インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

文化に興味があるわけじゃない

先日、フィンランド語のオンラインクラスに出ていたら、先生が「私は別にフィンランドの文化や観光に興味があってフィンランド語をやったわけではないので……」とおっしゃっていました。ではどんな動機で学ばれたのかについては聞けなかったのですが、たぶん言語としてのフィンランド語そのもの、あるいはほかの言語とフィンランド語の比較について興味がおありになったのではないかと想像し、そして共感しました。

なぜなら私自身も似たような動機で学び始めたからです。学んでいるからには現地に行って使ってみたいという欲求はあるので、その意味では文化や観光にまったく興味がないわけじゃありませんが、どちらかというと言語そのものへの興味が勝っていました。「悪魔の言語」とも称されることがあるほど複雑な文法を持つフィンランド語そのものへの興味です。

しかもフィンランド語は、その他の北欧諸語、つまりデンマーク語、スウェーデン語、ノルウェー語、アイスランド語が比較的近しい関係にあるのに対して、言語的に大きく隔たっていると言われています。お隣のロシア語ともまた大きく異なり、わずかに南に位置するエストニア語、それにハンガリー語と近しいくらいで、言語的にはぽつんと孤立しています(とはいえ話者はおよそ600万人ほどいますが)。そこに私は興味を覚えました。

フィンランド語を学んでいる方の多くは、コロナ禍以前の教室の風景や、そこで交わされた会話などから想像するに、フィンランドの文化や観光にとても大きな興味があるように思われます。オーロラ、ムーミン、サンタクロース、サウナ、イッタラ、アラビア、マリメッコアルヴァ・アアルトサルミアッキ……私も興味はありますが、それよりも言語そのものが一番の関心事です。

それに、曲がりなりにも長年中国語を学んできて、もうそろそろ中国語以外の語学をかじってみたいなと思っていたこともあります。中国語というか、アジアから離れたどこか遠い場所の言語をやってみたかった。そしてできれば、中国語のような「孤立語*1」とはまったく違う言語を学んでみたいと思いました。要するに、脳の中にこれまでとはまったく違うシナプスの繋ぎ方を作ってみたかったのです。つまり「脳トレ」、もっと自分の実感を伴った言い方にするなら「ボケ防止」ということです。

語学をやる動機のうち、もうひとつ大きなものだと思われるのは、その言語を話している人々に対する興味があるでしょう。友人や知人にその言語を話す人がいて、その人たちと直接コミュニケーションしてみたい、その人たちが大好きで、行き会うだけでも親近感を覚える、といったぐあいに。

私も中国語を学んでいたときは、初手から中国語母語話者の先生がいましたし、周囲にも仕事関係で中国の方が大勢いました。ですから、そうした人たちの人となりに惹かれたり、時にはカルチャーショックを受けたりして、否が応でも興味を向けざるを得なかったのですが、現在学んでいるフィンランド語は、先生も日本語母語話者ですし、日常生活の周辺にフィンランド語の母語話者もいませんし、従って友人や知人と呼べる人もいません(時折Twitterでやりとりする人はいますが)。

というわけで、現時点では「あの人とフィンランド語で話したい!」という強いモチベーションすらなく、また文化や観光への興味でもなく(コロナ禍で観光もできませんし)ただただ言語の面白さや複雑さのみに惹かれて学習を続けているような状態です。周りからは「なぜまた選りに選って」と奇異な目で見られています。それはまあそうですよね*2

でも自分としては、いま学んでいるフィンランド語と英語、それに母語の日本語と、仕事で使っている中国語の四点を毎日ぐるぐる回ったり、ぴょんぴょん飛んで移ったりしているうちに、何か自分のなかで化学反応が起きないかなと期待しているのです。いまのところはまだ反応の気配があまり見られませんが、最近英語の文法が以前よりも自然な形で自分の身体の中に宿っている(ような)気がし始めています。


https://www.irasutoya.com/2016/08/blog-post_337.html

例えばフィンランド語と英語の文法はかなり隔たっている一方で、完了時制などの考え方はとてもよく似ています。そういうかけ離れたものの間でときどき接点が見つかったり、また遠く離れたりという離合集散を頭の中で繰り返し、そこにほかの第二言語母語が干渉してくる……これはかなり面白い遊びなんじゃないかと思います。これも周囲に漏らすと奇異の視線を返されるのですが、スマホゲームなどよりよほど面白いと個人的には思っています。

*1:言語的に孤立しているという意味ではなく、「単語に語形変化がなく、文法的機能が語順によって表される言語(Oxford Languagesの定義)」という言語学上の分類です。

*2:思想家の内田樹氏が、ご自身がフランス語を学ばれたときのことを書かれた文章で「フランス語という『目標言語』は同じでも、それを習得することを通じてどのような『目標文化』にたどりつこうとしているのかは人によって違う」とおっしゃっていました。同感です。http://blog.tatsuru.com/2018/10/31_1510.html