インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

語学はあとから「じわっ」と染みてくる

ほそぼそと学習を続けているフィンランド語、『suomea suomeksi(フィンランド語をフィンランド語で)』という教科書の第1冊目をようやく学び終えて第2冊目に入ったので、これを機に「単語の棚卸し」をしてみました。先生からも「フィンランド語はとにかく語形変化が多く、単語の元の形を知っていなければ変化のさせようがありません。だからとにかく単語を覚えてください」と言われていたことでもありますし。

これまでも学んだ単語を片っ端から Quizlet の単語帳に放り込んで覚えてきたのですが、もう一度 Excel で新しい単語帳を作りました。もう一度書きながら意味を確認したら、そのぶん記憶も定着するんじゃないかと思って。それで最後の章から逆に戻る形で第一章まで単語を拾っては Excel に入力していきました。これを最後にまた Quizlet で「単語帳化」して覚えるのです。

“minä(私)”とか“suomiフィンランド)”など、もう完全に覚えきっちゃってる単語は除いて、本文を読みながら単語を拾っていくと、全部で1000個あまりの単語がありました。この教科書はおもしろいストーリー仕立てになっている、なかなかうまくできている一冊で、けっこう複雑なことも言っていたような気がします。でも、こうやって拾ってみると使われている単語の総数はそれほど多くないんですね。これだけでもきっちり覚えて、なおかつ格変化や活用がきちんとできれば(これが難しいんですけど)なんとかなりそうな気がします。

f:id:QianChong:20200213120533p:plain
https://www.irasutoya.com/2014/12/blog-post_963.html

それから、教科書の最後の章から逆に最初の章まで読んでみて気づいたのですが、かつて初めて読んだときはとにかく複雑で、文法がどうなっているのかよく分からなかった文章が、やけに簡単に(というかシンプルに)感じられました。当たり前のような気もしますが、語学にはこうした「後から振り返ったとき腑に落ちる」という側面があるんですよね。語学に限らず、何でもそうだと思いますが。

だから、語学を継続させるコツは「その場その場で完璧を目指さず、未消化でもとりあえず先に進む」ことではないかと個人的には思っています。その時にはどうしてそうなっているのかよくわからない事柄でも、後からもう一度振り返ってみると、ああそうだったのかと「じわっ」と染み入るように分かる、そういうことがあるのです。

また、前述したようにフィンランド語にはとても複雑な語形変化があります。それは人称や時制などによって語尾が変わる際の「子音階梯交替」であったり「母音交替」であったりするのですが、単語の棚卸しをしながら、どうしてそういうことが起こるのかについての「感覚的なもの」が分かりかけてきたような気がしました。考えてみれば、フィンランド語の母語話者にとってこうした子音や母音の変化はごくごく自然に行えることであって、それは一種の「言い易さ」という感覚に従った結果なんですよね。あるいは「言葉の経済性」と言ってもいいかもしれません。

例えば日本語でも数字に細長いものを数える数量詞の「本(ほん)」をつける時、「一本(いっぽん/ippon)」「二本(にほん/nihon)」「三本(さんぼん/sanbon)」……などと、非日本語母語話者にとってみれば悪夢みたいな変化をします。これも私たち日本語母語話者は考えることなく発音できてしまいますが、ようは「いっほん」とか「さんほん」とかだと言いにくくてストレスを感じる(やってみると分かります)ので、自然に言い易い形に変化させているわけです。

フィンランド語の語形変化も、人間の言葉である以上基本的にはそういう理屈が働いているわけで、「悪魔の言葉」と呼ばれるほどの変化の激しさも、その根底には少しでも言い易くしたい、ストレスを減らしたいという言葉の経済性がある……そんな感覚を自分のものにしていけばいいのだというかすかな見通しのようなものがつかめたような気がしました。