インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

大きな声で訳してください

「もっと大きな声で訳してください」。教室で、このフレーズを何度言ったか分かりません。たぶん千回は超えているんじゃないかしら。いえ、これは誇張でも何でもなくて。通訳訓練で、生徒さんの声があまりにも小さくて、すぐそばにいるのに聞こえにくいことが多く、「もっと大きな声で」とお願いするのですが、それを聞き入れて次から大きな声で訳そうと努める方は……ほとんどいません。

「どんなにリスニングができて、脳内に名訳が閃いたとしても、相手の耳に届かなければ通訳として成立しない。そしてクライアント(お客様)は通訳者の話す声(デリバリー)でもって、その通訳者の評価を行う」と私の恩師は言っていました。本当にその通りで、クライアントは通訳者がどうリスニングしているか、頭の中でどう訳しているかは分かりません。ただただ、自分の耳に届いた通訳者の声(大きさ、速度、滑舌、表現……)でのみ訳出の善し悪しを判断している。その声さえも届かないのであれば、これはもうどんなに上手な訳出をしても結果はゼロですよね。

それを授業で何度も伝えます。でもかたくななまでに大きな声で訳そうとしません。恥ずかしいということもあるでしょう。みんなの前で変な訳出をしたら恥ずかしい。人前で話すこと自体が恥ずかしい。でも通訳という作業は、その人前で、他ならぬ自分の訳出を他人の耳に聞かせる作業です。もちろんまだ訓練段階だから、何もかも理想的にできるわけはありません。でも、少なくともそれを目指して進んでいかないと。少しでも大きな声で話すようにしないと。それができないのなら、する気がないのなら、やめるしかありません。

……というようなことを、以前は教室でエラソーに言っていました。もっと以前には「大きな声は出せません」という生徒さんに「でもあなたの家が火事になったら大声で『火事だ!』とか『助けて!』とか言うでしょう? 大きな声が出せないなんてウソです」などと迫ったりもしていました。でもいまはもうそんなことは言いません。昨日のエントリでも書きましたが、結局はご本人の学びの姿勢いかんであり、その人の生き方の問題なんです。それにきょうび、こんな態度で授業にのぞめば、きっとパワハラで訴えられることでしょう。

それにオンライン授業では、逆に大声を出すことが求められません。また逐次通訳ならともかく、マイクを通して訳す同時通訳でもそれほど大きな声は必要ありません。そう考えると、ただやみくもに「大きな声で」と求めるのも間違っているような気がします。要するに、場に応じた声の大きさを使い分けられることが求められるのでしょう。

あ、生徒さんの声が聞こえないのは、私の耳が遠くなっているからという可能性もあります。……が、いちおう今のところは健康診断でも「所見なし」ですから、それはないと思います。たぶん。そして、授業が終わって休み時間になると、みなさんものすごい大声で楽しそうにしゃべっているのです。

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