一の共通語である日本語で話しています。「馬に水を飲ませる」のではなく、いまふうに言えば「ナッジ(nudge)」みたいな方法で、華人留学生にもっと日本語を話させるすべはないかな、と考えています。