インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

こう見えて失語症です

脳出血によって失語症になった夫との十年間をまとめた、米谷瑞江氏の『こう見えて失語症です』を読みました*1フリーランスのライターだった米谷氏は夫の抱えた障害をきっかけに失語症や脳そのものへの興味がわき、ついには言語聴覚士の資格まで取って転職されたそう。そのバイタリティと行動力にまず敬意がわきますし、なにより「オット」氏との間に築いてこられた信頼と愛情に、こちらも我が身を振り返ってさまざまなことを考えさせられました。


こう見えて失語症です

失語症とは、基本的には脳出血や外傷などで脳の特に言語をつかさどる部位が損傷を受けることによって起こる言葉の障害です。それは聴く・話す・読む・書くといった言葉にまつわる能力にさまざまな影響をもたらすのですが、人によってその影響や障害の程度は千差万別なのだそうです。

オット氏の症状は「ウェルニッケ失語」と呼ばれる種類のもので、主に言葉を聴くことが困難になり、言葉の理解が難しいだけでなく発話もチグハグなものになってしまうのだそう。それでもオット氏は懸命なリハビリに加えて周囲の人々の協力を得ることで、現在では復職をはたすまでになっておられるそうです。

私がこの本で学んだことは多々あります。失語症そのものの知識や理解もさることながら、障害を受け入れ、障害とともに生きていこうとされるオット氏と米谷氏ご夫妻の前向きな考え方に感銘を受け、またそうした人々を受け入れる寛容な人間社会のあり方について考えました。

特にオット氏のポジティブかつ穏やかな性格が、周りの人々の寛容さを最大限かつ自然に引き出しているのではないかと、読みながら何度も「では自分だったらどうするだろう、どうなるだろう」と自問自答しました。

私の妻が数年前にクモ膜下出血を起こした際にも感じ、人からも言われたことですが、この病気(脳出血などによる機能障害)は、その人のそれまでの生き方や家族のあり方が問われるようなところがあると思います。

私の妻は手術後の後遺症でいわゆる認知症と似たような症状に陥っていたときも、まるで老猫が日がな眠っているような穏やかさでした。妄想や徘徊などはありはしたものの、こういう言い方は変ですが私自身それほど大きなストレスを感じることなく、救われる思いがしたものです。

もし私が逆の立場だったら……自分の中にある短気でせっかちな、関西弁で言うところの「イラチ」な性格が何よりも表にあらわれて、周囲にネガティブな感情を撒き散らすのではないか、そんな気がします。そうならないように自分の生き方を変えていかなければ(遅きに失したとはいえ)とこの本を読んで改めて思ったのでした。

*1:この本は、本棚の一角を借りてミニミニ書店を開くことができる「100人の本屋さん」で見つけて買いました。私もこのスペースの「棚主(たなぬし)」なのですが、米谷氏もそうだったのですね。いつかお目にかかることができたらいいなあ。