インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

試験も評価もやめてしまいたい

学年末が近づいてきまして、私の奉職している学校でも期末試験が始まりました。進級や卒業がかかっているので留学生のみなさんもかなり真剣です。私は自分の担当科目の試験問題を作ったり、他の科目の試験監督を請われたり、試験後は採点に追われたりと、この時期はかなり忙しいです。

一定数の学生がいればカンニングなどの不正行為も起こりうる、ということで、教師のみなさんも防止策にあれこれ頭を使ってらっしゃいます。試験教室に持ち込める資料を制限したり、スマホをしまうよう指示したり……。私も長年そんな感じで試験に臨んできましたが、ここ数年はちょっとある種の「むなしさ」を覚えるようになり、もうこういうのは一切いらないんじゃないかと思い始めました。

もちろん学校である以上、それも卒業すると公的な資格が付与されるという枠組みの学校である以上、試験を行い、単位を認定し、卒業資格を満たしていることを客観的に示すことが求められます。だから実際には試験も評価も行わないというわけにはいきません。いっぽうで学生さん(うちの場合は全員外国人留学生です)も「いかに少ないリソースで最大限のリターンを得るか」という原理で動いている方が多いように見受けられますから、試験に臨むときだけ目の色が違うというのも当たり前すぎるほど当たり前であって、今さら私が嘆いてみせるようなことでもありません。

だいたい、うちの学校は義務教育でもないし、ご本人が学びたくて自分から入学してきた学校です(ま、中には親御さんの意向でという方もいるかもしれませんけど)。学びたい人は学べばいいし、学びたくなければ学ばなければいい。自分で精一杯学んで、その実力を測るのが試験なんですから、ふだんの授業は適当に流しておいて、試験の時だけ真剣になるというのもねえ……。もちろん、そんな学ぶ意欲に充分応えられるほどの教材や教案を、ふだんからお前は提供しているのかという批判は甘んじて受けるつもりですが。

というわけで、今回の期末試験は「なんでも持ち込み可」にしました。CALL教室で一斉に音声と映像を流して、長文逐次通訳を行うという試験です。内容はいま大きな問題になっている「海洋ゴミ」に関する話題の講演で、事前に背景知識をじゅうぶんに学び、講演の際に使用されるスライド資料も配付し、各自グロッサリー(専門用語集)を作るということもやりました。要するに実際に通訳者がこの仕事を承けたとしたらやるであろう作業を行ったのです。

その上で逐次通訳することを期末試験として課したわけですが、いまのこの時代、講演の音声や映像はインターネットで探そうと思えばすぐに見つかります。学生さんがその気になれば、あらかじめすべて視聴した上で全訳を作り、試験の時にはただ読み上げるだけというのも可能です。でも、それだっていいじゃないかと思うのです。

そんなことをしても自分自身の通訳技術向上には意味がないと思う人はまっとうに準備して実力で試験を受ければいいし、徹底的にラクをしようと思えば全訳を持ち込んでもいい。人それぞれの選択です。それにラクをしようと全訳を作るというのだって、けっこうな勉強になります。もちろん「少ないリソースで最大限のリターン」を徹底する方は、何人かで手分けして全訳を作って負担を減らすという挙に出るかもしれませんが。

いちおう教師の立場上、そして通訳訓練の意義という点からも、「そういうこと」をしていては実力の練磨にならないことだけは伝えますけど、あとはその人次第です。本当に学びたいのかどうか、自分を高めていきたいと思うのかどうかの問題、その人がどう生きて行きたいかの問題なんです。

もちろん「そういうこと」をしようとする人は少数派で、多くの留学生のみなさんはとても前向きに取り組んでいますが。とにかく、試験というシチュエーションで、学生と教師がお互いに戦々兢々として監視したりされたりというの、不毛だなあ、やめたいなあと思うのです。やはり私は教師という仕事に向いていないのかもしれません。

f:id:QianChong:20210216084352p:plain
https://www.irasutoya.com/2015/10/blog-post_205.html