インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

ざんねんなえいごきょうし

今朝の東京新聞朝刊に、師岡カリーマ氏が「夢は摘まないで」というコラムを寄稿されていました。英語教師に「アラビア語なんて、月一回も使う機会あるの」とか「国益になるの」などと言われたアラビア語講師の話を引きつつ、アラビア語がいかに存在感のある言語かを解き、最後は「たとえマイナーな言語だと反対されても、学びたければ諦めないで」と締めくくっています。

アラビア語とその文化が世界の歴史に果たしてきた役割は氏がおっしゃるとおりだと思います。ただ、母語話者数の多さや「国益」の多寡で言語を語り始めると、くだんの英語教師氏の土俵に乗ってしまうことになりはしないか。その点で、私はこのコラムにほんの少々危ういものを感じました。それでもマイナーな言語だって学ぶ意味があるというコラムの主張には完全に同意です。

それは、国益とか国際的なプレゼンスといった「生臭い」側面よりも何よりも、ひとりの人間として複眼的な思考を養うことができ、豊かな人生に多いに資するところありと考えるからです。自らの母語とは違う仕方で世界を切り取って認識できるようになることは、外語学習における一番大きな効能ではないかと私は思います。

それにしても、そんな外語学習の意味や効能を十分にご存知のはずの件の英語教師氏が、単純な実用性でしかご自身の生業である英語を捉えられていないというのはなんとも情けない話です。その英語教師氏が日本人(日本語母語話者)であったかどうかはコラムからはわかりませんが、「日本人のアラビア語講師」との会話であること、「国益」という言葉を持ち出していることから、おそらく日本人だったのでしょう。自らが英語を学んで、その過程で外語学習の大変さも面白さも十分に理解されているはずの英語教師氏にして、そんな認識なのかと少々残念に思うのです。

ずいぶん前のことになりますが、私はとあるネイティブの英語教師に「他の言語を学んでみたら」とお勧めしてみたことがあります。第二言語を学ぶことの難しさや奥深さや楽しさを体感すれば、語学を学ぶ学生さんたちの気持ちがより理解できるでしょうし、あわよくば英語中心の世界観にも新たな視点を持ってもらえるのではないかと期待して。

でもその方からは「外語を学ぶのは好きじゃないんで」とにべもなく断られました。とにかく仕事でお忙しい方だったので、そんな時間はとても作り出せないということだったのでしょうけど、これまたとても残念に思いました。「じゃあなぜあなたは語学の教師をやってらっしゃるんですか」という言葉がもう少しで口からこぼれそうになりましたけど、必死でおさえたことを思い出します。

過度な一般化は禁物ですし、私が存じ上げている英語教師の中には本当にすてきな方もたくさんいます。でもその一方でやはり、英語という今や押しも押されぬ巨大なプレゼンスを獲得した言語の教師であるがゆえに、そんな認識に陥りやすい人もいるのかもしれないと、この記事を読んで思いました。