インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

語学の「順序」と「戦略」について

先日、語学を継続させるコツは「その場その場で完璧を目指さず、未消化でもとりあえず先に進む」ことではないか……というようなことをブログに書きました。ブログを更新するとTwitterにも投稿するようにしているので(もはやその機能以外Twitterはほぼ使わなくなりました)、時々リプライがつきます。今回は「語学にはそもそも後とか先とかすらないので。現在形より過去形が後とか先とか別にない」とつぶやいてらっしゃる方がいました。

なるほど、語学の学習順序は人間が恣意的に決めたものだけれど、その言語は総体として自然にそこにあるだけだから、順序にこだわることにあまり意味はないということでしょうか。面白い視点だと思いますが、私は、こと外語の習得に関する限り、やはり学習順序にはそれなりに意味があると思っています。

例えば中国語だと、結果補語を学んでから可能補語に進むほうが理解しやすいでしょうし、フィンランド語では、過去分詞を先に学んでおかないと過去形(の否定)が作れません。英語ではたしか過去形を先にやって、次に過去分詞の形容詞的な用法や完了形などに進みますよね。その言語によって、学習者が理解しやすいような順序があるわけです。

それらはさまざまな先達の教育者が「こうやって学んでいったほうが分かりやすい」と試行錯誤してきた末に作り出した順序です。また「日本語母語話者がその言語を学ぶ際には、こういう順番のほうが分かりやすい」というような配慮もあると思います。学校教育の教科書やカリキュラムなどに対する恨みつらみ(?)から、いきおい「語学はシャワーを浴びるように」とか「大量に聞き流せばいいんだ」とか雑駁かつ一刀両断的な気持ちのいいことを宣言しちゃう方が時々いますが、それはちょっと考えが甘いかなあと思います。

加えて、これも既存の学校教育へのアンチテーゼなのか、「最低限の単語や文法は必要だが、まず聴くそして話すを先に持ってこなければならない」とか「まず流暢さ、次に正確な文法、という順序で獲得するほうが、結局手っ取り早く喋れるようになる」というようなご意見もTwitterでは多く見られます。これは英語の場合で、いずれも一理あると思います。

ただこれらも「それじゃあ」ってんで雑駁に「文法など不要だ! ネイティブは文法など気にして話してない!」などと短絡的に受け止める方が出ないだろうかと心配になります(実際、そこについているリプライの中には、そういう方が見られます)。何事も極端はいけません。もう少し腰を据えて、発音も語彙も文法もコミュニケーションもバランスよく学んで行かなければ。

また言語によって、非母語話者が学ぶ際にどの部分の「比重」が高いのか、という点も見逃せません。例えば中国語だと、まずはなんといっても発音の比重が高い言語です。いくら文法が完璧でも発音が間違っていたらまず使えません。逆にフィンランド語は、発音ももちろん大切ですけど、それほどクリティカルではなく、むしろ語形変化など文法の比重が恐ろしく高い言語に思えます。

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https://www.irasutoya.com/2015/08/blog-post_580.html

ようは言語によってどういう「戦略」で攻めていけばいいのかがけっこう違うんですね。また学習者の母語が何であるかによってもかなり違う。そして教科書やカリキュラムは、どの母語話者がどの言語を学ぶかという前提によって、専門家がああでもないこうでもないと試行錯誤した末に編まれており、あまりバカにしてはいけないのです。

私たち日本語母語話者が外語を学ぶ際には、まず日本語母語話者でその言語の「達人」になった方を見つけ、その方がどういう学び方をしてきたかに耳を傾けるとよいと思います。そしてできればそういう方を何人も見つけて比較検討してみる。そうやってある程度の「戦略」を描き、なおかつ雑駁で一刀両断的な極論は丁寧に避けつつ、一歩一歩前に進んでいくのです。

……もっとも、英語や中国語のような巨大言語の場合、「先達」も多くて百家争鳴状態ですから、どの道を選べばよいのか初学者が戸惑ってしまうという難点があるのですが。