インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

食べる姿に魅入られる

これを言うと人によっては「引いちゃう」こともあるでしょうし、ことによったら「セクハラ」認定されてしまうかもしれないとさえ思うのですが、私は昔から他人がおいしそうにものを食べている光景に接すると、得も言われぬ幸せな気持ちになります。

記憶の遥か彼方に、確かそんなことをこのブログに書いたことがあるなと思って検索してみたら、果たして2005年つまりもう18年も前に書いていました。いま読み返してみてもかなり怪しい文章で、それこそ本格的に後ろ指をさされそうな勢いではありますが、間違いなく私は他人のおいしそうに食べる姿に癒やされるタイプなのです。これはもう筋金入りです。

qianchong.hatenablog.com

私はかつて結婚していた頃も、そして再婚したあとも、ずっと家事のうち炊事全般を担当してきましたが、それはひとえに家族がおいしそうに食べている姿を見るだけで幸福を感じるからではないかといまにして思います。

家族だけでなく、例えば友人や知人がうちに来て(コロナ禍でとんとご無沙汰になっていますが)、大したことはない料理を「もっもっ*1」と食べてくれるだけでうれしいです。そういうとき、自分はあまり食欲がわかないのも不思議。たぶん人が食べているところに接しているだけでお腹いっぱいになっちゃうんですね。

私がいちばん最初にこの「傾向」に気づいたのは、たしか大学生の頃だったと思います。どこかの銀行で配られていたポケットティッシュの広告(夏のボーナスは当行へ、みたいな)の図柄が、スイカを食べる幼い女の子の写真で、それに私は魅入られてしまったのです。……う〜ん、ますます「ヤバい」雰囲気になってきましたが、誓ってヘンな意味ではなく、その時の私はなぜか不思議な多幸感に満たされてしまったのでした。

最近では、京王線の駅に掲示されていたポスターの、この男の子が一生懸命に食べている姿に「やられました」。これはとあるイベントの広告だったのですが、わざわざそのイベントのウェブサイトに行って、この写真をスクショしてきたくらいです。

あと、これはカフェ・パスクッチの広告を兼ねたメルマガに載っていた写真。なんて幸せそうなの〜と、ついつい広告に乗せられてお店に行ってしまいました。

こうやって列挙しているとそれこそ「ドン引き」されそうですが、そう、私は他人のおいしそうに食べる姿、とりわけ子どもたちのそういう姿に心を揺さぶられるのです。なぜでしょう。自分が幼少時にそんなひもじい思いをしたこともないのですが、やっぱり子どもたちが何の心配もなく食べられるというシチュエーションそのものがきわめて大切だというーー多分に優等生的ではありますがーーそういう思いがあるということになるのでしょうか。

というわけで私は、いくつかの子供支援団体、とりわけ「こども食堂」や海外の食糧支援などの活動をしている複数のNPOに、毎月ささやかながら寄付をしています。子どもたちが笑顔でお腹いっぱい食べられないなんて、私にとっては本当にありえない、やりきれないことなのです。いまの仕事をリタイアしてもしご縁があったら、ぜひそういう方面でボランティアをさせていただきたいです。

*1:「もっもっ」というオノマトペ、おいしそうに食べている感が増すような気がして私は大好きなんですが、こちらによるとマンガ家の福満しげゆき氏が最初に使われたのだそうです。