インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

外語学習における「見りゃ分かる」と「一生使わない」について

語学教育において「日常で使わない言葉や言い回しを教えても仕方がない」という批判に対して、そんなことはないのではないか、という逆批判を先日書きました。日常生活では使わなくても、一度でも学んだことがある言葉は、身体のどこかに残ってその人の思想や思考方法を形作る材料になっていると信じたいと。一度でも学んだことがあるのと、一度も学んだことがないのとでは、のちのち大きな違いになって現れるのではないかと。

qianchong.hatenablog.com

これはもう語学とか言語に対する考え方、捉え方の違いですから、分からない人には多分一生かかっても分かってもらえないかもしれません。それに現代は、特に英語教育において従来からの「文法重視」「訳読重視」の学習法がよってたかって批判され、とにかく実用的な、使える英語を叩き込むんだ、との声かまびすしい時代ですから、私みたいな考えの人間は「古い」のひとことで片づけられてしまうかもしれません。

もちろん語学は「使えてナンボ」のところはあります。私だって外語を使って街で買い物をしたり、ちょっとしたおしゃべりを楽しんだりという営みはとても楽しいです。「ネイティブっぽく」しゃべってみたいという欲望も虚栄心みたいなものも、人並みに持ってる。とはいえ、だからといって文法なんか学ばなくていいんだ、日常生活で言わないような単語や表現なんて覚えなくていいんだ、ましてやその言語の文化背景だの歴史だの関係ないじゃないか……とは思いません。

それはまあ、口幅ったい言い方になりますが、その言語に対する敬意というか愛情というか、もっといえばその言語の母語話者が営々と積み上げてきた歴史に対する畏怖みたいなものが外語学習には不可欠だと信じているからです。ひとことで言えば「言語を舐めちゃいけない」ってことですか。

外語学習って、そんなに大仰なものなの? という声が聞こえてきそうです。でも、そうなんですよ。だから常日頃より「こんな面倒くさくて泥臭い営みに自分の人生のかなりの時間を賭けてもいいと、本当に思いますか?」とお聞きしているのです。だから「全国民が幼少時から週に数時間という非効率な英語教育などやめて、英語(など外語)が必要になった人が必要になったときから、しかしそこはそれ死にものぐるいでやるべき」と申し上げているのです。

ところで、「そんな難解な言葉、日常生活のどこで使うんだ」という批判の一方で、「そんな簡単な言葉、どこで使うんだ」という批判もあります。“This is a pen.”を「見りゃ分かる」とか「一生使わない」とかいうたぐいですね。以前このブログでも引用しましたが、橋下徹氏は教育問題をめぐるテレビ番組での討論で、こんなことをおっしゃっています。

最初に“This is a pen.”かなんかが入るけど、あれネイティブの人に聞いたら、まず言わないって言うもんね。日常生活では絶対に使わないと。『これは』っていちいち言わなくても(目の前に見えていて)みんな分かってるわけだから。(『ABEMA Times』より

qianchong.hatenablog.com
私は、英語を学ぶ最初の方で“This is a pen.”が出てくるの、理にかなっていると思います。日本語ととは異なる英語の文型や語順や、主語・動詞・冠詞・補語……などを学ぶためと考えれば別におかしくないと思うんです。

いま学んでいるフィンランド語の教科書も、第一課の一番最初のテキストは“Tämä on kirja.(これは本です)”、“Tämä on kissa.(これは猫です)”でした。教科書には本と猫の絵も描いてあって、たしかに「見りゃ分かる」。でもこれで、フィンランド語の最も基本的な文型である“A olla B.”が理解でき、英語の be動詞 にあたる olla動詞 の人称による使い分けが分かり、目的語の格というものの存在が分かって、これがこのあとどんどん複雑になっていく文法の核になっていきます。

畢竟、母語話者と非母語話者の決定的な違いは、文法をその都度意識に上らせなくても話せるかどうかです。そして外語が上達するということは、その都度意識に上らせなくても自動的に使えるようなるまで訓練を重ねることです。非母語話者が学ぶ場合に文法だけに偏っていてはつまらないかもしれませんが(私は文法好きなのでぜんぜん構いませんけど)、かといって文法を軽視してもいけないのです。

「一生使わない」については、先日 Duolingo でフィンランド語を学んでいて、こんな文章に出くわしました。ディクテーションの画面で、聞こえてきたとおりにタイプしたのですが……

Isossa koirassa on tosi kirkas tähti.
大きな犬の中にとても輝いている星がある。


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全部知っている単語で、すぐにタイプできましたが、意味が分かりません。「大きな犬の中に星がある」? それで正解の英語を見ると(Duolingo のフィンランド語コースには日本語版がないので、英語版で学んでいるのです)、こう書いてありました。“There is a really bright star in Canis Major.”

カニス・メイヤー」って何? 辞書で調べて「ああっ」と声を上げました。「おおいぬ座」。この瞬間にフィンランド語ではおおいぬ座を直截に「大きな犬」と呼ぶこと、この文章はシリウスについて述べていること、それにおおいぬ座の英語での呼び方まで分かって、脳内のシナプスがいろいろとつなぎ変わるような感じがしました。

あとから思い返せばささいなことですけど、こういう瞬間の繰り返しが楽しいのです。夜空のおおいぬ座シリウスを指差してこのフレーズをフィンランド語で言うことはたぶん一生ないかもしれないですけど。Duolingo にはそれぞれのタスクについてディスカッションできる機能がついていて、このフレーズにはこんなメッセージが残されていました。

Love this sentence. I did not know the words kirkas and tähti, only that there was something inside a big dog. The unexpected translation broke the monotony of repeated sentences and really enhanced the learning experience. Thanks for keeping us on our toes, Finnish team!


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うんうん、私もそう思います。

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https://www.irasutoya.com/2015/02/blog-post_26.html