インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

語学の暗記とグルーヴ感

フィンランド語のオンライン教室では、数週間前から先生の指示で、すでに学び終わった教科書のテキストを一番最後の課から順番に暗記していくという課題に取り組んでいます。

一文ずつ日本語とフィンランド語を対にしたカードを作り、クラスメートと交替で日本語からフィンランド語へ即座に変換していくのです。しかもテキストの順番通りではなく、アトランダムに日本語が出題されるという……先生によれば、文脈に頼らず、その場でフィンランド語の文を組み立てる練習なのだそうです。

先生が用意してくださったGoogleスライドもあるのですが、私は自分のQuizletで同じものを作って、主に通勤電車の中で覚えています。一週ごとに覚えるべき課が増えてきたので、最近はちょっと記憶が追いつかなくなってきました。

もっともっとそれでもまあ、こういう「泥臭くて辛気くさい」作業は語学には欠かせません。たぶん世間的には一番ウケが悪い練習方法だと思います(訳読の弊害を唱える方はとても多いです)。でも、そっと小さな声で言いますけど、こういう作業をなんやかんやと理由をつけて避けているから、本邦では外語をある程度まで(仕事に使えるレベルにまで)習得できる方が少ないのではないかと私は思っています*1

それはさておき、こうやって文単位での暗記を繰り返していると、外語を比較的調子よく話すことができているあの瞬間の、一種の「ドライブ感」のようなものの欠片が自分のなかに芽生えてくるのを感じることがあります。

人によって感じ方はさまざまでしょうけど、私の場合、母語ではない外語(例えば中国語)を、自分でもかなり上手に運用できているなと思える時というのは、自分が話す外語の文のその先に、次々に語彙や表現がひとりでに立ち上がってくる・紡ぎ出されてくるような感覚があります。それほど頭を回転させなくても、いま声に出しているその単語のその先、二語か三語ぶんの単語が、次々に立ち現れてくるのです。ドライブ感というより「グルーヴ感」と言った方がこの感覚に近いかもしれません。バイブスやばい〜!……みたいな。


https://www.irasutoya.com/2017/11/dj.html

そうした状態になるまでにはもちろん、豊富な語彙と表現のバリエーションと、それに文法知識、特に語順の適否を一瞬のうちに判断できる感覚が必要だと思います。そして、いまやっているフィンランド語の一文ずつの変換は、こうした語彙を次々に紡ぎ出すことができる筋肉を鍛えているような気がするのです。

フィンランド語は英語や中国語のように語順が厳密ではありませんが、それでも主語と動詞(あるいは主語的な要素を含んだ動詞)が早期に提示され、その動詞が導く対象がそこに続くという大枠でのパターンは決まっています。また再帰的な構造もたくさん出てきますが、それでもその文が伝えようとしている内容に基づいて、人間の自然な思考経路が反映された流れに(少なくともフィンランド語の母語話者としては自然な流れに)なっているはず。

というわけで、フィンランド語の母語話者が思考し・発話するその気持ちを想像しながら単語を紡ぎ出すことをイメージしつつ、暗記に取り組んでいます。単なる丸暗記ではなく、単語を紡ぎ出していけるドライブ感やグルーヴ感をできるだけイメージしつつ覚えるという感じ。この感覚を繰り返し養っていった先に、たぶん少しは自由にフィンランド語を操ることができる未来が待っているんじゃないかと期待しています。

まだまだ相当に時間がかかりそうですが、まあささやかな趣味ですからぼちぼち参りましょう。

*1:もっともっと小さな声で言うと、多くの方が「語学を舐めている」のです。