インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

母語話者に母語方向の訳出を教えるプレッシャー

通訳や翻訳の授業で、自分の母語方向への訳出を教えるのは大変だーーそんな一種の「お悩み」を、中国語母語話者の先生方から聞きました。学年末に例年開催している教師ミーティング(反省会)でのお話です。

私が勤めている学校のうちのひとつは、学生さんが全員外国人留学生です。日本語はいまだ発展途上であるため、例えば私が主に担当している「中国語→日本語」という訳出方向の通訳や翻訳の授業では、基本的にそういう「お悩み」は発生しません。私のような日本語母語話者は「その表現は不自然ですね」とか「そういう言い方はしません」などとなかば断定的に学生の訳出を評価することができるからです。生殺与奪の権利を持っているようなものですね。

それに比べて「日本語→中国語」という訳出方向の通訳や翻訳では、先生も学生もともに中国語母語話者であるため、生徒側も「一家言」持っています。先生が示した訳例やコメントなどに「そうかなあ」とか「私はそんな言い方をしないけど」などの留保をつける余地があるんですね。もちろん先生方は日本語の理解や運用においても、学生の一歩も二歩も先を行っています。また母語であってもその運用能力には「レベル」というものがある。だから学生がつける留保の九割九分までは「身の程知らず」なんですけど、それでも実際に感じるプレッシャーというものはあります。特に先生が自分より若かったりすると、とたんに斜に構える学生もいます。

まあ当たり前といえば当たり前の現象なんですけど、私が最初にこの傾向に気づいたのは、中国語母語話者の先生が担当されている翻訳の授業にオブザーバーとして参加したときでした。ふだん私の「中国語→日本語」の授業ではほとんど発言しない学生さんの何人かが、中国語母語話者の先生に対して「けっこうな口の利き方」をしていたのです。なるほど、同じ母語話者の学生からだと、こんな感じのプレッシャーを受けるものなのだな、と思いました。

しかしそうした学生の「けっこうな口の利き方」をよくよく聞いてみると、自分の母語レベルがそれほど高くないがための牽強付会であることがほとんどです。「私はそんな言い方をしないけど」は、実は母語話者ではあるけれどもそうした言い方や表現を知らないというだけのことだったりするのです。母語にもレベルがあるというのは、ご本人にとってはなかなか受け入れがたい(そして気づきにくい)ことかもしれませんが、これはもう厳然としてあるのです。自分の母語のレベルを過信してはいけないですね。

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https://www.irasutoya.com/2018/04/blog-post_91.html

ところで私も、別の学校では中国語母語話者と日本語母語話者が半々で在籍しているクラスで「中国語→日本語」の通訳訓練を受け持っています。そこでは、中国語母語話者以上に深く細かく中国語を理解し、かつ日本語母語話者を納得させられるだけの訳出なり説明なりをしなければならない、というプレッシャーを感じています。もとより私には荷が重すぎるのですが、仕事である以上できる限りの準備をして授業にのぞみます。

そうしたプレッシャーを感じる授業で、ときに中国語母語話者が気づいていない中国語のニュアンスを指摘できたり、日本語母語話者が探し当てられなかった当意即妙の訳を思いついたりしたときは、すごくうれしいです。そういう瞬間はそんなに多くないですけど。