同僚が担当しているクラスで、外国人留学生が日本語のことわざについて学んでいました。学んだあとに確認のための小テストをやってみたら、惜しい回答がたくさんあったそうです。たとえば「猿も木から落ちる」を「猿が木から落ちる」とか「猿と木から落ちる」などと書いてしまったと。
https://www.irasutoya.com/2013/08/blog-post_1628.html
なるほど。「猿が木から落ちる」だと、たんなる情景の描写になってしまって、このことわざが持っている意味がいっぺんに失せてしまいます。「猿と木から落ちる」だと、あんたも木に登ってたんかい、というツッコミが入りそうです。たったひとつの助詞の違いで、見えてくるシチュエーションがまったく異なります。
もちろんそこが非母語話者として日本語を学ぶときの難しさなので、日本語教師のみなさんはそれらをけっして笑うことはせず、理由も示しながらていねいに訂正していくわけです。
こういうのを、ほとんど意識することなく間違えずに言えるのが日本語母語話者なんですね。これは私が英語の前置詞でここは“at”なのか“in”なのか“on”なのかと迷ったり、冠詞で“a”と“the”をうまく使い分けられなかったりするのと、あるいはフィンランド語の動詞がどんな格を取るのかきちんと判断できないのに似ています。
たとえばフィンランド語の動詞“tykätä”や“pitää”(好む)は目的語に出格(〜から)を取りますが、“tutustua”(知り合う)は入格(〜へ)を取ります。日本語からの類推で“käydä”(訪れる)に入格を使うと間違いで内格(〜の中に・で)を使うというぐあい。母語話者は何のストレスもなく使い分けますが、学習者の私たちはひとつひとつ覚えるしかありません。
でもまあ、そうやって母語話者との違いを認識することじたいが私はおもしろく、語学の楽しみのひとつだと思っています。