インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

検定試験のために語学をやるなんて

きのう、「検定試験で何級を取るのを目指すとか、スコアの点数に一喜一憂するとか、そんなのは一番つまらない語学のやり方だと思います」とブログに書きました。それでも語学が、特に英語が(そして最近では中国語も?)ある程度まで進学や就職や仕事での評価なり選抜なりに関わっている以上、検定試験を受けざるを得ないという方もいらっしゃるでしょう。

かくいう私も、かつては検定試験をたくさん受けました。中国語だけに絞っても、中検、HSK、TECC、それに通訳案内士試験……。そうした試験で得た資格が進学や就職の前提になってくれたことは確かですし、そこまで合目的でなくても資格やスコアが語学を続ける喜びや励みになるということはあったと思います。

だから検定試験を頭から否定するものではないのですが、ただ本末転倒に陥らないようにしたいなとは思っています。検定試験に合格するために語学をやるのではないと。好きな語学に取り組んで、その結果ここまでできるようになったというのを確認するために検定試験を受ければいいと思うのです。つまり、検定試験に備えて対策問題集を解くとか、傾向を分析した参考書を手に攻略法を研究するみたいな学び方をしない。検定試験はただただいまの自分の実力だけで受ければよいのではないかなと。

ほうぼうでそう申し上げているのですが、「こいつは何を言っているんだ」という感じでかなり「受け」が悪いです。そりゃそうですよね、進学や就職というハードルを突破するための「武器」として資格を得ようとしているわけですから、傾向と対策の分析に注力するのは当然じゃないかと。でもそういう語学って楽しくないんじゃないかな。楽しくない語学は長続きしないし、結果的に身にもつかないような気がします。

語学の目的は人それぞれ、さまざまですから大きなお世話なんですけど、検定試験を目標に勉強するということそのものが、何か語学の本質から大きく外れているような気がしています。これはかつて自分が検定試験を受けていたときに、そしてその後検定試験の「試験監督」みたいなものを仰せつかっていたときにも、強く感じていたことです。こんなふうにして測られるものの中に、語学の楽しさや奥深さは見つけられないのではないか。少なくとも検定試験は学んだあとの「おまけ」程度に考えておいた方がいいのではないか。間違ってもそれを目標にしないほうがいいのではないか。そう考えています。

f:id:QianChong:20220203093134p:plain
https://www.irasutoya.com/2018/01/blog-post_662.html