インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

超没入:メールにもチャットにも邪魔されない、働き方の正解

私はGmailのアカウントを3つ持っています。1つは個人用、残りの2つは仕事用です。以前は個人用のアカウント1つで仕事にも兼用していたのですが、仕事の幅が広がるとともにアカウントも増えました。最初に使い始めたアカウントの「すべてのメール」で一番古いものを検索してみると、2007年3月31日のメールが出てきます。そう、この頃から私はGmailを使い始めたのでした。ちょうど15年前です。

使い始めたとき、どこかで読んだライフハック的な記事で、Gmailは読み終わったメールをアーカイブでき、あとから検索していつどんなやり取りをしたのか確認するのに便利だということを知りました。そこで私は、DMや宅配便の通知など、あきらかに保存しておく必要のないメール以外は削除せず、アーカイブしてきました。それが現在では何万通という膨大な数になって堆積しています。

よくもまあこんなにたくさんのメールを受け取り、自分からも発信してきたものだと思います。朝起きてまず確認するのはそれぞれのアカウントの受信箱ですし、仕事中もブラウザには常に3つのGmail画面をChromeのタブにして並べてあります。メールが着信したらすぐに気づけるように(ご承知のようにChromeGmailタブは新着メールがあるとその着信数が数字で表示されるのです)。

さらにコロナ禍に突入してからというもの、インスタントメッセンジャー(チャット)も頻繁に使うようになりました。私が仕事で常時連絡を取り合う必要があるのは5名ほどの同僚ですが、コロナ禍でオンライン授業と対面授業のハイブリッドになったため、在宅勤務や時差出勤が増えました。同僚が全員オフィスに揃っていることが少なくなったため、Gmailに付属しているハングアウトで連絡を取り合うようになったのです。ますますGmailの画面から離れられなくなっています。

このように仕事に(いやGmailはプライベートでも使っていますから、もはや暮らし全体に)欠かせなくなっているメールやインスタントメッセンジャーですが、そうしたツールに束縛されるワークフローを俎上に載せ、それらを克服した先にあるべき新しい働き方を提唱する衝撃的な本を読みました。カル・ニューポート氏の『超没入: メールやチャットに邪魔されない、働き方の正解(原題:A WORLD WITHOUT EMAIL)』です。


超没入:メールにもチャットにも邪魔されない、働き方の正解

カル・ニューポート氏といえば、巨大ネット産業の構造、特に「注意経済(アテンション・エコノミー)」と呼ばれる産業構造が、いかに金銭的な利益のために人間の心理的弱点を利用しているかについて、驚くべき(しかし冷静に考えればもっともな)事実を教えてくれた『デジタル・ミニマリスト』の著者です。

私は以前この本を読んで、自分の暮らしが大きく変わりました。まず依存症ともいうべき状態に近かったスマートフォンの使用時間が減り、TwitterなどのSNSをほとんど「降り」、そのぶん本を読んだり、語学の勉強をしたり、トレーニングをしたり……と自分の時間をより主体的・自律的に使えるようになったのです。

その氏の新著が『超没入:メールにもチャットにも邪魔されない、働き方の正解』です。かつての電話や会議や紙の資料のやりとりに変わって登場した、メールをはじめとする革新的なツールの数々。それが今やまったく予想外の結果として「注意散漫な集合精神」をもたらしていると氏は言います。こうしたツールが我々の職場環境をより効率的でスマートなものにしたと信じて疑っていなかったのに、実はそれこそが業務への集中を妨げ、生産性を低下させ、あまつさえ我々を不幸にさえしているのではないかと。

先だって読んだジェニー・オデル氏の『何もしない』には、スマホやパソコンの画面に表示される新着通知やその数字の存在が不断に私たちの注意をひきつけ、主体的で継続的な思考を中断させる危険について論じられた一節がありました。まさにそれと同じような、常に私たちの注意を喚起し続ける存在としてのメールなどのツールの、その異様ともいえる側面にカル・ニューポート氏も斬り込んでいます。

絶え間ないメールやチャットのやりとりがもたらす「注意散漫な集合精神」について、本書でその例として挙げられている事象の多くに私は「そうそう!」「たしかに!」と膝を打ちまくりでした。あまりにも自分の仕事環境と似ているためにちょっと怖くなってしまうほど。日々メールやチャットで当たり前のように行ってきた働き方こそが、自らの集中すべき業務や作業にかつてなかったほどの断片化と、その結果としての生産性の低下をもたらしていたとは。

「半永久的にメールなしで仕事をする」。序章に掲げられていたこのフレーズに、そんなバカなと思いつつ本書を読み進めていくうち、もうこれなしでは今後の働き方を考えることができなくなりました。現在のようなメールの使い方がもたらす散発的で断片的なコミュニケーションから抜け出し、個人のタスクにじっくり集中して取り組むこと――『デジタル・ミニマリスト』同様、「よりよい人生とは、人間らしい暮らしのあり方とは」を考え直す大きな気づきを与えてくれる一冊でした。